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母乳神話に振り回され母乳ノイローゼになりながら、完ミ育児に至った話。

今、自分の子は完全ミルク、いわゆる「完ミ」で育てている。
そこに至るまでの話を今日はしたいと思います。

妊娠時

子育てを既にしていた友達も、遊びに行けばみんな「ちょっとおっぱいあげてくるねー」と母乳で育てていた子ばかりだったし、「子供が出来たら当然のように母乳が出て、母乳で育てるのが子供のためなのだ」と思っていた。
自分がどうしても一緒にいられない時にも母乳をあげられるように、妊娠時から搾乳器も購入して準備をしていた。 

0ヶ月〜3ヶ月

子供が生まれた初日は帝王切開だったためにずっと痛みにうなされながら、痛み止めの点滴をいれてもらっていて寝たきり状態になってしまったものの、2日目からは痛かろうが立って部屋を移動するように言われ、亀の速度で歩きながら自分でトイレにも行った。胸も張ってきて熱くなり、これが母乳を作っているおっぱいの張りというやつか!きたきた!と思い、上体をヒーヒー言いながらも起こし、その日から少しずつ子供におっぱいを吸ってもらった。

まだまだ生まれたばかりで吸う力が弱いようにも思ったが、「徐々に吸うのが上手になって力強くなってくるよ。そしたら母乳も増えていくからね。今は足りなそうならミルクを足してあげてね」と助産師さんに言われたので、どうしても泣き止まない時はミルクを少し足しながらも、毎回おっぱいを吸ってもらうように心がけていた。

保健所の訪問の時には、順調に体重が増えてきているので、ミルクをもっと減らして母乳をもっと頑張ってみてもいいのではと言われたので、ミルクをなかなか与えてもらえない子供は不満そうに泣くことが増えたが、「頑張って吸ってくれたら、きっともっとおっぱいが出るからねー」と子供と自分の心に言い聞かせながら格闘を続けた。子供がなかなか嫌がって吸ってくれなかったり寝てしまっている時は搾乳器や手絞りで頻回授乳になるように心がけた。

4ヶ月〜5ヶ月 【4ヶ月検診と病院通いのスタート】

そんな中、子供の肌の荒れがどんなに保湿しても治らずボロボロであったため、4ヶ月検診の際にアトピーやアレルギーの疑いがあるのではという指摘を受け、アレルギー科を受診することになった。
結果はアトピーかつ、ミルク・卵アレルギーという診断だった。
そして、その際にお医者さんにこう言い放たれる。
「こういう子は母乳で育ててあげた方がいいんだけど、混合栄養なんだね。もう少し母乳をがんばってあげられない?」

「母乳は赤ちゃんに最良の栄養です」とミルク缶に書かれている文字も、このお医者さんの一言も、私には重くのしかかった。
もっともっと頑張らなくちゃ。
でも…自分では頑張って吸わせているつもりでも、一向に増えない母乳。
そして4ヶ月検診の時には体重増加があまり芳しくないことも指摘されたし、お腹が満たされないのか泣いてばかりいる子供。

今思えば、私はこの時、母乳ノイローゼになっていたと思う。
母乳がよく出るようになるという噂のお茶やサプリにも手を出した。子供のための投資だと思えば全くもったいないなんて思わなかった。藁にもすがる思いで買い漁り、毎日欠かさず飲み続けた。

結果、やっぱり母乳は増えなかった。
微量には増えていたのかもしれないが、子供のお腹を満たしてあげるほどは出ていないのか、日に日に子供の泣き声は強くなり、徐々におっぱいを見るだけで嫌がるようにもなっていった。

アトピー・アレルギーの診断、そして体重増加不良を指摘された我が子は2週間に1回の通院が必要だと言われ、病院に通う都度体重も測り、そのたびに母乳の頻度とミルクをあげている量はどのくらいなのか確認された。
母乳の頻度とは裏腹に体重増加はあまり芳しくなかった。そう、明らかに足りていなかったのだと思う。

