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愛さないからずるいんだ


何かを愛するという行為は、実は誰かから愛されるよりも難しい。
人は人に愛されたくて悩むし、苦しむし、躍起になったりするけれど、その前に自分は誰かをきちんと愛せているのだろうか?という点を忘れがちだ。
傷つくのを恐れて誰にも愛を与えられずにいるのに欲しがるなんて、なんて虫のいい話なんだろうか。


「愛さないからずるいんだ」


今週はこの言葉を何度も何度も頭の奥で反芻しては、本当にその通りだなと噛み締める1週間だった。


これはあるドラマのセリフだ。
「僕はずるい人なんだろうか」と悩める主人公に、
「あなたは愛さないからずるいのよ」と登場人物が答えた。


また今週は、ずっとずっと見たいと思いながらも先延ばしにしてるうちにだんだん大ごとになってきたドライブマイカーを見に行った。
ドライブマイカーのテーマはきっと主人公の損失と再生だったのだろうけど、冒頭の言葉もよく当てはまるような映画だったと思う。


「愛さないからずるいんだ」


ここまで読んでなんの話?となってきただろうから具体的な話をすると……例えば恋愛について。

恋人にどれほど好かれてるかを気にして相手を試してみたり意地を張ってみたり、友達に恋人を下げて話してみたり。


それはすごくずるい行為だなと思う。
自分の恋人にくらい、自分の好きな人にくらい、愛を欲しがる前に自分から与えるべきなんじゃないだろうか。


大人の恋愛はとても難しい。
みんな程よく賢くなっているから本心に何枚もの鎧を着せて自分が傷つかないよう傷つかないように立ち振る舞うし、どうとでも取れるような曖昧な文章で相手を誘ったり、誰にでも言っていそうな言葉で好意を伝えたりする。


けれど、好きな人にくらい傷つくことなんか覚悟して好意を伝えたいものだなと思う。
馬鹿にされたとしてもずるい人になるくらいなら傷つく方がマシだと思う。


たとえ傷ついたとしても、それでいいと思えるような相手に恋をしたい。


ここまで書いて本当に、本当に私はずるい人になりたくないんだなあと思った。
とても難しいことだと知っているけれど、欲しがる前にまず与えられる人になりたいし、傷つくのを恐れて日陰でチャンスをおろおろと待つよりも、ちゃんと日向に出て自分の綺麗な気持ちは正直に相手に伝えてあげられる人になりたいなあと思った。


私はこんな決意表明をnoteに書いてしまうくらいまだまだ子供だけれど、自分が子供で幾分足りていない人間であることに気づけてる事に対しては褒めてあげたいところでもある。


2022年で25歳になる私だけれど、素直で居続けられる努力していきたいと思う



<「愛さないからずるんだ」5:30〜>



<悲しみにも耐えて誰かに与えるために労働し続ければ、あの世に行った時にやっと神様は私たちのことを慰めてくれるのです。そして私たちは、そこでやっと幸せになることができる。私そう信じてるの/ドライブマイカー>


<人生を幸せにしたければ、人を助けなさい/中国の諺>

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