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コロナでデンマーク留学が終わるまで

はじめに

みなさんこんにちは。これが初投稿です!本来1発目の記事は自己紹介とかにすべきなのでしょうが、下書きを書いている間にあれよあれよと留学終了、帰国となってしまいました...

簡単に自己紹介すると、私は大阪の大学で経済学を学ぶ4年生で、1月末よりデンマーク・コペンハーゲン大学での半年間の留学をスタートさせていました。しかし、新型コロナの影響で50日ちょっとで帰国となってしまい、現在はオンラインで留学を継続しています…

というわけで今回は、念願のデンマーク留学を開始してからたった50日で帰国要請がでるまでの、コロナウイルスを取り巻くデンマークの状況を時系列で書いていきたいと思います。
(今回は自分の心情をメインに書きました。デンマーク政府の政策に関する詳しいことはまた別の記事で書こうと思います。)

たった10日で世界が変わることを身をもって知りました。この記事を読んで、明日は我が身であることを知っていただければ幸いです。

留学開始から帰国まで

1/27(月) 留学開始
2/27(木) デンマークで1人目の感染者確認
3/9(月)   感染者数100人超え
3/10(火) フライデーバーの閉鎖発表
3/11(水) 首相1回目の会見、全教育機関2週間の休校が決定
3/13(金) 首相2回目の会見、国境封鎖を発表
3/15(日) 直行便を運航するSAS航空、フライトの順次欠航を発表
3/16(月) デンマーク感染危険レベル2へ引き上げ
3/17(火) 大学より帰国要請
同日    首相3回目の会見、日用品店以外の閉鎖を発表。実質の外出禁止
同日    感染者数1000人超え
3/20(金) デンマーク出国
3/21(土) 帰国
3/23(月) デンマーク感染危険レベル3へ引き上げ
同日    日用品店以外の閉鎖の延長を発表


1/27(月) 留学開始
 念願のデンマークへむけて出国。日本で数人目の感染者が確認されたくらいの頃。ちょうどこの日から中国からの渡航者の入国拒否開始だったこともあり空港は少し異様な雰囲気。うまいことコロナから逃れられたなあなんて思いながら、家族友人に見送られ日本を飛び立つ。

 このころはまだコロナ=中国なのでアジア人差別にはおびえながらも、楽しく留学生活をスタートさせる。
ヨーロッパはまだまだ他人事だが、なんだかんだいっても友人との話の話題はコロナで持ち切りだった。

2/27(木) コロナ上陸
 留学開始から1か月後、ついにデンマークで1人目の感染者が確認されるが、1人→2人→3人→4人→4人と5日目まで感染者はほとんど増えず。初日こそ驚いたが、なんだデンマーク全然大丈夫じゃん~ラッキー~ぐらいに思う。
 しかし翌日には10人を超え、デンマークもいよいよ対岸の火事でなくなってきた。

3/4(水) 翌日からのドイツ旅行をキャンセル (感染者15人)
 デンマーク留学で楽しみにしていたことの一つが旅行、その一発目・ドイツ旅行が決まっていた。しかし前日、ドイツで突然感染者数が増え、友人と相談の末キャンセルを決意。1週間前は全然大丈夫だったのに…1週間どころか明日のことさえ予測できない。もう当面はどこにも行けないことを覚悟した。
 元々留学期間が半年間しかないから、旅行も含めてスタートダッシュを切らなきゃととても焦っていた。でもそれをコロナが阻んでくる、行動に移したくて焦る気持ちと何もできない現実との乖離が、精神的にかなりきつかった。

 デンマークで最初の症例が確認されてから12日後、3月9日 に感染者数92人(前日+149%)10日264人(前日+185%)と突如爆発的に感染者数が増えだす。いよいよ笑い事じゃなくなってきた。デンマークは人口が500万人(兵庫県とほぼ同じ)しかいないので、冷静に考えてこの人数はやばいなあと日本より深刻な状況であることを自覚する。

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(街中に保健局のポスターが貼りだされ始めた)

3/10(火) フライデーバー閉鎖を発表 (感染者264人、死者0人)
 金曜日の夜は大学構内で学科ごとに飲む文化があるが、そのフライデーバーが当分の間の閉鎖を発表。それと同時に、日本語カフェという、日本語学科の生徒と日本人留学生が週一回集う場の閉鎖も発表される。この2つは欠かさず行っていたし勉強やインターンで忙しい留学中の楽しみだったので、かなりダメージを受ける。ここでしか会わない友人も多いのでそういう人たちとはしばらく会えないのかとかなり寂しかった。ここで初めて自分の生活に支障をきたした。

3/11(水) 首相1回目の会見 (感染者516人、死者0人)
 首相が初めて会見を開き、この先2週間の措置が発表される。内容は以下の通り

・全教育機関休校
・美術館博物館、図書館、レジャー施設の閉館
・公務員自宅待機
・民間企業の在宅勤務推奨
・保育所など全デイケアサービスの閉鎖
・100人以上のイベント、集会の禁止
・訪問看護、介護の制限
・公共交通機関の利用制限の推奨
・特別措置の賦課を可能にする緊急法の制定
・外務省、一部地域の渡航情報を危険度3へ引き上げ
・危険度の高い外国からの入国制限も検討中

