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舞台「永遠を、愛を誓います。」感想&考察

 2023年9月23日(土)・24日(日)にアトリエ第Q芸術で上演されたシーリア企画イマジライズ プロジェクト Vol.1「永遠を、愛を誓います。」の舞台を観劇してきたので、感想と考察っぽいものまとめてみた。

▼イマジライズとは
舞台、漫画、映像、写真、小説など様々な表現媒体で、 視点を変えて展開し、“覗き見る“ことで「余白」を想像する作品プロジェクト。

https://eienwo-aiwochikaimasu.themedia.jp/(2023/10/13最終確認)

概要

 感染するとゾンビになる新型ウイルスが蔓延した世界で、感染者である渚(須藤叶希)とその恋人である明希(律人)の二人を描いた物語。作中ではゾンビパニックや大きな事件が起こるというより、徐々に症状が進行していく渚と彼女に寄り添う明希のやり取りが丁寧に描かれる。

 このプロジェクトの面白いところは、1つの脚本を元に舞台だけでなく映像や漫画、小説など様々な形で作品が展開されるという、メディア横断作品だということ。
 例えば映像では渚だけが登場し、舞台と同じストーリーが彼女の視点で進む(YouTubeで全7話公開中)ほか、漫画では脚本には描かれていない二人の遊園地デートが描かれたり(各電子書籍サイトで販売中)、設計図(パンフレット)に収録された小説ではふたりの出会いから馴れ初めが書かれている。
 これらの様々な媒体で二人の姿を「“覗き見る“ことで「余白」を想像する作品プロジェクト」とのことだが、その言葉通りまさしく「覗き見る」舞台だった。

とにかく席が近い

 どれくらい近いかというと、これくらい↓

 前列は足を伸ばせばすぐ絨毯に届くくらいの近さ。なんなら手前の席に人がいたら、絨毯の上を踏まないと奥の席に行けないくらい。それが3方向に設けられ、席の位置によって観られる構図が全く異なる。ある席では見えなかった役者の表情が別の席ではよく見えるなど、異なる方向から観ることで新たな発見がいくつもあり、一度でも観たらリピート必至の舞台設計。

 さらに台詞も、普通の舞台なら絶対聞き取れないだろうというくらいのささやき声もあり、本当に二人だけで話しているかのようで。

 部屋の中の二人の様子を「覗き見」ている、そんな観劇体験だった。

観客は壁・家具

 前回のシーリア企画主催舞台「テイクアウトできますか?」もだいぶ席が近かったけど、それでもステージと客席という境界はかろうじてあった。しかし今回の舞台はステージの中に入り込んでしまったような、まるでその舞台上の世界の一部になってしまったような感覚を味わった。

 百合オタク界隈ではよく推しカプの部屋の壁になりたいと言うけれど、まさに我々観客は上演中、部屋の壁であり、家具であった。私は冷蔵庫であり、窓であり、テレビであった。

演技がすごい

 舞台の前に公開された短編映画で大まかな雰囲気やストーリーは知っていたけれど、カットされた映像ではなく途切れなく目の前で展開される舞台は、生身の役者の演技と存在感によってそこに作品世界を現出させていた。

 感染してまだ間もない前半は、それほど深刻な雰囲気にもならず二人がイチャイチャする様子や笑いを眺めながら、マスクの下でニヤニヤしていられた。
 しかし後半では空気がガラッと変わり、ずっと重く、苦しくなる。そのスイッチを切り替えたのが、ラジコンで動く鶏だった。唐突なそれはギャグのようにも見えて最初は笑いすら起きるのだけれど、照明や音響の不自然な派手さや鶏を追いかける渚の異様な明るさに次第に違和感を覚え始め、段々と空気が緊張を帯びてくる。この切り替えの演出、演技のおかげで、より舞台の世界に引き込まれていった。

 渚役の須藤叶希さんは前回の「テイクアウトできますか?」を見て好きになったのだけれど、明希役の律人さんもすごく良かった。

 渚の症状が進行し、正気を無くしたことを明希が悟る場面。子どものように無邪気に笑う渚に対し、明希の顔からは表情が消え、絶望に凍り付いたように動かない。その瞬間、彼女の張り詰めた緊張に、それまでの幸せに満ちた時間が終わりを告げたことを知る。あの空気の変貌が毎度苦しい。
 そこからの明希の姿は悲痛そのもので。
 渚が起きている間は気丈に振る舞いながらも、彼女が眠りにつくと音もなく慟哭し、大粒の涙を落とす。
 生レバーを渚に食べさせる場面も、演技としては平静にしているのだけれど、ナイフとフォークが皿に直接ぶつかる無機質で耳障りな音に明希の苛立ちが込められているような気がした。

