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自分の欠損を受け入れるだけではなく。月星座の話に関連して。

★写真は夏の庭に生えてたお花。アプリで調べたらYellow bugleと出たが詳細はよく分かりません。水もない岩場の隙間に花を咲かせてくれた愛いヤツ。

ちょっと、ちゃんとまとめて書こう、と思ってることがあって
こう言う事って、そう思った時にすぐに書かないと、
三日で賞味期限が切れてしまう。
言葉や思考はすぐに風化したり、摩耗したりしてしまう。
やや、躊躇する気持ちが有って一晩寝かしたけど、今日書かなかったら、また書きたくなる気持ちになるまで、またうんと時間がかかるだろう、と言う気がするので、まあ、アップロードするかどうかは置いといて、書き始めてみた。

水曜日にYOGAスタジオへ行ったら、たまたま参加者があんまりいなくて、
仲良しのPちゃんと私と先導役のシュレちゃんだけ。

雑談の中でシュレちゃんが体験した、ちょっとショックな事件を聴いていて
誰も悪くないけど、誰もが傷ついてしまう様な物事は、どこででも起きうる。シュレちゃん的にも、そこから何が学べるのか、そこに潜む自分へのメッセージは何なのか、と言う見方をし慣れているので
話の焦点はそっちに移っていったなり。

そんな中で、仲良しのPちゃんが言ったセリフが、話の内容とは別に、ある種のショックを私に齎せてくれた。
なんと言うか、その日の話題はどうでも、私にとっては、そのセリフに出会うためにその日があった、といっても過言ではない。
私に向かって鏡を差し出して、さあ、あなたはどお?と言われた様な気がした。つーか、私は私が彼女にそれを言って貰うためにそこに居たってことなんだ、きっと。

彼女はね、こう言ったの。
「私は冷たそうに見えるでしょ?誰にでもニコニコ心開いたふりなんてしないし、だって元々本当に冷たい人間だもの。誰かと距離を取る必要があったら、すぐにそれをするし、躊躇しないわ。でも、私の事を信頼して、私を好きだって言ってくれる人達にとって、私のこの冷たさは魅力でもあるのよ。
そう言う人達とだけ付き合っていけばいいだけなの。」と
衒いなく言葉にした。

ああ、そうか、と。

私は、ADHD気質でエネルギー過多でいささかバランスの悪い子供だったので、いつも周囲に気を配って、悪い評価を受けないようにビクビクしてる様なところがあったなり。
抜けてるところやガサツな部分で、意図せずに人を不快にさせてしまうこともよくあったし、その度にそれを、大失敗、として自己嫌悪してきた。

日本で働いている時も、他人軸であたふたして、結局、燃え尽き症候群的な状態で、トルコまで嫁に来た。

エネルギー過多な私は、まるで中から魔法の様に水が湧き出る水差しのようで、周囲に水が少なくなったコップの持ち主がいれば嬉々として水を注いできた。御礼を言われたり、感謝されたり、時に逆に水を入れてくれる人も現れて、そう言うやり取りには無上の快感があった。だから基本は性善説で生きてくることが出来た。時に、お節介丸出しで求めてもいない人に水を注ぎに行くこともあって、なぜ、そこまで?と、周囲に違和感を持たれることもあったくらい。

時々、その時の、あの必死さを振り返ってみる。

ここで、マドモアゼル愛先生の月星座の話になるんだけど
私の月星座はうお座で、執着の在り処の一つに「良い人だと思われたい」
酷い人間だと思われる事への恐怖が絶大にある、と書いてあって。
まさに!

自分の水差しから周囲へ水を注いで廻っているうちは、そしてそれに感謝されて、良い人だと言う評価を獲得出来ているうちは問題ないんだけど
自分の水が減ってきたり、明らかに全く感謝も注目もされず、評価をしてくれない人と居る時の焦燥感が、もう、全くコントロール不能。
社会人として燃え尽き症候群に陥った、あのサイクルにまた巻き込まれてしまう。

自分を守るために、そんな人から離れればいいんだけなんだけど
「良い人」でいたい自分の執着が絶対それをさせない。
いかに献身的に自己犠牲的に自分を差し出すか、と言う、その魔のサイクルから抜け出す方法が見つからない。

どんどん消耗していく。

結論から言うと
ある種の底付き体験を手にして
「ああ、そうですよ!私は冷たくて嫌な人間で悪人なんですよ!それがどうした!」と開き直ることが出来た。

それは、もう、本当に人生の大転換だった。
私は私自身が自らを評価してあげれば、ちゃんと自分で完結出来る。

その境地を一度、経験して体感した後の毎日は
本当に自由で、快適で、生き易くなった。
好きな時に好きな人へ好きなだけ水を注いで廻ればいいだけで
注がねばならない、と言う義務感に支配される必要はない。
私は自由だ。
自分の冷たさも、私の一部であることを、自分で許して受け入れられた。

それと並行して
周囲の人との関係が、以前よりもっと親密になって
心を開いて、人と付き合う事が怖くなくなった。
何かあったら、執着せずに、すぐに引く、
そう言う境界線が自分の中にあると信じられるようになったから。

それでも、その自分の「冷たさ」を「魅力である」と衒いなく言葉に出来る境地とはほど遠かった。

そうなんだ。

ただ、諦めて、受け入れて、認めるだけじゃなくて
それは「魅力」なんだ!

その視点は全くなかった。

もちろん、だからと言って
周囲に冷たくして回る、と言うことではないんだけど
自分の欠損を、誇る境地までいくってことが
月星座のネガティブを本当の意味で味方につけるって事なんだな。

そんな大きな気づきをPちゃんから齎されて
今週は週初めから、とってもエキサイティングなスタートだった。

ああ、何とか短いながら、書きたい事が記事としてまとまったな。
これなら、そのままアップ出来る。ちょっとほっとした。

カッパドキアから愛をこめて
全ての友人たちに健康と幸運を!

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