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大好きな親が毒親なんて①
こどもはみんな母親が大好き
私は、母が大好きでした。
母に辛いことがあれば話を聞きました。
母が怒れば母の言うとうりにしました。
母が私を否定すればそれを受け入れ自分を変えようと努力もしてきました。
無意識のうちに母の望むようなことを察知して行動していました。
ですがいつまで経っても母の望み通りの人間になんてなれないのです。
私と母は別の人間ですからね。
幼少期
幼少期の母との記憶はほぼ覚えてないです。
何かしようとすると下唇を噛み目を見開き無言でやめなさいと伝えるような記憶しかないです。
普通がどんな思い出があるのかわからないのですが、思い浮かぶのは笑顔の母ではありません。遊んだりもしたんでしょうが、お出かけは父とか祖母とでした。公園に行ったりもなかったです。
ですが母なりには愛してくれていたんだとおもいます。
小学生〜低学年編〜
小学生に上がって妹が生まれました。それはそれは嬉しくて赤ちゃんができたと聞いた時とっても嬉しかったです。
父と母が名前を考えている時私にも案を聞かれたのでその当時1番可愛いと思っていた名前を伝えました。
母は「自分より可愛い名前にされるのが嫌なんだろうね」と父と話していました。
すごくショックだったのを覚えています。
私はその名前が良いと思って言っていたし、自分より可愛い名前が嫌なんてこれっぽっちも思っていませんでした。私の可愛いと思っていた名前は、母にとってはダメだったんだと言うことだけは分かりました。
妹が生まれる前は祖父母と同居していましたが、いろいろあり生まれる頃には同居解消していました。私は、おばあちゃん大好きだったので寂しかったです。この事は追々書こうと思います。
妹は、可愛くって自分からオムツを変えたりミルクをあげるのを手伝ったり楽しくお世話もしていました。
今でも妹とは仲良しでランチやショッピングに行くこともあります。
この頃から赤ちゃん中心の生活になり嬉しかったものの寂しい思いもしていました。
妹が大きくなり一緒に遊べるようになると
「お姉ちゃんなんだから!」と怒られることが増えました。
たとえ妹が悪い場合でも
「お姉ちゃんなんだから譲りなさい。」
「お姉ちゃんなんだからやってあげなさい。」
「お姉ちゃんなんだから当たり前でしょ。」
と言われ始めます。
つづきます
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