『希望と絶望』を見てから『摩擦係数』の見方が変わった話
※日記の体をした自分語りブログです
(誰にとってかっこ悪い?自意識過剰って笑われるぜ!)
『希望と絶望』のネタバレをある程度含みますが、この作品は前情報や感想を仕入れてから見たほうが良いと思う。解釈の余裕が出るという意味でも、免疫という意味でも。
今回の経緯
時は2022年7月。
自分が関西に越してから2年と少しが経つ。諸事情で関東への復帰がほぼ確実となったので、お世話になった西のオタクに挨拶をと思い連絡した。
最近はお互いに坂道を何かと夏油傑に引き付けて考え込んだり、ラヴィットの坂道枠とその曜日の出演芸人の並びが気になったりしており、"我こそは坂道オタク"という感じでもない時期が続いていた。そこで共通の話題とっかかりとして良いのではと、『希望と絶望』視聴語りオフが爆誕した(とっかかりが重すぎるってばよ)(オフの存在自体が摩擦)。
内容はこんな感じ。(ちなみに我々には前作の感想共有通話でキレ散らかした前科がある。代理センターのくだり。満場一致でキレてるのおもろ)
そしてこのタイミングで櫻坂のアルバム曲『摩擦係数』が公開され、久々に高クオリティの作品で殴られた状態でオタクとエンカウントに成功した(殴るより殴られろ)。ほんと君叱 ってか期以来に騒いでる。というかそこも歌詞が良いのが主でMVとのマッチ度とかまで含めるとなぜ恋以来かもしれない。
『摩擦係数』の解釈(ぼく視点)
まず前提として、『希望と絶望』視聴前の自分の『摩擦係数』の捉え方をシェアしたい。
端的に言うと以下の2点だと思っていて、
・不器用賛歌
・アンチ『沈黙は金』
これに尽きる。非常に強いイデオロギー(これが良いですよねという押し)が含まれている。
(ただそれが櫻本人の試行錯誤として映り、康の説教には感じられないのは非常に上手くできてる)
正式な歌詞カードが無い状態での編集にはなるが、象徴的な部分を引用したい。
当たり障りなくやっていくことの違和感、ある程度の摩擦の先にある充実みたいなものが語られている。
安全なものしか許容されないのはおかしい、ある程度ケガをしながら変化していく。そういう話だと思う。
個人的に全肯定オタクへの違和感みたいなものもあったので、この曲に非常に親和性を感じて聴き込んでいた。
楽しくいられるコンテンツに人が集まるのは当然で、でもそれは低いところに水が流れていくようなもので物理に素直なだけだ。文化的、人間的に構築された信念や価値に拘ってやっていく強さは煙たがられるだけなんだろうか?
推しに少しでもノイズ(精神不調、恋愛スキャンダル)が入ると耐えられず離れていくのはオタクなのか?
『摩擦係数』というメガネで見た『希望と絶望』
そんなこんなで西のオタクと合流(オフ初対面)(???)し、映画を見た。
映画館っていろんな情報入ってきて良いですね。ONE PIECEも気になるし、ポケモンの再上映企画は見逃せない。ディアルガvsパルキアvsダークライは特に愛萌推しには見てほしい。
以下感想整理。どうしても見てないとよく分からない文章にはなってしまうと思う。
冒頭佐々木久美の「物語として解釈されるのはちょっと…」というところから始まる。ドキュメンタリーひっくり返されましたけども。
摩擦係数として最も注目したのが、小坂菜緒だ。
あの雰囲気、顔つきを見てほしい。あれは体調不良なのだろうか?飼いならしきれない自己と、止めどなく加速度的に進んでいく日向坂46との静かな摩擦が蓄積された結果なのではないか。
摩擦というのは汗水垂らして、疲労してというものだけではない。(物理的な摩擦の中進み続ける方向では加藤史帆が象徴的にピックアップされているのでそちらも見てほしい。むしろそれを前提に小坂の摩擦を整理していく。)
映画ではかなりはっきりと大人とメンバー(運営と演者)のすれ違いが提示される。ライブのセトリひとつ取っても、メンバー側の「外仕事が増えて練習時間が確保できてない状態で?」「野外ライブで体力的に厳しいのに?」「ほんとに衣装替えとか考慮して組んでるの?」といった感覚は運営側に共有できていなかった。
