見出し画像

ゲッベルスから学ぶ「差別が生んだ差別主義」2

前回の続き。

ナチスドイツ宣伝相・ヨーゼフ・ゲッベルスは幼い時の小児麻痺(ポリオ)のために、生涯に渡って右足を引きずって歩くことを強いられた身体障碍者であった。
当時は今より遥かに障碍者への風当たりは強く、またゲッベルス本人は自身のこの障碍に対しても強い憎悪を抱いていたという。

ゲッベルスは兄2人、妹1人がいる4人兄妹であることも、コンプレックスや憎悪に拍車がかかった理由と思われる。
やはり、きょうだいの存在はどうしても「比較する・される」ことになってしまう。自分でも比較するし、他人からも比較対象になる。

更には、博士号を得るほど優秀でも、作家としては失敗している。人生において挫折した経験も関係あるだろうと私は考えている。


私個人は、ゲッベルスの障碍も見た目も気にならない。だが本人は気にしていたし、世間も風当たりが強かった。
それはどうにもならないことで、仕方のないことだったと考えられる。コンプレックスは本人次第でもあるが、時代も明らかに悪かった。

画像1

まぁ、それでもゲッベルスは権力者となり、マグダと結婚し、6人の子どもにも恵まれている。
なお、マグダ・ゲッベルスは再婚で、前夫との間には大きな息子もいた。それでもマグダと結婚したかったらしい。理由はよくわからないが、好みは人それぞれだ。

なお、ゲッベルスはやはり「古い人」なので、家族に関する価値観は極めて古風。
ざっくり言うと「男性が社会を引っ張る。でも、産むのは女性」といった、まぁ古い価値観である。当時はこれが当たり前に近かったので仕方のない部分はあるが、やがてナチス式の優生思想にも繋がっていくあたり、やはり罪深い。


何しろゲッベルスは「プロパガンダ・マシーン」である。

「水晶の夜(クリスタル・ナハト。)」はゲッベルスが扇動したことで引き起こしたも同然であり、同時に彼が犯した最も重い罪とされる。
これで死者900人、収容所送り3万人近く、他ガラスを割られ損害を被った人が多数。
ゲッベルスがユダヤ人青年による大使館員殺害事件を事実と虚構を上手く混ぜて大袈裟に報道させ、親衛隊が道端で叫んで煽り、突撃隊が先陣を切り、一般民衆も多数が扇動に乗っかって暴動に参加している。

また、ゲッベルスは世論調査をするためなどに諜報部隊も抱えていた。
彼の世論調査とは「飲食店など、道行く人の話をこっそり聞く」という、シンプルでありながら全体主義国家で最も的確で有効な世論調査を実施していた。

彼の他にもアルフレート・ローゼンベルクといったプロパガンダ担当もいるが、やはり一番優秀なのはゲッベルスで間違いない。

画像2

そんなゲッベルスの最期は「妻子との一家心中」であった。いや、ヒトラーとの心中と言っても良い。

ヒトラーがエーファ・ブラウンと自殺をした翌日、ゲッベルスはヒトラーの遺言に従うことをせず、後を追うことを選んだ。まず6人の子ども達を毒で死なせ、マグダと自らも自殺。
1945年当時、ゲッベルスと、この幼く可愛らしい子ども達の死は世界に衝撃を与えた。

更にソ連兵にゲッベルスは遺体を焼かれ、そのあまりにも残酷な姿は私に大きなトラウマを与えた。

なお、写真の一番後ろにいるのはマグダと前夫との間に生まれた息子であり、合成したものらしい。当時彼は第二次世界大戦に兵士として参戦していた。

このため、ゲッベルスの直系血族は存在しない。

画像3


ゲッベルスを見ていると、差別や憎悪が、新たな差別と憎悪を生む土壌なのだと思わされる。
結果として彼は、自身と家族のことを含め、とんでもない悲劇を生むことを手伝ったのだから。

生まれた時代があと50年遅ければ、こんなことにはならなかったのにとか、考えても無駄なことも私は時々思う。

ヒトラーに熱狂し、ヒトラーにその才能を捧げ、ヒトラーの後を追う、ヒトラーに人生の多くを捧げたゲッベルス。

せめて、この悲劇を繰り返すことの無いようにするためにも、彼の存在を語り継ぐ必要がある。
優生思想を根絶することは、悲劇を根絶することに繋がるはずだ。


参考資料番組

ナチスの興亡シリーズ(ナショジオ)
我が闘争(ヒストリーチャンネル)
ナチス権力者 究極の悪(ヒストリーチャンネル)
黙示録シリーズ、第二次世界大戦編(ナショジオ)
ナチスドイツの巨大建造物「プロパガンダ・マシーン」(ナショジオ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?