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春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山

持統天皇

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山

(はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすちょう あまのかぐやま)

 春が過ぎ、夏が来たらしい。真っ白な衣を干していると聞きます。あの天の香具山に。

来にけらし…に は完了、けらし は、過去(けり)と推定(らし)。らし は、確かな証拠があるときに使う推定。ここでは、白い衣が、夏が来たと推定できる確かな証拠。

白妙の…前回の投稿でも書きましたが、雪、月、雲、波などにかかる枕詞。白栲とも書き、白栲から布を作っていたそうで、衣、袖、袂などにもかかる。今回は後者ですね。

衣干す…白い衣を干しているということなので、夏の衣を干しているのでしょうか。まさか、下着が干してあることを感動的に詠んでいるとは思えませんが、その可能性を除外したとして、白い衣の謎は残ります。何のための衣?

てふ…という。夏が来たらしいわね!と季節の移り変わりに敏感に反応しておきながら、なぜ「てふ」(と言う)などとぼかした言い方になっているのか、わからないのですが。
この歌は「万葉集」にも収録されています。万葉仮名なので、何と読むのか難しい。

春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山

(はるすぎて なつきたるらし しろたえの ころもほしたり あめのかぐやま)

かっこの中のように読むのだとすると、衣干したり(衣を干しているわ!)と、ご自分の目で白い衣を確かめたことになるし、季節の変化に気づけたことへの喜びと理解できますが、わたしに想像できるのはそれぐらいです。

来たるらし と詠んでいたものを 来にけらし
衣干したり と詠んでいたものを 衣干すてふ に変えた(?)理由は?

持統天皇の時代と百人一首の編まれた時代では時代が違い、衣を干す習慣などなくなっていたから…というような解釈では、あまり納得できませんが。
来たるらし、干したり、と書いた方が、作者自身がその風景を見た様子が伝わってくるように思ってしまうのですが、そうではないニュアンスを読み取らないとダメなんでしょうね。でもわたしにはまだよく分かりません。

天の香具山…大和三山のひとつ。この歌を詠んだ人が持統天皇であるなら、「藤原宮」とされる場所の東に、天の香具山は見えました。

持統天皇

出典 新古今和歌集、百人一首2番歌

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