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私は、こうして生きてきた。#2

2020年2月、新型コロナウイルスが日本にも流行り出すなか、私は、マジで他人事のように捉えていました。

マスクしていなかったし、いつも通りに、行きつけの喫茶店やバーにも通っていました。

その時の会話「いやぁ。これは不景気になるんじゃないの~。」と軽々しくしていました。

この軽々しい気持ちが、本当に大きな「あだ」となってしまうなんて…

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私は当時、福岡市内でタクシーの運転手をしていました。
車の運転が好きな上、それまでに培ってきた接客業での経験を活かしたい!
あとは、

頑張った分だけ、いい給料がもらえる!

ということに魅力を感じ、その仕事に就きました。

そして、この年は2年目。「去年より稼ぐぞ!」と意気込んでいました。

しかし、新型コロナウイルスが福岡県内にも流行し、自粛要請が始まった3月。
本来なら送別会シーズンで、稼ぎ時のはずが、お客様は激減。。
その結果、3月の成績は最低。当然、給料も話にならないくらい落ち込みました。

そして、低調のまま迎えた4月には、
初めての緊急事態宣言が発出。

この時は、百貨店まで休業する程でした。

「もう、どうなるの?」と思っていた翌日。

発熱をしてしまいました。

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初めは37度台でしたが、翌日は38度近くまで上がりました。
しかし、普通の風邪薬を飲んだら、熱は下がりました。

だが、その後は、頭痛があったり、においがしなくなるといった症状が出て、怖くなったので、保健所に電話しました。

しかし、その時の回答は…
「熱は無いようなので、このまま自宅で休んでください。」
と、当時は本当にいっぱいいっぱいなんだなと思わせるものでした。。

でも、結局、症状は次第に回復!!
そして、5月には緊急事態宣言が解除。仕事にも復帰しました!

解除した後は、それまでをぶり返すかのように、仕事は順調で、その月の成績も年末に近い感じでした。

また、プライベートでは、感染防止に努めながら、実家の大阪へ帰省したり、県外への、ひとり旅も再開しました。

しかし、その後、第2波、第3波と襲来。
福岡県も緊急事態宣言が都度都度、発令されました。

だが、あの第1波の時のような自粛ムードじゃないことに違和感をおぼえてしまいます。まぁ、経済も大切と言いたいのは、わからなくはないです。

そして、仕事の方も悪い方向になる一方…
特に、飲食店の時短営業が、もろに響きました!!
閉店時間ラッシュの夜8時から9時までを最後に、深夜時間帯は、本当にお客様が激減しました。

一生懸命やっても、長時間働いても、いい給料がもらえない。

終わりの見えない状況に限界を感じ、
ついには、心を壊してしまいました。。

もう、仕事は月に数回休んじゃったし、心療内科に通っては抗不安剤を飲み続ける程になってしまいました。

このまま休職。も考えたのですが、

結局、

タクシーの仕事、辞めちゃいました。

例え休職したとしても、また繰り返すだろう。あとは、このご時世の終わりが見えない。
そんな中、本当に私がやりたいことを本気で考えよう。と思ったからです。 

現在は、その心を回復すべく、家ではゆっくり休み、感染状況が落ち着いている時には、ひとり旅を行っています。

その時の旅の記録をこれから発信していこう。

そう思い、noteを始めてみた次第です。

さて、次からは、いよいよ旅日記を書き始めようと思います!

よろしくお願いいたします!

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