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札幌で劇場版輪るピングドラムが見られる運命に乗り換えた話

行かないつもりでいたが

2022年3月頃、自分は浮かれていた。
もうすぐ「輪るピングドラム」の劇場版、前編が見られるのである。

「輪るピングドラム」は、文字通り自分の人生を変えたアニメだ。
紀元前・紀元後のように自分の人生にはピングドラム前・ピングドラム後がある。

仕事でヘロヘロだった頃、会社のオタク友達の先輩に「ウテナって見てた?絶対好きそうなアニメあるんだけど見てみない?」と言われたのがきっかけ。

そのときにもう2話が放映していたのだけど、1話は視聴無料で2話は見逃し配信で見たはず。本当に間に合ってよかったと思う。

今回の主眼はそこではないので割愛するが、毎週毎週ピングドラムを見るために生きて、行きと帰りに一番くじを引くために出勤し、最終回を見た後はしばらく何も手につかず、その後東京に行き聖地巡礼もした。

この一年、クラファンが成功してピングドラムが話題にのぼり盛り上がりを見せていてとてもわくわくしていた。
何せ当初一千万円の目標だっがのがすぐに達成し、結果として一億円以上が集まり前後編に分けて映画をやることになったのだ。
自分もクラファン当日に申し込みをしたがその勢いは見ていて爽快というかちょっと驚いた。
スタバのドライブスルーで車内に乗っている一番くじB賞のぬいぐるみを見た店員さんに「今度またやりますよね!?」って声をかけてもらったこともあった。
パソコンに貼ったステッカーを見て「一挙放送見ました!」と声をかけてくれる人もいた。

「そのステッカークラファンのなんですね」
「そう、試写会つきのコースで他にもいろいろついてて。でも、試写会は今のところやめておこうかなと思っていて」

札幌から試写会に行くには飛行機に乗らなければいけない。
コロナ禍の中である。クラファンしたときから覚悟はしていたけれど、やっぱり状況は劇的には変わらなかったので、試写会には行かないつもりでいた。

いたのだ。

プロジェクトM始動

さて劇場版公開が迫ったある日、シアター情報が公開された。
ホームページを開いて自分は愕然とした。

「宮城から始まってる……?」

嫌な予感に胸を支配されつつも、ページを閉じてもう一度アクセスしてみた。
宮城から始まっている。

そう、北海道の公開劇場がないのである!!!

この時点で他の都道府県に住んでいるフォロワーさんたちからも嘆きの声が上がっていた。
隣の県に行かないと見られない、という人は多かった。
同時に「公開前、もしくは公開後もう少し劇場が増えるはず」という冷静な声も聞こえてきた。

そ、そうだよな。せめて札幌ではやってくれるよな。
札幌以外に住んでいる人には失礼な思考だが、そう考えていた。

ライブや演劇の「4大都市ツアー!」では入っていないことも多い札幌。
5大都市でも、含まれていないときもある。冬は飛行機が飛ばないことも多いし仕方ないのだろう。
だが、映画は見られなかった、という経験はない。公開すぐとは行かなくても後から見られようになることは多い。焦るな焦るな、と言い聞かせる。

だが、不安な気持ちは拭えない。ここで決意を固める。
「試写会、行くか……!!」
行く予定のなかった試写会に行くことにしたのである。

その後、北海道も無事公開劇場が増えた。
旭川と北見である。

「札幌で公開しないなんておかしくねえええええ!!!????」

パカっと開いた床に落ちていく晶ちゃん並みの声が出た。

繰り返すが、札幌以外を過小に評価しているのではない。しかし、人口的に考えておかしいものはおかしい。

公開劇場的にどうやらイオンシネマ系列であるということはわかった。
だが、イオンは江別にも小樽にもあるのである。どちらも札幌の隣の都市だ。列車ですぐ行ける。なぜ!?