 とても急だった。首相が会見を開いたかと思いきや、突然のデンマーク ”シャットダウン”。デンマーク人の友人が会見をリアルタイムで通訳してくれ、そのメッセージをフラットメイトとおびえながら読む。
さあこれからどうしようと不安と悲しみに暮れながらふと窓の外に目をやると、寮の隣のショッピングモールに入っていく大量の車が。買い占めだ。教科書で、Twitterで見ていた光景が目の前に現れる。とにかく突然のことでみんなパニックだった。別にスーパーは閉まらないのに、みんなバカだなあと思いながらトイレットペーパーを確認するとあと2ロールしかない。数秒前の軽蔑の目はどこへやら、慌ててフラットメイトと部屋を飛び出す。
 スーパーは文字通り”異様”だった。コストコぐらい大きいスーパーだが、見る見る間に商品がなくなっていく。なんとかトイレットペーパーはゲットできたが、レジにたどり着くまで1時間かかった。
拡大防止策発表直後にみんなが一堂に会してウイルスの巣窟となっている光景はなんとも皮肉で滑稽だった。

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(写真の一番奥がレジでそこまで長蛇の列)

 そんな感じで突然始まった隔離生活、インターン先の仕事と授業の予復習で時間を潰す。幸いにもフラットメイト4人とても仲が良かったので、昼夜は一緒に作って食べた。友人たちとも家で集まるのは大丈夫だよねって感じで、宅飲みとかは開催していた。
 外の状況はというと、メトロや電車を使う人は格段に減っていたし、街も以前に比べたらかなり静かになったけど、ちょくちょく店とかは開いていた。

3/13(金) 首相2回目の会見、国境封鎖を発表 (ロックダウン2日後 | 感染者804人、死者1人)
 友人たちと家で集まって飲んでいた時に会見が始まった。どうやら国境が封鎖されるらしい。外国人である私たちにはあんまり関係なさそうだけど、事態はどんどん深刻化していて、それと共に間違いなく強制帰国の可能性が見えてきた。
 飲み会中はことあるごとに「いやでもどうせ私たち日本帰るから(笑)」「これFarewell Partyだね(笑)」なんて冗談で言いまくっていた。あくまで冗談。

 そうこうしている間にも他国から来た友人たちはどんどん帰国していった。立地上、ヨーロッパ諸国からの留学生が多いのだけど、彼らはふらっと街に出かけるくらいのノリで荷物もほとんどおいたまま自分の国へ帰っていった。明日のことも分からない状況なので、一刻も早くデンマークをでないといけない。帰国を決めた翌日には帰ってるので、みんな事後報告だった。もう一生会えないかもしれないのに、お別れも出来ずみんな帰っていった。とても悲しかった。毎日のように会って遊んでいたみんなが一瞬にして世界中に散ってバラバラになっていく。このウイルスというのはなんとも残酷なものだ。

3/16(月) デンマーク感染危険レベル2へ引き上げ (ロックダウン5日後 | 感染者932人、死者4人)
 元々私が帰国させられるかどうかの一つの判断基準は”レベル2”だった。ほとんどの大学はレベル2になった時点で帰国要請を出すと前から言われていたし、奨学金も支給されなくなるからだ。みんなずっとレベル2になることを恐れていたが、ついにその日が来てしまった。日本人の友人たちはみな帰国の準備を始めた。
 私は大学から特に帰国要請などはされていなかったので、帰国するかとどまるかこの時点では自分で選ぶことができた。数日前からそのことしか考えられなかった。

 気持ちとしては、帰国予定である7月中旬までにコロナが収束する微かな希望を信じて残りたかった。まだデンマークに来て50日、やり残したことしかなかったから。でも実質外出はできない、友達にもほぼ会えない状態のデンマークで何ができるのか、有り余る時間を有効に使うなら当時まだ感染が拡大していなかった日本の方が良いんじゃないかと思った。
 もう一つ気がかりだったのは、日本便が順次なくなると発表されていたことだった。もし何かがあった時、例えばヨーロッパが最悪の状態になった時、例えば家族に何かがあった時、日本に帰れないかもというのはかなりきつかった。「万が一何かがあっても日本に帰ればいいや」というのが心の支えだったから。
 考えても考えても結論が出せなかった。考えすぎて頭が痛くて、でもどうすればいいか分からなくて、もう運命に身をゆだねたかった。誰かに決めてほしかった。
 壁に貼っていた留学の目標や、ノートに書いていたやりたいことリストを眺めながら、やるせなくて、涙が止まらなかった。50日じゃまだ何も達成できていない。

3/17(火) 大学から帰国要請 (ロックダウン6日後 | 感染者1024人、死者4人)
 考えても結論が出ず眠りについた翌朝、日本で所属している大学からメールを受け取った。帰国要請だ。「要請」という言葉はなんとも難しくて、結局最後の決断は自分でできる。でももう腹をくくった。「帰国しよう。」
 前日、自分じゃどう頑張っても決められなかったから、大学が要請をだしてくれたことがちょっと嬉しかったりもした。