もちろん運営って誰のこと?という点は常にあるが、今野氏含め数名、大きなライブの様子だけ視察して「パフォーマンスが悪い」と総括し「もっと基礎体力作りを」というソリューションを提示してメンバーから不評を買うシーンは散見された。
彼ら(立場のある中年男性、オタクから勝手に言わせてもらうと「体育会系根性論が抜けきらないおじさん運営陣」)がレッスンやリハーサルの様子やそこでの課題感、メンバーが抱えるスケジュールや体調都合を注視しているような描写は少なくとも目立たなかった。
個人的には彼らだって同じ視点に立って状況を理解すれば手を打つんだと思う。でも非術師には呪霊が見えない以上、そんな未来は無い。強調するが彼らが無能というよりは組織が構造的な問題を抱えており、少なくとも映画ではそういう役だったよねという話(これを公開するんだからそこは評価したい)。
トップとの意志のすれ違い、これは重大な精神的摩擦を生む。何のためにこんな厳しいセトリで、どんどん忙しくなるテレビ出演とライブどっちを優先すればいいの、そういった疑問が払拭されないまま物理的な摩擦の中を走り続けることはできない。
これは自分の小坂菜緒観なのだが、
・自分のいる場所に縛られず、俯瞰的な立場をとれる(おそらく数多の本を読んできた結果)
・今この時に拘らず、いずれ滅びるもの生まれるものに意識がある(恐竜の話)
という特徴が、誰より早く日向坂の構造的問題を肌で感じさせたのではないだろうか。この意味で、長濱ねるとかなり特徴が近い(小坂のサステナビリティについていつか語りたい)。
両生類は水と空気、どちらの汚染にも反応しいち早く環境変化の影響を受けると言われている。まずカエルが消え、その後にヘビや魚が消えていく。水と空気、どちらも澄んでいなければ白い雪は降らない。
改めて、体調不良という言葉が意味するものは何だろう。この映画が追ってきた期間で、何人も休業に入るメンバーが出たのは偶然ではない。
つまり、日向坂の摩擦係数が高まったというのが自分の見解だ。
ではそれはどのような摩擦なのか?
摩擦のある状態が成長を促し、望ましいのではなかったか?
どのような摩擦があり、どう向き合うか。
『希望と絶望』を見終え、わかったことがある。
摩擦から逃げ見てみぬふりをするのも良くないが、摩擦の中にいればいい訳でもない。
ということだ。これはがむしゃらな走り込みでは50mのタイムは伸び止まるのに似ている。果敢に摩擦と削り合い、最終的には改善・克服しなければならない。そうでなければただ削られるだけで、信念も成就しない。
とりわけ精神的な摩擦については目の前の課題をただ砕いていくだけでは解消しないことが多いのではないだろうか。
メンバー内に不満が溜まっている状態について佐々木久美が「各々ワーワー言ってるだけだとただそれまでだけど、私がキャプテンとしてまずメンバーの意見をまとめて、その後それについて大人と相談する」「今までは与えられた試練を乗り越えていくだけだったけど、ライブの内容とか含めメンバー(演者)も一緒に話しながら作っていくのが大切」といった趣旨のことを言うシーンがあり、個人的には最大の収穫だった。それが出来ていなかったシーンが入っているのも、(運営陣含め)もう克服に動き始めているからかもしれない。
高校の物理の授業で、"仕事"について習ったのを覚えている。どんなに力を加えても、物体を動かすに至らない場合は仕事としては0だと聞き、物理の世界はなんと無情なんだと思った。
だが、実世界も無情なのかもしれない。精神的な摩擦を生んでいる構造を取り除くためには、どのように力を加えれば正解なのだろうか?おそらく、正解の見えないまま試すしかないシーンがほとんどだろう。物体を動かすに至らず、仕事0の烙印を押される努力が山のようにあるに違いない。