毎日「ピングドラム 札幌」で検索して、自分と同じように阿鼻叫喚の叫びを上げている人を観察して慰められるという趣味の悪いことをしていた。ごめんなさい。

「大丈夫、試写会に行って1回見て、それから気長に札幌が増えるのを待つのよ!」

ゆりさんに嫉妬して暴走寸前ギリギリの初期苹果ちゃんのように自分に言い聞かせる。

自分は好きな映画は繰り返し劇場で見たい派なので最低2回は見る気でいたのだ。
1回目は試写会で。2回目は劇場が増えたら見ればいい。

が……試写会の前に、社内で体調を崩した人が出た。

幸い陰性だったのだが、周りの目もあり自分自身もビクビクしながら行くことに耐えられそうになかったので飛行機と宿泊をキャンセルした。なんだか逆にスッキリした。

祈りを込めてムビチケを2つ購入したパソコン画面を見つめながら、「これは愛の試練!デスティニー!」と呟く。

劇場は結局、旭川と北見以上には増えなかった。

「行くしかないわ……旭川か北見!!!」

そう、ここにプロジェクトMーーMovieのMーーが始まったのだ。

リアルユリ熊嵐!

前編のサブタイトルは「君の列車は生存戦略」。

しかし自分の場合は「君の車は生存戦略」。そう、自家用車で旭川まで行くことにした。
コロナの影響を引きずり、公共交通機関が少々憚られたのである。

長距離の運転は経験がないわけではないが、そこまで慣れていない。
夜に運転しない旅程を組んだ。
何せ、北海道の夜の道は野生動物が出る。特に恐ろしいのが滅多にないとは思うのだが、最近出没が増えているクマだ。

ピングドラムを見に行ったはずが、リアルユリ熊嵐とか、絶対イヤだ。

ユリ熊嵐を見ていたときに何気なくクマ事件のWikipediaを読んでから、クマが何より怖い。

約3時間のドライブ。キツネには遭遇した。

イオンシネマのある旭川駅はキラキラしていた

前編公開初日の初回、劇場は満員だった。

大画面も、音楽もすばらしくて「映画館で見られてよかった……!」という気持ちでいっぱいになった。

黙して鑑賞を守りながらも始まるまでのドキドキ感、そして終わった後の高揚感は劇場内の人たちと共有していたように思う。

そして7月、後編の公開前日。

北見に向かう列車の中である。

結局前編を春の旭川で楽しんだ自分は、後編こそは劇場が増えて札幌で見られることを願っていたのだが、あえなく公開はまたも旭川と北見。

開き直り、後編は北見で見ることにした。
行ったことがない土地というのもあったが、旭川の上映は1日に1回だった。北見は1日に2回。結果的に前編は1回しか見られなかった。そして後編も同じ。

せっかく行くから2回見たい。

北見に住む友人ふたりに「映画見にそっち行くから会おう」と連絡したら「なんで札幌でやらないの?」と言われた。ふたりともにである。だよね。

北見には列車で行くことにした。

車でも列車でも4時間以上かかる。
どうしても遅くなり夜道を走るのが避けられないと判断した。クマが怖い。

りんごと桃のお菓子を買ってつまみつつ、オーディオブックで「かえるくん東京を救う」を聴いた。

このときにはまだ余裕があった

こんな事情で道内を点々とするのもあまりないことだろう。
せっかくなので記録でもつけておこうかな、とこれらを打っていた。明日にはピングドラムが見られる!

そんなときだ。
車掌さんがやってきた。

「お知らせします!」

冷静さを装いつつちょっと早口に感じた。オーディオブックを止めて聞き入る。
……なんだか嫌な予感がする。

「先行列車がヒグマとぶつかったため、次の駅で停車します!」

ク……

クマ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!

自分の脳裏には、バッテンマークの目の銀子とるるが跳ね飛ばされていくのが見えた気がした。

あなたはどこにも行けないの

次の駅、旭川で列車は止まった。

3ヶ月ぶりの旭川駅。すれ違うだけのはずだったのに、運命が交わってしまった。

夕暮れの旭川駅内

「あなたはどこにも行けないの」

桃果の声が聞こえる……。
え、これ着かない?見られない?

