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カルマとは何か【魂の神秘学】

なんかアレですね。ワードプレスの自分のブログサイトでの記事更新をやめて、当面はnoteに一本化しようかな、と。あっちは色々なコンテンツ、サービスの案内などの実装ページですね。

色々と思うところもありましてね。googleにドメインパワーを落とされて(笑)、SEO対策を色々としたが、手間のわりには効果がイマイチ。なので、ブログ(記事)機能のみ当面noteで代替する予定だ。

まぁそんなわけで当面、こちらにスピブログの更新をゆずります。



カルマとはなんぞや。

ということで、改めまして。宗教性の非常に高い言葉だが、今回はこの業(カルマ)というものを考えてみよう。

某グループの楽曲名にもあるように、わりと普通に聴く言葉ではある。なんとなく意味も掴んで口にしている人も多いだろう。だが、本当にカルマという法則、あるいは現象はあるのかと言われると、よくわからないと言うだろう。

そしてさらになんのためにそんな法則だか現象があるのか、ますます意味は分からないに違いない。

まぁそんな前振りをしつつ、カルマとはなんぞや、ということを考えていこう。

で、カルマを考えていくと、一旦この言葉の発祥の—厳密にはヒンドゥーだと思うが—仏教用語として考えると、基本的には「行為」を意味する。しかし坊さんも含めて、より広義に「因果応報」といった意味で用いているように思う。


しかし、因果応報は「過去および前世の行為の善悪に応じて現在の幸・不幸の果報があり、現在の行為に応じて未来の果報が生ずること。」(グーグル日本語辞書のOxford Languagesによる定義)とされる。


なるほど、と思う一方で足りない。その法則がなんであるのか。どこに向かっているのかまで考えられていないのだ。

カルマはこの三次元世界においては物理として現れている。善因善果、悪因悪果のような価値判断もなく、石を投げれば落ちるといった具合だ。善因であれば落ちない、ということはない。

機械的だ。

それゆえによりシンプルに「原因と結果の法則」と考える方がまずは良いと思う。しかしそれだとそれこそ本当に物理と何が違うのだ、と言われるだろう。

実は違わない。

カルマの法則とは物理なのだ。三次元において現れている物のことわり。物理法則である。これがカルマだ。

しかし物理法則は三次元の法則だ。観測できるのが三次元だから。しかし霊的次元といわれる世界まで観測できる能力を持つ者たちはさらに詳細にこの「物理法則」を観測し、研究してきた。

そのうえで20世紀最高の霊性の師と言われた神秘家ダスカロスの定義をおれは好む。

カルマとは、

「永遠のパーソナリティと

 現在のパーソナリティとの距離である」

と彼は言ったわけ。


永遠のパーソナリティってのは、

この用語に慣れていない人のためにいうと、

その人の本当の自分な。


とりあえず、

輪廻した過去・現在・未来を見通している自分の人格・知性の最終形態

と思ってくれればいい。

もっとイージーに言うなら

高次の自己、

ってところか。


なんかスピ用語っぽくていやだけど。

ほんでな。

「人生」ってのは、

色んな出来事を通して、

現在のパーソナリティ(霊性のレベル)を

この永遠のパーナリティに近づけ、

一体化させるためにある。


永遠の人格は、

霊性進化のために

必要なことを人生に

次々に起こしていくのだ。


基本、永遠のパーソナリティは、

「自分」にたいして厳しい。


いつだってハードモードな

トライアルをブチこんでくる。

そして日々起こる出来事にたいする、

「感情の反応」今の自分のレベルを表している。


あるトラブルにたいして、そのとき自分はどう思い、

どう感じ、

どう行動したのか。


それこそが、

自分を示している。

「いくらなんでも理不尽だ!」

と怒り、嘆いたのか。

「そんなのないよ」

とひたすら自己憐憫に陥り

愚痴を続けたのか。


恐怖、混乱、

とにかく放棄して逃げたのか。


よくスピな人がいう、

過去世はどうだったとか、

波動が高くてウンチャララ、とかとか。


そんなのではない。


自分の反応(感情)の中にこそ

自分の本当の霊性の段階が現れるのだ。


とはいえ

霊性の高さは点数や

五段階評価とか付けられる

ものじゃねぇよな。

そう言いたいのもわかる。


ただ、自分の内面(感情)の反応が

どこまで真摯で、誠実で、

何より愛に近いものか、

という視点で分析すれば、

「高さ」は自然と見えてくるだろう。


無理無理自分の感情の反応を

「こうあるべき」でコントロール

しようとしても

それは失敗に終わるだろう。


自然と「霊性が高い状態の者なら

起こるであろう反応を取れる」

在り方にしていく。

そのためには何をどうすればいいのか。


そんな発想と探求に切り替わっていくとき、

おもちゃのような

「スピリチュアル」

に埋没していた人たちも、

まっとーに自分を成長させる

スピリチュアルへと移り変わって

いくのだけどな。

と、そんな話でしたとさ。


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