 演劇の素人である自分には演技力の巧拙なんてものはわからないけれど、公演ごとに変わるアドリブの自然さは、役としての明希と渚ではなく、本物の二人がそこにいるように思えて、良い意味で演技を感じさせなかった。

スタッフもすごい

 舞台を作るのは表に立つ役者だけではない。照明や音響、美術など様々な裏方がいて初めて成り立つ。特に本舞台は細かいところまで照明や音響が活かされていた。

 例えば冷蔵庫を開ける・卵にヒビを入れ、割るなど、様々な細かい動作にまで音が当てられており、設計図(パンフレット)では殺陣のようだと語られていたけれど、まさに言い得て妙。昔、学校の演劇部の手伝いで音響を担当したことがあるが、BGMだけでもタイミングがすごく難しいのに、それを合図もなしにピタリと当ててくるのだから、プロというのは本当にすごい。

 照明もテレビのザッピングやカーテンの開閉、果ては時間の経過まで幅広い演出を表現していた。

 そして何より本舞台だけでなくシーリア企画の代名詞ともいうべきが、rio.さんによるピアノ伴奏。しかも毎回即興で、譜面台に置かれているのは楽譜ではなく台本という、まさに舞台のための演奏。それを暗転中に演奏しているのだから、指が覚えるくらい何度も練習したんじゃないかと思ってしまうのだけれど、一つとして同じ演奏はなく、それでいて一つとして違和感なく舞台の世界を彩っている。もう、この音楽感覚は想像すらできない。

設計図(パンフレット)がヤバい

 すごいじゃなくて、もはや”ヤバい”。
 いわゆるパンフレットなのだけれど、ただのパンフレットじゃない。作品紹介や出演者のインタビューなど定番の内容だけにとどまらず、二人の出会いを書いた小説、付き合う前の二人を描いた漫画、写真、イラスト、設定、果ては稽古場での会話まで収録したその名の通り「設計図」。まさにイマジライズプロジェクトが凝縮された一冊。

 読むなら絶対舞台を観た後だけれど、読んだら絶対もう一度舞台を観たくなるくらい、作品への理解が深まる。実際、読んだ後の2回目の方が1回目よりさらに感情移入してしまって、すごく胸に突き刺さって涙腺崩壊した。

 ところで最初と最後の見開きの写真、特に最初の方の二人の足が明らかに黒ずんでいるように見える。もしこの黒ずみが壊死を表わしているのだとしたら、この写真は感染が進行した舞台後の二人を表わしているのではないだろうか……そんなことを考え、ホテルの部屋で一人悲鳴を上げた。

同人誌もヤバい

 舞台では行った後の話しかなかった遊園地デートを描いたのが、この同人誌。表紙の指輪からもわかるように、この時に明希が渚にプロポーズをし、永遠の愛を誓い合った二人の幸せが描かれている。百合漫画界でも有名な大沢やよい先生初の同人誌であり、電子版で購入できるので舞台は観ていなくてもこれだけは読んだという人も多いのではないだろうか。

 実はこの同人誌、劇場では紙媒体で販売されていたのだけれど、電子版にはない描き下ろしイラストがある。それは手を縄で縛られ、ボロボロになった渚を明希が抱きしめているという、漫画本編の幸福の絶頂から一転して胸を締め付けられる号泣必至の一枚で、これだけでもう電子だけでなく紙を買う十分な理由になる、のだが。
 最も注目すべきは、裏表紙。
 表表紙と同じ構図なのでさらっと見飛ばしてしまいやすい。そのラフ画がこちら↓

 あぁ~幸せの絶頂ぉ~と本編を読んで噛みしめ、最後の一枚絵にボロ泣きし、ズタズタにされた情緒は、この裏表紙によって完全に破壊された。

 やっぱり、明希には渚を恐ろしいと思う気持ちもあったのだと思う。恋人が変わっていくこと、失うことだけでなく、襲われることへの恐怖。 だから、いよいよ幻覚を見始めた渚を縄で縛ったし、通報しようともした。それは、もう自分の手には負えないと一瞬でも思ったから。

