クリティカルマスは誰に何を訴えるのか
世界自転車デーの2023年6月3日、自転車の存在をアピールするイベント「クリティカルマス」が名古屋で大掛かりに開催されました。
参加できなかった私はSNS上でその様子を眺めていたのですが、「自転車の存在をアピールできたぞ!」といった参加者の声もあれば、「果たしてそのやり方はどうなのか」といった声もあるなど、賛否両論のコメントを多数見かけました。
否定的なコメントの中には、「こんなことは意味が無い」とか「むしろ自転車に対して悪い印象を抱かせる」といった厳しい意見もありました。
過去、私がクリティカルマスに参加した際も、クルマにクラクションを鳴らされながら「果たしてこれが良い結果をもたらすのだろうか」ともやもやする部分がありました。賛否のコメントが渦巻く今回の状況を見て、結局クリティカルマスって何なのか、誰に何を訴えるのか、そして今の時代にこの国でどのようなやり方が良いのか、自分なりに考えてみました。
そもそもクリティカルマスって何?
道路を自転車で集団走行して、社会に自転車の存在をアピールするイベントのことです。参加者は「もっと自転車が走りやすい道路を!」とか「みんなで自転車を使おう!」といった主張を持ち、道路を集団で走ることで街の多くの人に訴えかけています。
1992年にアメリカのサンフランシスコで始まり、世界中の都市でも開催されるようになり、現在は日本のいくつかの都市でも開催されています。
詳しいことや開催時の様子は以下の記事を見てみてください。
クリティカルマス発祥の地では何が起きたのか
クリティカルマスのあり方を考える前に、クリティカルマスの本家であり成功例でもあるサンフランシスコでは何が行われて、何が起きたのか、調べてみることにしました。
ドキュメンタリー映画「We are Traffic!」を見てみる
サンフランシスコのクリティカルマスを調べる中で、ある1本のドキュメンタリー映画を見つけました。
この映画は、サンフランシスコでクリティカルマスが開催された背景や、参加者のポリシー、活動内容、警察との衝突といったトラブル等を、クリティカルマス参加者へのインタビューを通じて振り返ったものです。
もちろん全編苦手な英語だったので、Google翻訳を片手に耳から血を流しながらなんとか鑑賞しました。映画の内容を踏まえて、サンフランシスコの状況をまとめてみます。
クリティカルマスが行われる前のサンフランシスコ
1990年頃のサンフランシスコでは、道路はクルマであふれかえり、渋滞が多発していました。ドライバーは毎日多くの時間を移動のために費やし、子どもと触れ合う時間も短く、街の空気はクルマの排気ガスで汚れていました。人々はクルマを使うことで、豊かな暮らしとは程遠い生活を過ごしていました。もちろん、クルマだらけの道路には自転車が安全に走れる環境は存在しませんでした。
そんな社会で、日頃の自転車利用の鬱憤から解放されるため、自転車が安全に走れる環境を手に入れるため、そして、より豊かな暮らしをするため、クリティカルマスと呼ばれる自転車の集団走行が始まります。
クリティカルマスでやった・起きた3つのこと
クリティカルマスでは「これをしなければいけない!」という決まりはありませんでした。あくまで人々が偶発的に集まったイベントであり、参加者全員の想いの方向性は一緒であるものの、参加者一人一人が自分の信念を持ち、各々がやりたいことをしました。
しかし、その中でも良い結果をもたらした行動が3つありました。
それは、「集団での走行」「停車中のクルマとの会話」「楽しいイベントとして開催」です。
①集団での走行
クルマだらけで危険な道路を安全に走るために、自転車は集団になって走りました。赤信号になっても、集団は途切れることなく走行し続けました。これは大量の自転車が我が物顔で道路を走る中国の光景から着想を得て取った行動で、クリティカルマス(道路が自転車優先になるほどの自転車の数)という名前の由来ともなっています。