劇場情報が公開されてから、ずっと眞悧ってこいう気持ちだったのかな……などと考えていた。

クラファンした。なのに、見られないかも。この右往左往するのがしんどかった。
自分だけじゃないとわかってはいるのだけど……。
そもそも「札幌で見られるだろうから」という無意識の思い込みがあった。
勝手に裏切られたような気持ちになってしまっているのだ。

お前に見る資格はないと言われている気分になって、世界からはじかれた気持ちになって、ここ数ヶ月ずっとうじうじとしていた。

「選ばれなかったんだな……」
子どもブロイラーに比べたら、なんだかせせこましいのが余計しんどい。

停車したまま、その列車は出発できなかった。クマがすぐにはどけられなかったそうです。

(野生動物との距離が近くなっているのは本当に怖い。ゴミなどを捨てないのはもとより、もしも安全な場所から見かけても、立ち止まったり写真を撮ったりして「近づいても大丈夫な存在」認定されないようにしなければと思う)

旭川からは代行のバスとなった。
呪文はないけれど乗り換えである。

JR北海道の方々は謝ることしきりで、水とキットカットまでいただいた。
終始丁寧に対応してらして本当に頭が下がる思いだった。

「悔やんで恨んで……取り返せるものなんて何もないんだ」

多蕗の言葉を胸中で繰り返す。

バスに揺られながら思った。

「キャンセル料は痛いけれど、このまま旭川で泊まって旭川で見て帰るっていう手もあったんじゃない?」

だよね!!!???

だけどなんかもう意地。

バスで遠軽まで。そして列車に乗り換えて、北見へ。着いたら日付けが変わるギリギリ。

着いた〜〜〜〜〜!!!!!

やっと着いた北見駅

夜が明け、公開日当日。

上映時間まで間があるので友人と会った。

クマで列車が止まったことを熱弁したのだが、クマは珍しいものの正直よくあることらしく「ああ……」という反応だった。大変。

「北見に来てくれてありがとう〜!」と言われ、久しぶりに会えて純粋に来てよかった!となる。

「悲しいことも辛いことも無駄だなんて思わない。それが運命ならきっと意味がある。 私は受け入れて強くなるよ。だから……」

そう、受け入れることにしよう。これが運命だと!

いや、むしろ自分は運命の乗り換えを果たし、ここにいるのだと!

そして鑑賞

そしてついに見ました。

見られた〜!!!

1回目の終了と2回目の始まりが10分かぶっていたんだけどダッシュしてこれも無事運命の乗り換えを果たしました。

うまく言えないんだけど、10年生きていてよかった。

というかここまで書いてきて思ったけれど、見るためにここまでできるコンテンツに出会えたのもすごいことかもしれない。
なんだかんだ、ミッフィー展に行ったりラーメン食べたり北きつね牧場や山の水族館に行ったり観光も楽しみました!

イオンシネマ旭川さま、イオンシネマ北見さま、本当にありがとう。やってくれてよかった。

前編は配信でも見られるようになりました。

そう、「札幌(の自宅)で劇場版輪るピングドラム(の配信)が見られる」運命に乗り換えられたのだ!

後編もぜひ。

そして願わくば、札幌から動けない人も見られますように。
後編も札幌の自宅で配信を見られますように!

2022.7.28 追記

札幌でも見られるようになりました……!!!!!

本当に本当にありがとうございます!嬉しい!

でもできたら感染者数が増えてきて人混みに出ることをためらう人もいるかもしれないのでぜひ配信もご検討いただきたいなあなんて……もちろん、劇場で見た身として音楽や映像が映画館ならではの部分がたくさんあったのでぜひ劇場でとは思うのですが!
わがままですが、もう見られなくて選ばれなかったという思いをする人がいませんように、と願っております。

2022.8.13 追記

見て来ました……!

見られた〜!!パート2

サツゲキさま、本当にありがとうございます。

3回目だったのですが、なんだかようやく腰を落ち着けて見ることができました。クレジットにある自分の名前を発見することもできました!

この記事のタイトルは「札幌で輪るピングドラムが見られる運命に乗り換えたかった話」だったんですが、「乗り換えた」に変更しました。

ありがとう、愛してる!

