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誰かがランプを灯すこの世界で

高校生の時、私は吹奏楽部だった。
中学生の時に美術部だったこともあり、定期演奏会ではパンフレットの表紙絵などを任されることが多かった。そして、最後の定演。描いたのは空飛ぶクジラがランプの周りをふわりと泳ぐ絵。そして裏表紙にはこう記した。

私たちが住む世界はいつも誰かが灯した温かい明かりで照らされている。だから少し疲れてしまった日や、辛くて涙が零れそうな日はその灯りを道標に歩いていったらいい。そしてその灯りのひとつが音楽なのだと思う。
歌でコミュニケーションを取るクジラたちのように私たちもきっと、音楽で繋がっている。

こんな風に音楽を伝えたかった。
だけど、この言葉が使われることはなかった。2020年、コロナウイルスの流行によって私たちの定期演奏会もなくなった。
私たちの音楽は、私の言葉は、みんなの元へ届かなかった。

あれから1年。
私は大学生になった。けれど原則対面で行われるはずだった大学の授業は、またしてもコロナの影響で半分オンラインへ。その準備のため、入学してからわずか1週間で大学は臨時休講となってしまった。
今の世の中、私のようなもどかしい思いをしている人なんて星の数ほどいると思う。それどころかもっともっと辛い思いをしている人がたくさんいるはずだ。
当たり前が当たり前でなくなってしまった今の時代。マスクをせずにみんなで過ごしたあの日々がまるで遠い昔に見た夢のように感じる。

夢、なのだろうか。夢かもしれない。今となっては元の日常に戻ることが私たちが目指す夢なのだろう。きっと。

なんだか暗くなってしまった。違う。私はただでさえ暗いこの時代の暗い夜にこんな暗い話をしたいわけではない。
思い出したのだ。
この前、大学の授業で作文を書いた。その時に内容が思い浮かばなくてふと、思い出した内容を書いたのだ。それは、ちょうど去年の休校が終わる頃。高校3年の5月の末。私がスマホのメモに残していた文章だった。これに関しては次の記事に載せたいなあと思っている。
コロナ禍だからこそ、気付けることもあると信じたい。私は私の信じた道を行きたい。

この世界ではいつも誰かがランプを灯してくれていると思うのだ。こぼれた涙を拭って空を見上げた人が、また前を向いて歩いて行こうと思えるように。そして私たちは、そのランプを見つける側であると同時に、灯す側でもあると思うのだ。私は、誰かにとってのランプになりたいと思う。だってコロナ禍こそ、その灯りが必要になると思うから。みんなで今は少し我慢して、きっと来る新しい明るい未来を迎えに行こう。

明けない夜はない。からね。絶対に。

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