自転車が集団で走ることで、クルマのいない自転車ばかりの空間が生まれます。そうすると、参加者は普段感じることのできない安全さを体験できます。また、クルマがいないことで生まれたいつもより静かで快適な道路環境も体験できます。
このような環境に身を置くことで、参加者のみならず物珍しさから沿道に集まった群衆も、クルマがいない道路・暮らしの良さを知ることとなりました。
②停車中のクルマとの対話
クリティカルマスの参加者は、クルマのドライバーに自転車の良さについて説教を垂れるよりも、普段の移動や暮らし方についてドライバーと対話を重ねて考え方を変えてもらう方が、政治的な主張を訴える上で効果があると考えました。そして、参加者たちは信号待ちをしているドライバーと積極的に会話をしました。
これによって、ドライバーが自転車側の言い分を聞かざるを得ない状況ができました。そして、会話を重ねることで多くのドライバーが自転車のある暮らしの良さを知ることとなりました。
③楽しいイベントとして開催
最も活動が長続きする方法として、また、普段の自転車利用の怒りの矛先がクルマに向かってトラブルになることを避けるために、クリティカルマスは政治的な集会ではなく楽しいライドイベントとして開催しました。
結果として、参加者の楽しそうな光景が、ドライバーや集まった群衆の興味を引くこととなりました。
このような経緯で、クルマのドライバーや群衆がクリティカルマスの主張を理解し、彼らのクリティカルマスへの参加を促し、さらなるドライバーと群衆の理解を生み…、と正の循環が生まれ、クリティカルマスは数千人規模の大きな活動となっていきました。
サンフランシスコと日本の違いを考える
サンフランシスコのようなムーブメントを日本で期待できるのでしょうか。サンフランシスコと日本の自転車事情から考えてみます。
(ここからは個人の推測が多分に含まれます。事実と異なることがあったら教えてください。)
アメリカ人にとっての「自転車」
ドライバーや群衆がクリティカルマスを見かけて、その活動を好意的にとらえ、自身も活動に参加していく、という流れはあまりにも綺麗です。もちろん全ての人が活動に賛同したわけではないと思いますが、何千人規模のイベントとなったことは事実です。このようなムーブメントが起こった理由に、アメリカ人の自転車に対する認識があるのではないかと考えています。
・日常的に自転車を使わないし、使えない
アメリカでは日常的に自転車に乗らない人生を送る人が多いです。中学校まではスクールバスで通学、高校からは自身でクルマを運転。そんな人が多数で、自転車が日常の足として思いつかないのが当たり前の社会なのかもしれません。
(アメリカの田舎はそうだと思いますが、サンフランシスコのような都市部でどうなのかは調べても出てきませんでした。多分そうですよね。知見がある方は教えていただきたいです。)
そして、アメリカでは自転車の歩道走行は違法です。かといって車道を走ろうと思えば、クルマだらけで非常に危険。つまり、街中で自転車の居場所がありません。
生活で自転車を必要とせず、街のどこにも自転車の居場所が無い。サンフランシスコに人々にとって、自転車は非日常な乗り物だったのだろうと思います。
・レジャーとしての自転車が普及
その一方で、レジャーとしての自転車は広く普及している印象です。山間のトレイルでは自転車が走れるところがたくさんあります。以前カナダに行った時は、一歩山に入ればそこらじゅうで自転車が走っていました(北米という大きな括りで語って申し訳ないのですが)。
つまり、サンフランシスコ市民にとっての自転車は「非日常な楽しい乗り物」だったのではないかと思います。
ドライバーや通行人が、非日常な楽しい乗り物である自転車に乗った人たちを見て、より明るく豊かな暮らしを容易に想像できたから、賛同者が多く現れて大きなイベントになったのかな、と思っています。
日本人にとっての「自転車」