2022.9.4 追記 舞台挨拶に行きました

前後編上映&舞台挨拶

舞台挨拶に行ってきました!

以下、舞台挨拶の内容です。映画の内容に触れていますのでお気をつけください。メモを元に起こしましたが、自分の解釈になってしまうところもあるかもしれません。ご了承ください。

◆◆◆

前後編両方の上映の後の舞台挨拶は初めて。みなさん、よくぞ貴重な日曜の午後、地獄の上映に耐えてくれた(笑)。

Q.北海道の印象は?

北海道は初めて。新千歳空港からここに来るまで、思ったよりも東京と変わらない、住宅地だなと思った。

北海道の印象は、と言っても札幌!牧場!クマ!とかいろいろある。
そんなアニメも作りましたね。

2011年のアニメ見ていた人、レンタルで見た人、映画で見たという人、それぞれ挙手。今日初めてだという人も。

Q.札幌でお話するのは初めてなので、「輪るピングドラム」を作った経緯を。

ウテナの後、アニメが作れなかった時期があった。
電車のアニメを作ろうとしたが、やりたいことを理解してもらえない。
自分が上からだったり、頭でっかちな部分があったと思う。
みんなが見たいのはキャラクターなんだ、その魅力を出そうと思った。
そこで数年前に会ったことのあったリリィ先生に依頼。
最初はアリスドラムという三兄妹がいて、貧困で妹が病気という話。いるところから脱出する話でSFチックなもの。でもSFに向いていないと思った。もっと日常のシュールな話をやろう。
最初は兄ふたりがクマで、妹がペンギンで、動物園と南極がトンネルでつながっていて、普段は人間として暮らしているけれど南極では動物になる、みたいなものを考えていた。リリィさんが出してくれた絵が、ペンギンの帽子をかぶった女の子だった。そのペンギンがブサイクでかわいく、ペンギンだらけにしようと思った。その絵を中心にやり直したのが今のかたち。

Q.「愛」の話になると考えていましたか。

当初は考えていなかった。脚本が、ディティールが出てきてそうなった。
震災の影響は大きい。
あれは日本にいる人みんなが喪失を同時に体験した。エンタメを作る意味を見失いショックだった。
最初は「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」というキャッチコピーだけだったが、小説の高橋慶さんから「分け合う」という言葉はどうかと言われて「分け合う」話なんだな、となった。今となってはよかった。
あの当時のフィクションの無力さといったらなかった。
どんなに悲惨な話を作っても現実には敵わない。例えば戦争が起これば吹き飛んでしまう。
そういう意味では、コロナ禍、見たことないといえる体験をしている今、戦争、テロの最中というこの2022年に映画が公開となり、まだ「分け合う」という言葉がこんなに残り、世の中とリンクしている、観客の皆さんと共有できるのは不思議な気持ちになる。

休憩時間に撮った

今だから聞きたいピンドラ

Q.監督にとって愛や愛してるとはどういう意味ですか。制作当初から愛を入れる意図はありましたか。

意図はなかった。こんなに多用することになるとは思わなかった。
愛してるって、多用するとインチキくさい。簡単に使うと嘘くさい。
使ってもいいなと思える作品、踏み込んで使うべき物語になった。

(池田P)サブタイトルも、前編は「これでどうかな」だったけれど、後編の「僕は君を愛してる」は「これで」だった。迷いがなかった。

後編のタイトルはダブルミーニング。

箱の中で冠葉から晶馬へ、20話で晶馬から陽毬へ、最後にこれがピングドラムだよと言って陽毬から冠葉で一周する。輪ができる。

クライマックスの「愛してる」はその輪を外へ。キャラクターがお客さんに言っている。お客さんとつながりたい、「愛してる」という言葉を共有したい。またどこかに愛を輪してほしい。

(池田P)「僕は君を愛してる」の「僕」は監督?

