ナチ党を調べることの危険性の話
もともと興味はあれどあまり詳しく知らなかった、ナチスドイツという国。
アドルフ・ヒトラーが政権を持っていたのは約12年(1933〜1945)という短命な国家。その間のドイツ国旗は鉤十字でした。
短命にも関わらず「歴史上最悪」と呼ばれた、そんな彼らを考えてるうちに、私はふと思ったのです。
なぜ人々は彼らを支持したのか?
批判するだけなら簡単だよね、と思い、私は出来るだけ「当時の人々の気持ちになる」という手段を試したかった。
だいたい8年くらい前だろうか。そのために、彼らが結果として後世に遺した、当時最先端の技術でもある「映像、音声」をメインに知っていくことにしたんですね。
やはり映像は本とは全く異なる。
人々の表情、顔の動き、仕草や雰囲気、声の抑揚、空気も見聞きして、一部ではあるけど感じ取ることが出来る。
そして、どんな人かを「ナチ党の人間の立場から見る」ということもしたかった
歴史を学ぶ上で、出来るだけ様々な角度から見るというのは基本中の基本です。
誰か一方からだけの視点では、偏った見方しか出来なくなる。ユダヤ人の立場、民衆の立場からだけではなく、権力者となるナチ党の人々の視点も借りたかった。
そんなこんなで、30本以上のドキュメンタリー番組を見たと思います。
スピーチも聞きました。全ては無理でしたが。
わが闘争は難解で上巻までしか読めなかったものの、「普通の人より少しだけ詳しい」程度の知識は身に付いた。
でも、全然足りてない。これ以上は困難だと思った理由としては「このままやると危険」と判断したためです。
彼らの話を、当時世界恐慌で苦しい民衆の立場で聞くと、まあ恐ろしいことに物凄く惹きつけられる理由を体感しました。
もちろん私は同意など出来ないけれど「これは食いつく人が出るな」と感覚でわかりました。
それだけヒトラーたちのスピーチには言葉選び、声の抑揚、仕草が計算されていたということです。
ヒトラーやゲッベルスは、宣伝の天才でしたからね。
そして、今でもネオナチが彼らを支持するのも世界恐慌当時と似た理由からです。
何かしら苦しいから、そこにすがる。仕事だったり経済だったり、そういう人をうまいこと洗脳する。
私は私をあまり信用していません。これ以上やると取り込まれるかもしれないと思ったのです。
今はそうでも無くなったので改めて少しずつ調べることがあるけれど、「ミイラ取りがミイラになる」とはよく言ったものだなと感じます。
国民を洗脳した彼らの恐ろしいまでの執念や才能は、決してバカにできないものです。
サッダーム・フセインはナチスを参考にしたとの話ですし、やはり有効なのでしょう。
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