一方、日本の自転車事情はサンフランシスコと大きく異なります。
(以下、今回この問題を考えるきっかけになったクリティカルマス名古屋が行われていた名古屋市内の状況を想定して書いています。)
・みんなが自転車を使うし、走る場所もある
長崎のような坂道ばかりの街でない限り、ほとんどの日本人は自転車に乗ったことがあります。それも通学や塾通いで小さい頃から日常的な足として使っています。また、アメリカと違って公共交通機関が非常に発達して市民の足として定着しており、多くの人が自宅から最寄り駅までの移動に自転車を使っています。
そして、ご存知のとおり、日本では自転車で歩道を走っても良いことになっています。(厳密に言うと歩道走行は違法なのですが、一定の年齢であったり、歩道走行が「やむを得ない」場合などの条件付きで許されています。この「やむを得ない」状況がかなり曖昧で、実質、自転車は歩道を走れる状態になっています。)
それどころか、多くの自転車走行空間が歩道の中で整備されてきた過去があり、自転車の歩道走行は警察・行政公認の行為として、日本人の習慣となっています。
・レジャーとしての自転車はあまり普及していない
移動手段としての自転車が普及している一方で、レジャーとしての自転車はそこまで普及していないように感じます。いわゆるスポーツバイクに乗っている人の数は、社会全体で見ると少ないです(友人・知人の何割がスポーツバイクを所有しているかを考えたらわかると思います。)。
そんなスポーツバイクに乗るレジャー寄りな人たちは、速さを求めてほとんどが車道を走っています。日本人の多くが小さい頃からの習慣で歩道を走る中、少数派のレジャー寄りの自転車ユーザーだけが車道を走っていて、「車道を走る人=レジャー寄りの自転車ユーザー」という認識が社会であるように感じています。
つまり、日本の自転車ユーザーは、大多数の日常利用・歩道走行派と少数のレジャー寄り・車道走行派に大きく二分されているのではないかと思います。
近年、車道上の自転車レーンが増え、車道をママチャリが走る光景を目にするようになりましたが、ひと昔前の感覚でこの意識が根付いている人はまだ多いのではないかと思います。
サンフランシスコのムーブメントを日本で期待できるか
そんなサンフランシスコと日本の自転車事情の違いがある中で、サンフランシスコと同じようなクリティカルマスのムーブメントは起こり得るのでしょうか。
サンフランシスコでは、道路のどこにも自転車の居場所がありませんでした。
しかし、日本には歩道があります。クリティカルマスで「車道が危ない!自転車の居場所が無い!」と叫んでも、返ってくる返事は「危ないなら歩道を走ってください」となるのでしょう。一蹴です。
また、「みんなで自転車に乗ろう!車道を走ろう!」と言った時、サンフランシスコでは多くの人が自転車に乗っておらず、「自転車に乗るとこんな楽しいことができるんだ!」「こんな暮らしができるんだ!」と想像できました。
しかし、日本人の大多数が日常利用・歩道走行派で、既に自転車に乗っています。なので、「普段から最寄り駅まで自転車に乗ってるし…歩道の方が安全だし…」だとか、最悪「変な形のハンドルの自転車に乗った車道を走るタイプの人達が何かしているなあ…」くらいにしか思わない可能性があります。
このように、少し考えただけでも、サンフランシスコでのクリティカルマスのムーブメントを阻害するような状況が頭に思い浮かびます。
日本でサンフランシスコと同じようなクリティカルマスをして、サンフランシスコと同じような現象が起こるのを期待するのは難しそうだと感じました。
日本ではどんな方法で誰に何を訴えるべきか
では、日本ではどのような方法でクリティカルマスを行うのが、どのような手段で誰に何を訴えるのが効果的なのでしょうか。
クリティカルマスの登場人物たち
日本でのクリティカルマスのやり方を考える前に、クリティカルマスに関係する登場人物を整理しておきます。
