見出し画像

「私は男でフェミニストです」を読んで溢れてきた想いと思い出

「私は男でフェミニストです」を読む。
昨年出演した、「女は泣かない」という舞台の劇評を書いて下さった、金みんじょんさんが翻訳された本があると知ってようやく読了。


わたしの大学は女子大だったので、女性学だったりフェミニズムを学ぶ授業がたくさんあったにも関わらず、それどころじゃなかったわたしの精神状態もあり、恥ずかしながらフェミニズムという考え方をはっきりと知ったのはここ最近の話。
自分の生きづらさは、自分に原因があると信じて疑わなかったのに、フェミニズムの考えを知ったとたん、あ、なに、わたしの生きづらさって女に生まれたからだったの?
ってことに気づき、からまっていた糸がほどけるような感覚になったのを覚えている。

思えば中学のとき、クラスのある男子に「ブス」と言われ、そこからわたしのあだ名が「ブス」になった。
「ブス」だからお前のことを好きになる奴はきっと一生一人もいない、「ブス」は生きる価値がない、そう言われた。
可愛い女の子は価値があって、そうでない女の子は価値がないのか。そう思った。

少年漫画の世界でも、ちやほやされるのは可愛くてスタイルが良くて優しい女の子で、そうでない女の子は漫画の世界でもブスと罵られ、なんの価値もないように描かれ、男の性の対象になれない自分は価値がないのだ。そんな呪いを無意識のうちに思春期の自分にかけてしまっていた。

思えばいつも男性から精神的にも肉体的にも暴力を受けている。

小3の時に、性被害に遭った。
助けてくださいと言った男は、わたしに大きくなった陰茎を握らせようとした。
掴まれた手を必死に振り払い、走って逃げた。

中学ではクラスの男子に3年間ブス、キモい、死ねと言われ続けた。
やめてほしいと泣いて頼むと、お前が本当はブスじゃないから言えるんだ、本当にブスならブスと言わない。となんだかよくわからない理由でやめてくれなかった。誰も止めてくれなかった。

大学で初めて付き合った人には「お前を殺す」と脅された。同じ時期に別の男性からストーカー被害にあって同じように「お前を殺す」と脅された。

精神的におかしくなって、5年間ほぼ寝たきりになった。
周りの友達はみんなバイトをしたり、彼氏とデートをしたり、旅行に行ったりしている。わたしはずっとベッドの中だった。
睡眠薬を飲まないと眠れず、
朝が来る度に絶望した。
手首を切ったこともある。
飛び降りて死のうと思ったことも。

父はわたしが子供の頃、よくわたしを殴った。何か気にいらないことがあると殴られて、倒れたところでお腹と背中を足でひたすら蹴られた。
母は助けてくれなかった。どうして助けてくれないの?と一度だけ聞いたことがある。
「あんたが悪いんでしょ」と冷たく突き放されて、子供心に絶望した。

わたしは深く、重く、絶望的に男性を憎んでいる。それに気付いて、自分が長い間そう思っていたことを認めることが出来たのはフェミニズムの考え方を知ったから。

そしてその憎しみのもとは父にあって、それに気づくまで同じようなシーンが何度も何度も繰り返されていたのだということにようやく気づくことが出来た。

「私は男でフェミニストです」という本では、男性目線でフェミニズムについて書かれている。そこで大きく感じたのは、男性の生きづらさについてだった。
男らしくあれ、という呪いが、女らしくあれ、と同じように存在している。
そしてその呪いが結果として女性を抑圧へ導いている。

フェミニズムという言葉は本来なら存在しなくていいはずの言葉だと思う。
男であっても女であってもその両方に属していない人も、黒人も白人も、障がいのある人もみんなその人らしく生きられる世の中であれば、わざわざ平等に扱おうとしようとしなくていいのだから。

「健全な社会とは他人の痛みをうかがう人が多い社会である」という作者の言葉通り、お互いがお互いを当たり前に尊重し合い、理解し合い、愛し合える世の中を目指したい。
道のりは遠いかもしれない。こんな酷い目にあったのに、愛し合うことなんてできないと怒りに震えるかもしれない。
だけど、それでも、わたしはそこを目指して生きていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?