彼氏の元カノが気になる


本当になんとも情けない題名だなと思うけれど、インターネット最大の利点であろう匿名という特性を利用してありのままを書いてみようと思う。

彼氏にだいぶ付き合いの長い元カノがいたことは知っていたけれど、最近なんと不運なことに、たまたまその方のお写真を目にする機会があって、相当メンタルにきてしまっている。
その方はなんとまあ、「かわいらしい」人だった。
写真だけでわかる、人の良さそうな笑顔と、すべすべなお肌と、親しみやすさを感じる愛嬌のあるお顔と、とにかく「モテそう」な人だった。

わたしはわりと、嫉妬しやすいタイプだと思う。
というか、あまり自分に自信がない。


私は男の子にチヤホヤされ始めた時期が遅かった。
身なりを気にし始めたり、性格が丸くなった大学から少しずつ私の事が好きと言っている人を風の噂で耳にしたりするようになったけれど、それまでは全くなかった。だから、男の人と無縁、というよりは、男友達はたくさんいたけど恋愛対象に入らないという(無縁より辛い事実なんじゃないか説)時期の方が、男の人に好かれるようになった時期より圧倒的に長い。だから、無意識のうちに「モテない」というのが本当の私の姿であると、そういう固定概念がある。
つまり、恋愛において本当に自信がない。


大学に入ってチヤホヤされるようになって、晴れて私は「モテる」という印象を周りに抱いてもらえるようになったのだが、私は自分がモテるようになった理由を知っている。
なんというか、自分が1番可愛く見えるであろうキャラを理解したのだ。私は昔からポワッとして見えるとか不思議ちゃんとかフワフワしてそうとかそう言われることが多いのだけれど、本当は全然そんな人じゃない。嫌いな人は多いし負けず嫌いだし口は悪いしふざけるのが大好きで、加えて走り方は変だし声も大きいし笑い方は下品だし脱毛も(脱毛?)してないししたくない。(なんの話?)ただ、頭は回ってるのに話すのが苦手だから、自分では繋がっている話なのに相手からしたら突拍子もないことを言っていると受け取られて、その結果「天然」といわれることが本当によくある。
それをされるたび、負けず嫌いな私はいつも反論していたのだけれど、それをさっぱりやめてみたのだ。
「ポワポワしてみえる」に、自分を寄せるようになった。ただそうしただけで、本当に簡単に言い寄られることが増えた。私という人間の根本は何も変わっていないというのに。


「外側しか変えていない+飾らずに過ごしていた期間は本当にモテなかった+しかもその期間の方が長い」の方程式の答えは、「私のこと好きって言ってくれる人も、本当の私を見たらみんなすきじゃなくなるんだろうな」というかなり厄介なものになった。


冒頭に戻るが、彼氏の元カノは、本当に本当に「可愛らしい」感じの人で、モテそうな人だった。

なんだか、私が無理して手に入れているものを最初から持っている人のような感じがしたし、しかもそういう人を彼氏が選んでる時点で、やっぱりわたしの「外側」が好きだったんだ、と感じられてめちゃくちゃ萎えた。わたしは彼氏の前で「かわいこぶる」ということせず素でいられることがとても居心地良かったのだけれど、そうすることが恐怖になった。
その元カノと彼氏は仲が悪くなって別れたわけじゃないことを知っていたし、わたしがこのまま素を出し続けて「かわいい女の子」じゃなくなったら、離れていってしまうような気がする。

みなさん、本当に、彼氏の友達のインスタは見てもいいことがないので見ないようにしてくださいね。

じゃなくて。

そうやって元カノのことを気にしている私も嫌だし、劣等感をいだくのもかっこわるいし、本当に情けない自分と何日間も対話してわかったことは、その元カノはもう、過去のはなしであるというそんな当たり前なことだった。

今付き合ってるのは私だし、元カノのことなんかどうでも良くなるくらい私のことを好きになってもらうチャンスを今持ってるのは誰?という話である。


わたしはただ、自分の恋愛における自信のなさを、彼氏に補ってもらうことばかりに意識が向いていたのである。
「可愛らしい子」よりも「私の素を好きだと証明して欲しい」それを彼氏に求めても本当に無駄で、なぜなら、「可愛らしい子」よりも「私の素」が劣っていると思い込んでいるのは彼氏ではなく私だからだ。

し、私はその元カノと出会ったことがない。だから、実際どんな人なのかわからない。その方が「可愛らしい子」と決めつけてるのは他の誰でもなく私で、なんでその方を「可愛らしい子」と定義してしまっているのかというと、「わたし」が、「可愛らしい子」にコンプレックスを抱いているからであって、そこには彼氏もその元カノも、もはやもう存在していないのである。


私は自分のことが結構好きだと思う。
なぜなら、こんな醜い感情にも逃げずに向き合えるし、弱い自分を認めようとする努力ができるからだ。

私は必死に生きていて、その必死さは「可愛らしい」とは程遠い存在なのだけれど、その「必死さが好きだ」と言ってくれた彼氏を、決して忘れないようにしなくちゃいけないのに、なんで余裕がなくなるとそんなこともすぐに忘れてしまうのかな。


彼氏は、というか友達も、親も、他人は全て自分の欠点を補うための存在ではない。
自分の欠点は自分で補わないといけない。

どうしてこうも、そんな当たり前で大切なことを、私はすっぽり簡単に忘れてしまうのだろう。


正直、元カノなんてものは私にとっては虚像だった。会ったこともないし、想像上の人でしかないのに、そんなものと自分を比べても自分が嫌いになるだけに決まってる。なぜなら無意識のうちに、その虚像を完全無敵な人物に自分の想像力が仕立て上げてしまっているからだ。


大事なのは、目の前にいる彼氏、その人。


よしよし。少しずつ醜い感情をリリースすることができてきた。。


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