まず、①クリティカルマスの参加者、同じ道路上にいる②クルマのドライバー、③たまたま居合わせた通行人の3種類の登場人物が考えられます。
現場だけを見るとこれだけですが、自転車の利用環境について訴える場合は、その環境を作っている人達のことも考える必要があります。もう少し登場人物を深掘りします。
クリティカルマスが走っている道路の通行ルールを決めているのは、主に④県警です。また、道路の構造を決めて作っているのは⑤国・自治体(県や市町村)です。
彼らは自由に道路のルールや構造を決めているわけではなく、法律を忠実に守り、設計の手引き・ガイドラインを参考にしています。
その手引き・ガイドラインは主に⑥国交省・警察庁・国総研、法律は⑦国会議員が作っています。
(もし違ったら教えてください。)
クリティカルマスのスタイルを考えてみる
これらの登場人物がいることを踏まえて、まずはクリティカルマスをどういったスタイル(方針、態度)で行うのが良いのか、行うべきでないのか、タイプ別に3つ考えてみます。
①全方位に中指を立てるタイプ
日頃の鬱憤を原動力に道路で暴れまわり、クルマのドライバーはおろか警察にまで喧嘩を売るスタイルです。例えば、走行中のクルマのフロントガラスに「自転車最高!」と書かれたチラシを叩き付け、警察署に自転車のホイールを投げ入れ、街の中心部を全裸で走り回ります。自転車の存在をアピールする上では最も効果があります。
もちろん、そんなことをしてはダメです。
②違法レジャータイプ
あくまで楽しいイベントとして行うが、主張のために一部違法な行動も取る(取ってしまう)スタイルです。サンフランシスコと同じような集団走行を基本とし、存在をアピールするために2列に並んで走ったり、集団を維持するために赤信号になっても交差点を横断したりするパターンです。
もし、自転車の利用環境を変えたいのであれば、警察や行政への働きかけはマストになります。どんなに主張が正しくても、彼らは違法行為をする集団の肩をもつわけにはいきません。
また、プロ野球選手が信号無視の道路横断で大炎上するこの時代、どんな不祥事でもネットで話題になれば袋叩きに合います。袋叩きに合う中で主義主張を持ち出しても無駄どころか、目的のために手段を選ばないヤバい集団と認識されて社会から相手にされなくなります。
そう考えると、このタイプの活動は非常にリスクが高く、有効な手段ではないと言えます。
③遵法レジャータイプ
法律も守りつつ楽しいイベントとして活動するスタイルです。自転車は常に1列で車道を走行し、集団が交差点を通行している最中に赤信号になったら、集団は途中で止まります。
ドライバーから邪魔と思われても、あくまで法律は守っているのでクリティカルマス側に非はありませんし、警察も注意のしようがありません。また、違法行為をしていないので、通行人から好意的に捉えられる可能性も比較的高いです。
以上の3タイプのうち最も賛同を得やすく、警察・行政との衝突が生じない方法は、やはり③遵法レジャータイプかと思います。
というかそもそも、違法行為をしてはいけないのは当たり前ですが、「現状を変えるには多少法的にアウトな部分があってもしょうがないよね」とツイートする人が意外といたので、改めて整理してみました。
ターゲット別の効果的なアプローチを考えてみる
では、遵法レジャータイプで行うクリティカルマスに誰がどんな反応をするか、それに対してクリティカルマス側がどうアプローチするのが良いか考えてみます。
はじめに、反応する相手を明確にするため、クリティカルマスでの訴えを設定します。
クリティカルマス名古屋の目的は「自転車の社会的地位の向上」といった漠然とした表現に留まっていて、具体的な訴えは分かりません。なので、ここでは日常の自転車の使いづらさから考えられる以下の4つをクリティカルマスで訴えたいことと仮定します。
以下では、それぞれの訴えごとに、ターゲットの反応と効果的な(または効果的でない)アプローチを考えてみます。
①もっと自転車に優しい運転をして!