ドキュメンタリーは最後、最初の「物語として扱うのはどうなのか」というところに戻ってくる。つまり、最初からどう力を加えればいいかなんて分からない。色々試して、たまたまそうなったものを後から解釈して「物語」は語られるのではないか。
以前から自分は「日向(ひらがな)は直線的」と言ってきた。だがそれは建前の話で、摩擦の中を生きるメンバーたちは試行錯誤しながら進んでいることがよく分かった。確かに漢字はその建前すら設けなかったというのはあるが、自分の認識が甘かったと反省したい。
そしてその大義名分であったドームが果たされた今、日向坂も(というかメンバーはもとよりなのでおひさまも)ゴールの無い中をやっていくことになる。そしてこのタイミングでこのようなドキュメンタリー作品が出ることを喜ばしく思うことを残して、このnote本編は締めくくりとさせてもらう。
最後にこうやって試行錯誤していくのを見守ってくれるフォロワー、気分転換に付き合ってくれる知人友人にスペシャルサンクス。
おまけ
個人的な評価基準でしかないが、摩擦係数とドキュメンタリーの佐々木久美を見ていて以下の構図が浮かんだ。
①摩擦を見ないフリをし、ただ課題に取り組む人
②摩擦から逃げない人
③摩擦の解消を目指す人
①のままでは②になれず、②だけでは③を満たさない構造だ。
だが、どれを目指すのが1番幸福なんだろうと。
ちょうどドキュメンタリーの監督によるスペースがあり、メンバーがバタバタ倒れていった時期でも特に問題なく精力的に活動しているメンバーもいたとのことだ。つまりこれは①だ。摩擦を見ないフリと書いたが、そもそも摩擦を感じないタイプもいるだろう(精神的な摩擦と無縁の人とか)。そうであれば、個人として②や③を目指す必要はない。チームに③を担ってくれる人がいて、物理的な摩擦がある程度緩和できればそれでいい。
だが自分はそうはなれない。問題は②に留まってしまうこと、いや幸福でいながら②でいられるかという点だ。
不機嫌でいるために摩擦と向き合い続けるのだろうか?彼はいつまで殴られ続ける?
③のソリューションを模索するやり方も、佐々木久美と比べると夏油は相当に不器用だ。②ではダメだと決意し③に移行するタイミングが若すぎたのはあるかもしれないが、人を頼るのが下手。
そして③に入った夏油も、なんというか『摩擦係数』のるんと比べると試行錯誤の楽しみみたいなものが欠如している。夏油は義務に忠実で、(MV上のキャラとしての)るんは楽しさに忠実だ(界隈語で言う真人)。
夏油はやかんのお湯のような熱さを抱えているイメージで、るんはクソ暑い夏。
だいいち仕事の例えで言うと百鬼夜行までは"動いていない"わけで、これでは試行錯誤も何もない。
つまり個人的には③が望ましいと思うものの、そのやり方にも工夫が必要ということだ。楽しんでそれを継続できるような何かが。
自分語りに戻るが、ここまで2年間関西でリモートワークしてきて自分は何から楽しさを得てきただろうか。そう思った時にやはり関東の親族や友人知人が浮かんだ。それに近いところでやっていくのが良いんだと思う。
この自分の選択に「逃げなのでは」という疑念が少しあったのだが、ドキュメンタリーでの小坂の選択を見て心持ちが変わった。何のために摩擦から逃げないのか。摩擦を解消するという長いスパンで考えるからこそ、まず続けていくために一旦距離を取り知恵を蓄える。その間は周りに任せ、いけそうな環境が整ったら再チャレンジする。それが良い。だから、ペース落として。
おまけのおまけ
ここでYou Tubeの凶悪なサジェストによりブチ込まれた一曲を紹介したいと思う。(クリーピーナッツの話でも影響したか?まじでアルゴリズムとは思えない)(うごメモテイストくそ懐かし)
摩擦係数も行くところまで行くとウンともスンとも動かせなくなる。
なんですかこの五条袈裟のキャラは
いや五条は摩擦を無視するが???
おしまい
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