自己肯定感と自己有用感

 どうも おかえりなさい。 すももです。

 明日は研修があります。朝起きるの大変だな~という気持ちと、どんな話か楽しみだなという気持ち半々です。

 こないだの研修で自己肯定感と自己有用感というワードが出ました。めちゃくちゃざっくりですが、自己肯定感は読んで字のごとく自分を肯定する感情のことです。よく勘違いされていますが、「自分はなんでもできてすごい!」というよりは「これもあれも苦手だけど、私は私」というような感じです。伝わるかな。

 そし自己有用感ですが、私はその研修で初めて知った言葉でした。自己有用感とはこちらも文字通り自分を有用だと、自分は人の役に立っている!と思える感情のことだそうです。そしてこの感情は周りの人の中でも同級生や同期、同僚のような同じ立場の人に褒められることで伸びるそうです。

 私は自己肯定感が低い自覚がありましたが、この自己有用感という言葉を聞いて説明を受けたときに、あ、自己有用感も低いなと思いました。

 なんかこうネガティブな話題になりそうで申し訳ないのですが、私はおそらくですが今までの人生、どちらかというとあまり怒られたりするタイプでもなく、同級生間でももめ事を起こすタイプでもなかったと思うのですが、かといってクラスで話題になるようなタイプでもなかったのです。なんというか今きっと私のことを覚えている同級生は少ないだろうな~という感じ。生徒会長や学級委員でもない、ギャルでもヤンキーでもない、いじめっ子でもいじめられっ子でもない、大多数の生徒のうちの一人。

 何が言いたいかというと、怒られたりけなされたりも少なかったと思いますが、ほめられることも別に多くなかった気がするのです。そしてそれはおそらく自分の思い込みだと思います。

 私は本当にここ数年まで何か褒められても「いやいや」「とんでもない」みたいな返事でした。実際に自分よりも上の人たちがたくさんいることはわかっているからです。バカじゃない、でもほめてもらえるほど賢くない。不器用じゃないけど、ほめてもらう程素晴らしい作品を生み出すわけでもない。と、自分で思っていたからです。誰かに言われたわけではなく、自分にとっての目標がはるか上にたくさんありすぎて、あれと比べるとな…私なんて…という感じ。そしてそのせいで実際に褒めてもらった経験よりも思い出としてのほめてもらった経験が少ないんだろうなという気がするのです。

 たぶん私はちゃんとほめてもらっていました。親にも同級生にも。自分は役に立つらしいな、ということに気づくこともできたはずでした。あるいみうぬぼれることもできたと思います。ほめられた何かにのめり込んで極めることもできたでしょう。でも自分ですべて手放してきました。ほめてもらえるのはお情けで言ってくれてるんだ、だって自分より上手な人はいくらでもいるんだから、という具合です。

 ですが大人になってほんの少しずつ少しずつ、ほめてもらったことを受け入れるようになってきました。どこかで「ほめられたときに謙遜するのは相手の感性を否定するようなものだ」というような…細かくは覚えていませんが、そういったニュアンスのことを聞いて、まあそれもそうかと。自分がほめる側の時に謙遜されるよりは少し照れながらありがとうと言われた方がうれしいなと思いますしね。ほめたら照れる人かわいくて好きです。

 それ以来どうにかこうにか自分のなかの自分と戦いながら、ほめられたときにありがとうと返す作戦を実行しています。めちゃくちゃ難しいですけどね。でもそういうのが自己有用感を高めるのに役立ったりするのかな~なんて考えながら研修を終えました。

 また結局なんの話なん?という感じ&長くなってしまいましたが、自己肯定感あげてこ!自分大事に!命とメンタル大事に!というお話でした。

 明日はどんな内容かな~! ではまた明日(*‘ω‘ *)!

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