例えば、「自転車ともっと距離を取って追い越してほしい」とか、「左折時に自転車に気を付けてほしい」とか、「交差点付近で無意味な追い越しをしないでほしい」とか、「客を盾にタクシーは無茶苦茶な運転をするな」といった訴えです。
これは言わずもがな、クルマのドライバーに対しての訴えです。
ドライバーの多くは、自転車で車道を走ったことがほとんど無いと考えられるため、自転車に優しくない運転をしている自覚が無い可能性が高いです。そうでなくても「怖いんだったら歩道を走れよ」という考えを持っている人もいるかと思います。
これに対して、クリティカルマスが集団走行、もしくは安全運転の文字を掲げて走るだけでは、ドライバーは「危ない運転をするドライバーもいるんだな(無自覚)」とか、「こいつら邪魔だな」と思うだけで、自転車側の訴えを理解できないのではないかと思います。
そのため、サンフランシスコと同じように、クリティカルマスの参加者とドライバーが会話をして、訴えを正しく伝えることが有効かと思います。その際、自転車がクルマの運転を怖いと感じていることはもちろん、自転車で車道を走る理由もちゃんと伝えなければいけません。
また、車道を走る自転車の集団に何度も出会わせて、ドライバーの注意を引き出すという方法もあると思います。
一度だけ自転車の集団に出会うだけでは「なんだこいつら」となるところを、2度3度見かければ「今日は何かやっているのか」と注意を引き、「気を付けて運転しようか」という気持ちにさせることができます。そうすれば、一時的でも自転車に優しい運転をさせるという目的を達成できます。これがドライバーの今後の優しい運転に繋がる可能性も十分にあり得ます。
また、ドライバーへの直接的なアプローチだけでなく、社会全体でドライバーに啓発を行うように警察・行政に働きかける方法もあります。啓発というのは、例えば愛媛県から始まった「思いやり1.5m運動」のようなものです。
これも、集団走行するだけでは警察・行政にその意図は伝わりません。何が問題か、どうしてほしいかを明確に伝える必要があります。そして、その問題の大きさをやんわりと伝える上で、クリティカルマスの継続的・大規模な開催が意味を成すのではないかと思います。
②(特定の道路の構造や通行ルールのせいで)自転車で走りにくい!
例えば、「ある道路に自転車用のスペースが確保されていない」とか、「自転車走行禁止になっていて遠回りが必要で不便」とか、「路駐車両が邪魔になる道路構造だし、取り締まりも不十分だし、危険」といった訴えです。
これは、その道路を管理・管轄する国・自治体や県警への訴えになります。
国・自治体や県警にこの訴えを届けるには、クリティカルマスで集団走行をするだけでは不十分と思われます。彼らには「自転車の走行空間を(歩道として)整備してきた」という彼らなりの実績があり、「なぜか集団がわざわざ車道を走っていて何か言っている」という認識になる可能性があるからです。
彼らにクリティカルマス側の問題意識を伝えるためには、具体的な問題点や問題の場所、改善案を示す必要があると思います。そしてどれだけ不満に思っている人が多いかを示すうえで、継続的で大規模なクリティカルマスに意味が出てくるのではないかと思います。
③(法律どおりに)自転車で走りにくい!
例えば、「交差点で自転車は車道の最も左側を走らなければいけないのは危険だ」といった訴えです。
その街の県警や自治体にこの訴えをしても、彼らは法律に従って仕事をしているだけなので無意味です。なので、これは法律を作っている国会議員や設計の手引きを作っている国交省等への訴えになります。
国もこれまで自転車の走行空間の検討を進めてきた経緯があり、彼らなりの最適解として今の法律や設計基準があります。クリティカルマスで集団走行をしたとしても「これ以上の改善策って何があるの?」と思われるだけです。
これも問題の所在を明確にして伝え、クリティカルマスの開催によって問題の大きさをアピールする必要があるのではないかと思います。
④もっと自転車に乗ろうよ!(そして車道を走ろう!)
