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わたしの耳事情とかわいい

コーヒーチェーン店のスターバックスが今月27日、「手話店舗」をオープンする。

場所は東京都国立市。JR国立駅の商業施設”nonowa国立”の店舗のひとつとして、日本での最初の一歩を踏み出すようだ。

手話店舗(世界では「サイニング・ストア」と呼ばれているらしい)は、2016年マレーシアのクアラルンプールにオープンした。その後、アメリカのワシントン、中国の広州、マレーシアのペナン島と店舗が増え、現在は世界で4店舗ある。店内でのやり取りは手話や筆談が中心であり、「静かなスタバ」として人気を集めているらしい。

「STARBUCKS」のロゴには指文字がデザインされ、かわいいと話題になっている。そうか、指文字ってかわいいんだ。どうしても指文字や手話は聴覚障害者の使う言語という後ろ向きなイメージが払拭されなかったのだが、かわいいんだ。かわいくていいんだ、と嬉しくなる。

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「障害者」と聞くとなんとなく構えてしまう。この条件反射はいったいいつ、どこで身についたものなのだろう。そんな教育は受けてきていないはずなのに、人間に生まれながらに備わっているものなのかと思ってしまうほど皆程度の差こそあれ気持ちが重たくなってしまう。

わたし自身もそうだ。

聴覚障害者、と一言で言ってもその症状は千差万別である。そんなこと、自分がその立場にならなければわからなかった。

わたしは7年前に左耳が突発性難聴になり、聴力が急落した。治療したものの聴力は戻らないまま、左右の聴こえに差がある生活を続けるも慣れず、聴覚過敏が出たり、めまいを引き起こす原因になっている。

左右で聴こえが違うので、騒がしいところではなかなか会話が聞き取りにくかったり、マスクで口元が隠れていると話している内容がわからない。機械音などの聞き取りがうまくできずに、お店での呼びかけに気づかない。もともと好きだった音楽はただの判別ができない音たちになってやめた。

それでも、口元や目線、身体の向きや周りの人の動きを見ればなんとなくわかるもので、なんとなく、で済んできていた。手話を学んでも、相手が手話を知らなきゃ仕方がないと、手話の浸透率が低いことを言い訳にして指文字を覚えるくらいしかしていない。音楽も別になくても死なないことがわかった。

生きにくいけど、死ぬわけじゃない。でも皆みたいに楽しめない。ぱっと見てもわかる障害ではないし、この症状を人に話した途端にその人との距離が一生縮まることがなくなるような気がして聴こえているふりをして生きてきた。

ただ、じわじわとそんな自分の環境に心と身体が蝕まれていくのがわかって、自分が嫌になって、去年の年末に体調を崩した。

ちょっと面倒なわたしの身体だけど、こうして生きていかなきゃいけないんだわ〜と思って諦めていた。諦観も大事ね、と思って。

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サイニング・ストアのオープンに尽力してくれた方々は、わたしと似た環境、もっとつらい環境の方ばかりだと思う(障害の程度に比較はいけないと思っているけど、多大なる尊敬の意をこめて)。

多様な人々が自分らしく過ごし活動できる居場所の実現を目指して、そして障害の有無関係なく、店舗に来た人すべてが気づきを得られる場になるように、という思いでこの時勢の中オープンに至ったというそのエネルギーに敬意しか生まれない。

聴覚障害を持っている人なら感じたことのあるもどかしさを解消するように指差しやデジタルサイネージを導入、自分の注文した商品がどの工程にあって、完成までの順番を確認できるなどなど…かゆいところに手が届きまくっている。

その中でも、一番感動したのは最初にも書いたとおり、そんな聴覚障害者のツールである手話や指文字を「かわいい」という最強ポジティブワードに押し上げてくれたこと。

デザインでもなんでもいいから、健常者の世界にぽんっとノンストレスで入り込んだことは、スタバの持つブランド力だけではなくて、そこに裏打ちされたスタッフの方のエネルギーの賜物だ。

ダイバーシティ、インクルージョンなどいろんな建前ワードばかりが先行してしまうけど、共存ってこういうところから生まれてくるのだと思う。

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