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やっぱり、生きてこそ

こんな記事を見つけたために、日曜日の朝から色んなことを思い出している。

記事の内容は横に置いておく。

30年前、学生だった私は、卒業論文で『三島由紀夫の死生観について』書いた。
それを思い出したのだ。
短大だったので四年生の大学で求められる半分の量で良かった。
20歳の私は、あのとき、どうしてそんなものを書いたんだったか。


当時、三島由紀夫の本ばかり読んでいたら、父親が軽く心配していたのを思い出す。
三島由紀夫のセンセーショナルな最期から、【偏った思想の持ち主】だと危険視する人もいただろう。
(ご心配なく。あなたの娘は極右でも極左でもなく、極寒のシベリア並みに冷えきったメンタルの持ち主です。誰かに影響されることなんてありません。)

卒論の内容は、たしか…。
思想どうこうではなく、作品どうこうでもなく、【死生観は性癖による】といったハナシだった気がする。
そう、性癖を掘り下げたのだ。
ほざいていたなあ。。。

三島由紀夫に興味を持ったのは、たまたまどこかに置いてあった【ご自由にどうぞ】的な本を持ち帰ったことによる。
【永すぎた春】という小説だったと思う。
(内容は1ミリも覚えていない。)
そのとき高校生だった私は『え、これ男が書いたの?』と驚いたのだ。
それから色々な作品を読んで、三島由紀夫という作家は、ひどくコンプレックスの強い、頭の良すぎる、雄々しい男性に憧れる【両刀使い】のモヤシ君なんだな、という印象を持ったのだ。(バイセクシャルという言葉を当時知らなかった。)

そのイメージとあまりにもかけ離れた死に方を知って、卒論のテーマにしたんだと思う。

きっと稚拙でどうしようもない論文だったろう。


三島由紀夫が割腹自殺した日(昭和45年)の新聞には、三島由紀夫の首がちゃんと写っていたっけ。画像が荒いので耐えうるのか、そういう時代だったのか。

日本の未来を憂いていた人だけれど、そのやり方は、やっぱり死ぬほどのコンプレックスから来るような気がするのは今でも変わらない。

あの頭の良さを生かして、いくらでも世の中に訴えることはできたろうし、いくらでも、どうにでも、なんにでもなれただろうに。
あまりにも純粋すぎやしないか。

生きていてくれたらなあ、と思ってしまう人物のひとりだ。
いい作品を、たくさん書いてくれたかも知れないのになぁ。
時代が変わって、美輪明宏と面白いテレビ番組でもやってたかも知れないのになぁ。


#三島由紀夫
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#死生観
#性癖



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