6ヶ月 【ついに爆発した日】

体重の増えない我が子。泣いてばかりいる我が子。でもアトピーとアレルギーはちゃんと治してあげたいという想い。こんなに色々見つかるのだからやっぱり母乳をあげなくてはいけないのではないかというプレッシャー。
自分の中でいろんな気持ちが交錯して頑張って母乳をあげることが正解なのか、子供のお腹を満たしてあげることが正解なのか、もうわからなくなりはじめていた。
悩みながらもがんばり続け、でももう精神が擦り切れていたある日。その日も子供はおっぱいを吸い始めてすぐに、出が悪いのが嫌だったのかのけ反って泣き出した。
私はとうとうまだ言葉もわからない子供に語気を強めながら、「もっとちゃんとおっぱいを吸って!!なんてもっと頑張って吸わないの!!あんたがちゃんと吸わないから!」と、言ってしまった。

それを見ていた夫が、私にこう言い放った。
「母乳母乳ってさ、お腹ずっとすかして泣かせてるのってさ、もはやそれはあなたのエゴじゃないの」

そう言われて雷が落ちた気分だった。わたしはもう憤りなのか悲しみなのか困惑なのか分からない気持ちになった。

この人はわたしの苦労も知らずに何を言ってるんだ?
ありえない。
だって助産師さんもお医者さんもミルクメーカーでさえも母乳が1番いいっていうじゃない。
しかもこの子はアトピーで。弱く産んでしまったのはわたしなんだから、ここは頑張らないとダメじゃない。
自分は傍から見てるだけだからってなんなんだ。
わたしだってこんな泣き叫ばれながらあげたくないさ。
出ないわたしが悪いのか。
なんで出ないの。
なんで、なんで…

涙が止まらなくて、母乳の出ない自分が本当に情けなくなり、自分の何がいけなかったのか1人悶々と考え続け、一方で頭の中で夫の言葉を反芻しながらど正論を言われたような気もしてきて、何が正解なのか改めて考えた。

6ヶ月 【そして決断の日】

そして次の日わたしが出した答えは、母乳をやめて、完全ミルクにするという結論だった。

わたしは1番大切なことを忘れていた。
この子には笑顔に囲まれて幸せに育ってほしいと願っていた。
それなのに、わたしは母乳ノイローゼになり、般若のような顔で子供に母乳を押し付けていた。
アトピーもアレルギーも、一緒に粘り強く治していったらいいじゃないか。
泣いてばかりのこの子より、笑顔に囲まれて笑い返してくれるこの子が見たい。

そうだよ、この子が笑っていてくれるのが1番なんだ。
母乳にこだわり過ぎて、私自身がこの子の笑顔を奪ってはいけないんだ。

母乳に縛られず育てると心に決めたその日。子供に「これが最後のおっぱいだよ。ちょっとでいいからママに時間をちょうだいね」といいながら、最後のおっぱいをあげた。何かを察した子供はちょっとの時間ではあったが、おとなしく吸い付いてくれた。

まだ名残りおしさはあったものの、あげられる状態だと未練たらしく吸わせてしまいそうなので、最後のおっぱい時間のあと、夫にお気に入りの日本酒を買ってきてもらい、泣きながらぐいっと飲んだ。お酒を飲んでもうあげられない状態を作ったのだ。

こうして6ヶ月でわたしの母乳との格闘は幕を閉じ、子供は完全ミルクになった。

それからどうなったか

それから時はたって現在10ヶ月。
子供のアトピーは毎日塗り薬は必要ではあるものの、だいぶ落ち着いてきた。
ミルクアレルギーに関しても、お医者さんに母乳をやめる旨を伝えた時は少し顔が曇っていたが、すぐにアレルギーミルクを紹介され、子供も飲めないことはなくちゃんと移行できた。
さらに月齢が進むと、アレルギーミルクをベースとしながらも、経口負荷試験といって少しずつ普通の粉ミルクも与えて、飲める量を増やしていくということをしていて、「なんだ、アレルギーミルクもあるし、結局ミルク飲ますんじゃないか!」とずっこけるような気持ちになった。
「体重増加不良・要経過観察」と言われていたが、離乳食が3回になってからはしっかりと体重も増え、9・10ヶ月検診の時には「超標準・経過良好」とのお墨付きをいただいた。
離乳食を与えはじめるようになって気づいたのだが、どうやらうちの子は液体があまり好きではなく、むしろ固形のほうが好きな子だったようだった。母乳の吸い付きもいまいちだなとは思っていたが、ミルクにしても大して飲む量は増えず、160mlまで作れる新生児用の小さな哺乳瓶のまま、断乳しそうな状態になっている。240ml作れる大きい哺乳瓶は1つだけ一応買って用意しておいたが、活躍の場は与えられないまま、メルカリ行きとなりそうだ。
「赤ちゃんはみんなおっぱい・ミルクが好き!」と思っていたわたしは自分がいかに固定概念をもってみてしまっていたか、赤ちゃんによって色々なのだなと改めて思い知らされた

