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受動的な衝撃


noteに載せようと思ってず~っと下書きに眠っていたものです、。
書いたのは2月15日。
時系列前後しますがお許しくださいませ。


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デンマークに来て3週間弱


なにか、驚くほどに日常生活。


15歳のときに単身NZへ3週間ほど留学したことがある。あの時はほぼほぼ初めての海外ということもあり何から何まで衝撃で、異国の地で生活するだけで刺激をもらえた。本当にしんどかった。あんなに長い3週間はもうないんじゃないかってくらい。だけど、いわゆる”視野が広がった“とかそういう体験が受動的にできた。

あの時の衝撃や苦しみは、また“外国”に住めば味わえるものだと思っていた。


だけどまったくない。驚くべきほどに。


あんなに憧れていたヨーロッパの景色は30分もたてばあっさり日常となり、まるで日本の中で引っ越したかのような感覚。


原因はいろいろ考えられる、周りに心を許す日本人がいるとか、あの時に比べれば英語が分かるとか、スマホで何でも調べられる、とか


だけどこのあまりにも普通の日常生活。いいことなのか悪いことなのか、、、


ここ数年自分の中で大事にしてきたことがある。
「価値観を狭く持たないこと」「自分の価値観に当てはまらないものに対して拒絶しないこと、言い換えれば多様性に対して理由もなく否定的にならないこと(多様性という言葉は嫌いなのだけれども)」


この考え方が功を奏したのかもしれない。暮らしの中の違いも“そういうもの”として受け入れられているから。そう考えるといいことなのか。


でも、実はもっともっと吸収して消化できることがそこここに散らばっているのに、全く拾えてないのかもと考えると焦っているというのが実際のところ。

自ら足を運んで能動的に衝撃を受けるなんていくらでもできる。これから沢山する予定。


でも、そうじゃなくて、もっと受動的な、日常生活に潜む刺激、衝撃が欲しいなあという思い、そして焦り。


意識から変えてみよう。

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