 夜には首相が3回目の会見を開き、日用品店以外のすべての店の閉鎖が発表された。集会の禁止は100人から10人以上に変更された。ほぼ外出禁止も同然。デンマーク人たちも事態の深刻さをはっきり自覚したのか、みんなこぞって「もう会うのはやめとこう」と言った。もうここまで来たら、デンマークでは本当に何もできないので帰国を決めて正解だったかもと思った。

 

 帰国を決めれば、ここからは早かった。まずはフライトの手配。オンラインで表示されている飛行機が本当に飛ぶかどうかも分からない状況。初め日曜日のフライトを取ったが、不安だったから金曜日の便に変更した。
 フライトを変更した翌日の19日、21日午前0時以降に出発する便に関して検疫強化措置が取られることになったからそれまでに出国するようにと大学から言われた。変更後の便は20日23時45分発、15分差でぎりぎり滑り込むことが出来そうだ。冷や汗をかきまくる。
 
 毎日毎日政府や航空会社の発表におびえていて、もうなんかリアル脱出ゲームみたいだった。

 帰国を決めてから出国までわずか4日。唯一開いているスーパーでお土産を買って、借りていた自転車を返して、寮の友達と会って、パッキングをして、掃除して…コロナは最後にデンマークを楽しむことすらも許してくれない。
 出国前日自転車を返しに行った。お店の最寄り駅で降りた時、こないだまでここも Google Map がないと歩けなかったのになあ、ようやく慣れてきたのに…と思うと、急に帰国の実感が湧いて辛くなった。鬱気分なのをあざ笑うかのように春が訪れたひとけのないニューハウンの景色を、最後に脳裏に焼き付けて帰った。

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(死ぬほど鬱気分で歩いた最後のニューハウン)

 最後の夜はフラットメイトがディナーを作ってくれて、そのまま夜遅くまでトランプをして遊んだ。

3/20(金) 出国 (ロックダウン9日後 | 感染者数1335人、死者9人)
 フラットメイト1人が空港までお見送りに来てくれた。空港は危ないからいいよ、と言ったのに。この留学、本当に友人には恵まれた。

 空港も今までとは全く違った。掲示板に並ぶ「欠航」の文字。人は全然いなくて、チェックインも荷物検査も秒だった。店も開いていない中、たまたま日本人の友人数名が同じ便だったので、一緒にベンチで時間を潰す。

 飛行機もまた、乗るのが申し訳ないくらい空いていた。でもその分乗客同士が一定間隔の距離を取れるよう席に誘導してくれたので、ちょっと安心だった。
 そして予定通り23時45分に出国。なんとか脱出成功
 感傷に浸る余裕などなく、無事出国できた安堵ばかりが募る。

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(乗客がほとんどいない便内)

3/21(土) 帰国
 やっとのことで日本に帰国。検疫などは特になし。空港まで親が迎えに来てくれた。帰国準備に追われる私に代わり、フライトやホテル手配、疑問点の厚労省への確認など全部親がしてくれた。本当は感謝しなきゃいけないのに。見慣れた街並みに帰ってきたことが嫌で嫌で、娘が無事帰ってきて笑顔の親をよそに、不機嫌な自分を抑えられなかった。そんな自分にさらに嫌気がさした。

 そしてそのままホテルへ移動した。実家は狭く、私を隔離できる場所もないので、ホテルで自主隔離という形をとった。

 こうして私のデンマーク留学は、53日で幕を閉じた。

まとめ

 デンマークの状況を書こうと思ったのに、気づけば日記みたいになってしまいました。ごめんなさい...

 私が伝えたいことはただ一つ、コロナが上陸した27日からデンマークがシャットダウンされるまでわずか13日、そしてそのシャットダウンから21日の帰国まで、たったの10日しかなかったことです。
 たった数日で世界が一変しました。
 大好きな人たちとはさよならも言えずバラバラになり、街はゴーストタウン化、そして周りの人や自分がコロナにかかるかもしれない恐怖におびえることとなりました。

 私がこの記事を書こうと思ったきっかけは、日本帰国直後、あまりにも無自覚な行動をする人が多すぎる、日本はまだコロナの怖さに気づいていないと感じたからです。申し訳ないことに文章を書くのがどうも苦手でなかなか進まず、気づけば緊急事態宣言が出されるまでになってしまいましたが、、

 もうこの記事を読まずとも、皆さんコロナの怖さを十分認識していると思います。終わりの見えない外出自粛、学校にも行けず、大好きな人たちにも会えず、景気だってどうなるかわからない。不安で押しつぶされそうですが、これ以上感染者が増えないように、一刻も早くまた日常に戻れるように、今は辛抱するとき。なんとかみんなで乗り越えましょう。どうか皆さん自分の体を、そして家族を大切にしてください。

 最後に、最前線で働いてくださっている医療従事者の方々に感謝を申し上げるとともに、新型コロナで苦しんでおられる方々の一刻も早い回復をお祈りしております。

 それではまた次の記事で!

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