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年間場所数に思うこと

  年六場所が定着して随分と歳月が過ぎたがふと思うのだ。場所数の減少により、力士のケガの減少と治療期間の確保が保てると。また稽古期間が延びるため力士が自分の型を持ちやすいのではないかということだ。

  年二場所時代の双葉山は稽古に精を出して、自分の型を習得した。長期間の巡業での山稽古は過酷そのものであった。「三年先の稽古」とよくいわれたものだが、現代のような環境では難しいだろう。さらに場所数の減少により力士はより場所にかける思いが強くなるだろう。番付の上昇の機会が減少するからで、年二場所に当てはめればチャンスは二回しかないことになる。

   興行数が多くて喜ぶのは見る側だけだ。協会側も収入など考えなくてはいけないだろうが、看板力士の誕生には必要な改革かもしれない。

 とはいえ、現状の年六場所から、減らすことは非現実でもある。また、あくまでも、私の意見は力士の怪我というところに焦点を当てたまでで、場所数減少によるデメリットには触れていない。

  デメリットといえば、まっさきに収入面の減少が挙げられる。場所を開催すれば、チケット代はもちろんのこと、それに伴う、交通機関の利用による経済効果、グッズ販売による臨時収入と、付加価値が加わる。

 また、地方場所では場所前に現地入りし、長年お世話になっている土地で稽古したり、地域住民との交流が生まれる。
それは、大相撲発展への重要な要素となる。その交流では、親方がスカウトの目を聞かせていることも珍しくなく、未来の横綱が生まれることだってなきにしもあらずである。
  また、長年培ってきた大相撲の文化継承に巡業は欠かせなく、地方場所開催に伴う、交流は準巡業のようなものと言える。

   今後、休場力士が頻繁に出ることが当たり前な時代になるかもしれない。その時に、一度、場所数減少について、考えを巡らせてみるのも良いかもしれない。

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