 とにかく人の情緒を破壊し、いかに苦しめるかを考えられた一冊だった。しまいにはもしあの指輪が、痩せ細って肉が腐った指から外れ落ちてしまったら、と脳裏に浮かんでしまった妄想に自分で深く傷つくなどした。

深読み考察――衣装について

 初見時からずっと気になっていたのが衣装。なぜ渚は真っ白で明希が真っ黒なのか。渚は映画の最後も白だったからそれに合わせて、その対となるように明希は黒にしたのかもしれないけど、それ以外の意味も読み取れるのではなかろうか。
 たとえば渚は小説で「天使」と評されている。他にも花嫁衣装はウェディングドレスや白無垢など、白が主である。でも白い衣装といえばそれだけじゃない。
 死装束も白だ。

 このように渚のイメージカラーは色んな意味で白だと思うのだけれど、ではなぜ明希が黒なのか。私は、彼女の感情が黒という色に表わされているのではないかと思う。
 解釈違いも多分に含まれているかもしれないが、明希という人物は小説の中で別れた恋人との指輪を失くしただけで取り乱すくらい過去を引きずっていると描かれていることから、自分の中に芯を持つより何かに依存しやすい、暗い鬱々とした感情を溜め込みやすいタイプなのだと思う。そして今、その依存相手である渚がゾンビになろうとしていて、もちろん彼女を愛しているという気持ちが最も強いことには違いないだろうけど、悲しい、不安、怖い、という負の感情もあるはずで。その中には渚=依存相手を失うことの恐怖という、エゴのような気持ちも(無自覚にせよ)あるのではなかろうか。
 そう考えると、「どうしろっていうのよ!」という悲痛な叫びが、正気を失おうとしている渚のことだけじゃなく、彼女を失った後の自分のことも裏では指しているんじゃないかと思えてきて。 相手への純粋な想いだけではない、淀んだ感情が明希の中にあって、それが衣装の黒に表わされていると感じる。

 設計図の中の登場人物設定に渚は「気丈に振る舞い、明希の負担を減らしたい。」と書かれているように、彼女はずっと明希のことを考えていて、感染させないように気を付けているけれど、明希はそれを冗談交じりにも拒否していて、意地悪な言い方をすると渚の気持ちを蔑ろにしている。
 明希が本当に渚の想いを尊重するなら、自分だけでも助かる道を選ぶべきなのだけれど、結局ふたり道連れになることを選び、一人で生きることを拒否する。
 まるで自分のことばかり優先する身勝手な人のように見えるけどそうではなくて、渚を愛しているからこそ、破滅の道を選ぶことが出来る、のだと思う。

 そんなことをつらつら呟いていたら、本作を生み出した脚本担当の白瀬一華先生がこんな気になることを。

 「即興鍵盤弾き狂い」ことrio.さんの衣装は、黒いワンピースだった。それは、渚の白いワンピースと明希の黒を掛け合わせたようなものと言える。だが、その色は黒一色ではなく、白いネックレスがついていた。そこから連想されたのは、陰陽魚太極図に描かれる陰中の陽。
 rio.さんの演奏は度々暗転した中で行われる。音楽のことはよくわからないけれど、暗闇に流れるピアノの音は、もの悲しさもありながら二人に寄り添 う優しさもあるような、何とも不思議な音色だったように思う。
 希望も救いもない、絶望的な運命だけれども。
 それ一色ではないと。
 あの、暗闇の中の誓いのように。

永遠とは、愛とは、

 永遠とは、愛とは。そんなの簡単には言い表せないことだけれど、少なくとも二人が誓い合った愛は、あの世界で確かに、永遠となった。美しい舞台の上の世界。現実ではこうはいかない。
 最期を描かず、誓いの言葉で幕を下ろしたからこそ、二人の愛は永遠となった。

 終わることで完成する。
 終わることで永遠となる。
 逆説的だけれども。


eterno
[形]
1 ⸨+名詞名詞+⸩ ⸨ser+永遠の,永久の;終わりのない;〈価値が〉長く続く,不朽の.
jurar el amor eterno|永遠の愛を誓う.

コトバンク 小学館 西和中辞典 第2版(2023/10/13最終確認)

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