今完全ミルク育児にして思うこと

わたしは母乳で子供を育てたかった。というかそれが当たり前だと思いすぎていた。
アトピーとアレルギーが見つかってしまってからは余計にその想いは強くなってしまっていた。
でも、完全ミルク育児にして、本当に正解だったと今は思っている。
完全ミルク育児、通称完ミにしたメリットは色々ある。

1.家族の笑顔が増えた

これは一番はわたしが「母乳!母乳!」と思いすぎて、ノイローゼ気味になっていたことが一番の原因であることは間違いない。そして子供はいつも泣いていて、家の中の雰囲気は最悪だった。
どんなにがんばっても出ないものは、出ない!というか、そんなにがんばらないと母乳がでないなら、いっそ諦めて笑顔で過ごすことの方がよっぽど大事!

母乳を出すために頻回授乳をしなければと数時間ごとにおっぱいを咥えさせる必要もなくなり、時には旦那に預けて外出をすることも可能になった。割と気持ちを溜め込んで爆発させてしまうことのある自分にとってはたまにあるリフレッシュ時間があることで、より家族のために頑張れるようになった。

2.子供との行動範囲が増えた

わたしは授乳ケープをつけたまま、授乳をするのが正直あんまり得意ではなかった。なかなかに不器用なので、安定して咥えさせられなかったのだ。結果、子供が泣くと授乳室を探して彷徨うことが基本で、授乳室のないところにはお出かけしなかった。
母乳の出る量が少なかったこともあり、子供はかなりの頻度で泣いてしまっていたため、外出すると授乳室からほぼ離れられず、ゆっくり外出するなんで不可能だった。その結果外出が億劫になり、ほぼ家に閉じこもっていた。一方ミルクにすると腹持ちがよいというのは本当で、ミルクを飲ませるようになってから、ぐっと泣く頻度が減り、外出時に慌てふためきながら授乳室を探す必要が減った。
そのため少しずつ外出の頻度が増えていった。これも発見だったのだが、うちの子は外出するとかなりキョロキョロとして周りに興味津々、特に人が好きなようで老若男女問わず愛想を振りまき、可愛いと言われてはまた上機嫌になるというかなりお得な性格をしていた。
本人もこの人とのやりとりが好きなようなので、完ミにしてからはあちこちに連れていった。親も外に出れて健康的。子供は色々見れて楽しい。そんな好循環が以前より作りやすくなった。

3.夫がより育児参加してくれるようになった

最初からそんなに参加してくれていなかったわけではないが、夫曰く、「どう頑張っても母乳は出せないので、お腹がすいているようだと、あなたを呼ぶしかないと思っていた」という。
あまり出ないせいでかなりの頻度で泣くものだから、それはそれは「お腹すいてそう!おっぱい!頼んだ!」という頻度も多かった。
完ミにしてからは、あやしたり寝かしつけしたりもおっぱいを呼ぶ必要がなくなり、夫は以前にも増して子供に接してくれるようになった。
夫婦で子供を育てていきたいと思っていた自分は、以前でも十分にやってくれているようにも感じていたが、どこかでイライラモヤモヤしているところがあった。完ミにしてからはもっと参加してくれるようになり、現在はわりと理想系に近い状態なのではないかと思えるようになった


他にも色々と完ミのメリットはあると思う。
正直今となっては母乳にどうしてあんなにこだわっていたのかわからないほど。とはいえあの時子供のために頑張っていたことは無駄だとは思っていない。

今、母乳かミルクか苦悩している人がいたら言いたい。
どっちもメリットデメリットあるから、母乳母乳とばかり言われるけどミルクもそんなに悪くない。
どっちの結論を出すにしても、一番大事なことを忘れないでいてほしい。
一番大事なことはそう。
我が子が、家族が、一番笑顔で過ごせる選択はどちらなのか。

わたしもまた、この先とっても迷う選択が必要になったら、このことを基準に考えながら1歩ずつ進んでいけたらと思う。


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