僕であり、冠葉であり晶馬であり……広い意味。
愛された子どもはきっと幸せを見つけられる。
君は幸せになれるよ、誰かを幸せにできるよ、という意味。

Q.「存在証明」という言葉はやくしまるさん発案ということだが、後編で使われている。逆輸入?

使われていたっけ? 僕たちもちょっと定かじゃない。
「僕の存在証明」についてはこういう曲にしてくださいとお願いしたわけではなかった。印象をすくいあげてくれた。すばらしい!

Q.Herosはあのタイミングで使うと最初から決めていた?

早い段階から決めていた。
テレビシリーズからもっと目立たせたいと思ってた。僕の好きな曲。
テレビシリーズのときよりも、未来へ進んでいる感じ。
メロディーは甘いのに歌詞はシュールで不思議な歌。
ここでかかるのは(スタッフさん?に)エモいと言われた。

Q.札幌のみなさんにとっておきの話を。

子どもの冠葉と晶馬の服のタグに音符=おたまじゃくしがついている。
桃果に本を渡されて読み進めるが、プリンチュペンギンは途中で憑依されてしまう。暗闇に本を落としちゃってピングフォースのシールがかえるくんの本についてしまう。
大逆転劇のとき、図書館のかえるくんが助けてくれる。
残されたのはプラケースだけ。
「かえるくんピングドラムを救う」という本はどうなったか。
冠葉の晶馬の服のタグはどうなったのか!?
確かめてほしい。

オープニングでだけ子どもの冠葉と晶馬が陽毬と一緒にいる。走っている方向が同じなのがポイント。

Q.最後に。

札幌で上映できて、お客さんの顔が見られてよかった。

まだ見ていない人に、ぜひおすすめしてほしい。またピングドラムの輪が回るかもしれない。

ここが運命の至る場所だったのかも

監督のお話が聞けてとても嬉しかったです。しかもかなり踏み込んだ内容のお話をしていただけた印象でした。
最後胸がいっぱいで、もう少しお話されていたのですがメモを取るのを忘れてしまった。

子どもの頃、不安なときに大人に「大丈夫だよ」と言ってもらえると根拠なく安心できました。

でも大人になった今、誰かにそれを言われても、安心はできなくなりました。
明日の食べるもの。
日々の雑事。
不確かな将来。

大丈夫って、何が?
今のこの世界を見渡して、どこにそんな要素が?

「愛してる」も「幸せになるよ」も、それが身近な人であればあるほど、「突然何言ってんの?」となる。一緒に生活している人であれば「いいから茶碗洗えよ、ペットボトルのお茶ちょっと残すな、トイレットペーパーを交換しろ」ってなるし、一緒に仕事してる人であれば「そんなふわっとした言葉はいらないから電話取ろうよ」ってなるし。

「世界中が敵に回っても君を守るよ」みたいな歌詞に、いや、敵ってなんだよ、守るって何からだよって思ってしまうようにに空虚です。

でも、今回前後編を見て。

キャラクターたちからの「愛してる」を正面から受け取れました。

それはキャラクターだから。
魅力的に描かれてきたキャラクターたちであるからこそです。

10年前、テレビアニメシリーズを見たとき、過去現在未来を通して「愛してる」と言われた気持ちになりました。
小さい子どもの自分も、老いた先の自分も、いつかどこかでもう愛してると言われていた、という気持ちになったのです。
でもこの10年を生きるうち、その「愛してる」がすっかり擦り切れてしまった気がしていました。

今回、ぼんやりしていた10年前の「愛してる」がはっきりとかたちをとりました。

劇場版の大きな画面でそれぞれに魅力的なキャラクターたちから優しい声で言われる「愛してる」は、とても確信に満ちていました。

彼らからの言葉を素直に受け取れるのは、彼らがキャラクターだから。同じことをリアルな人に言われても「けっ」と思ってしまってきっと受け取れない。

これがフィクションだからです。

フィクションに力があるならきっとこういうことなんだと思いました。
自分はやっぱり、だからフィクションがこれからも好きだと思います。

自分がとても、きちんと大切なものを大切にできるような気持ちになりました。
「輪るピングドラム」が大好きです!