例えば、「クルマ利用を控えて自転車を使おう」とか、「自転車利用で豊かな暮らしを送ろう」といった訴えです。思想の押し付け感がありますが、車道の自転車ユーザーを増やしてクルマに安全運転を心がけさせるという、自転車の安全性向上も目的としてあります。
これはたまたまクリティカルマスを見かけた通行人やクルマのドライバーに対しての訴えになります。
通行人やドライバーの大多数は、日常利用・歩道走行派の自転車ユーザーと思われます。彼らから見たクリティカルマスの参加者は「自分とは違う車道を走るタイプの人達」という認識で、「自分とは違う価値観の人が何かしているな」くらいにしか思わない可能性があります。
「確かに健康になりそうだし、クルマを使わずに自転車に乗ろうかな」と思う可能性もありますが、自身の安全のために自転車で歩道を走ることが習慣付いている以上、これからも歩道を走ることは容易に考えられます。これでは車道を走る自転車の数は増えません。
そのため、車道を走る自転車を増やすためには、通行人やドライバーに自転車利用の良さと車道を走ることのメリット(もしくは歩道を走ることのデメリット)を同時に伝える必要があります。
でも、現状、車道の走行は危ないです。そして、多くの歩道は自転車の通行を考えて幅員が確保されています。
果たしてこの訴えを効果的に伝えるためにはどうすれば良いのでしょう。
正直、私には取り得る選択肢が思いつきません。クリティカルマスに参加されている皆さんがどう考えているか知りたいです。
結局、どうするのがベターか
日本でのクリティカルマスのやり方についていろいろ書きましたが、要約すると以下です。
・法律の遵守はマスト
・ドライバーの意識・行動を変えたいなら、直接伝えるか、同時多発的なクリティカルマスでドライバーが自然と注意する状況を作る
・走行環境を変えたいなら、問題点を明確にして適切な組織に伝える
・それと同時に、クリティカルマスによって賛同者の多さを示す
・自転車利用を増やしたいのなら、現状、歩道が最も安全であり、歩道の走行が習慣付いている人が多数であることを考慮して、行動しなければいけない(でも、具体的に何をするべきかは分からない)
この方針に従ったクリティカルマスで、個人的に考えられた方法は以下です。
数名単位のいくつものグループで走ることが、果たして「クリティカルマス」なのかという疑問はあるかと思いますが、信号無視云々でトラブルが起こりそうな今の時代では1番良い方法なのかなあと思います。
まあ、小規模なグループがたくさんあれば、総数はクリティカルマスと言えるかもしれませんし。(言い訳)(苦しい)
おわりに
サンフランシスコのクリティカルマスは、参加者一人一人が意思を持った集団の自由な行動が、思いもよらない結果を生むことを期待して開催され、結果として巨大な正のムーブメントを巻き起こしました。
なので「集団としてこういうアプローチをしてはどうか」という内容のこの記事を書きながら、クリティカルマスってそういうことじゃあないんだよな~~~~とも思ったのですが、個人的に頭を整理した結果はどうしてもこうなりました。
というよりも、サンフランシスコと同じような、そして、今の日本のクリティカルマスのやり方で成功する未来が見えませんでした。
悲観的過ぎるかな。
また、色々と書きながら、「本当にそう言えるのかな~」「本当にそんなことになるのかな~」と思うことも多々ありました。
クリティカルマス参加者の皆さんにも様々な考えがあるのだろうと思います。「もっと別のことを訴えたいんだ!」とか、「現場では好意的な反応が多いよ!」とか、思いの丈や実際の様子を知りたいです。是非、対面でもネット上でも意見交換ができたらと思います。
ひとまず現時点での自分の頭の中は整理できました。今後も時間が許せばクリティカルマスに参加したいと思っているので、そこでクリティカルマスのやり方について話すことができたらな、と思います。
みんなで自転車に優しい社会を作っていきましょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?