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大好きで尊敬していて、憧れでライバル的な人

僕のライバルは父親。

僕は小学生の頃、漢字も書けない、都道府県も分からない、自分の名前もギリギリで、九九も覚えるのが一番遅くて、足も遅いし、ゲームも下手で何も出来ない人でした。

唯一出来るのは人を笑わせたり、ツッコミをしたり、クラスの雰囲気を明るくすることぐらい。

一方その頃父親は、イラク戦争の真っ只中でアフガニスタンの工場で現地の人に製品の使用方法を教えたり、
ベネズエラの工場で教育担当したり、
日本に帰ってきてチームマネジメントしたりと、めちゃくちゃ忙しそうに土曜日まで仕事しているのに、日曜日は絶対遊んでくれる。僕の憧れの存在でした。

僕の両親は放任主義で人に迷惑をかけない限り
何をしても怒らない。宿題を出さなくても、
ずっとテレビ見てても、ゲームしてても、
怒られなかった。
習っていた水泳をサボったらめちゃくちゃ怒られた。
習慣を守れない奴は何も出来ないって何度言われたんだろう。。

その父に憧れて、小5で塾に入れてくださいと頭を下げてお願いし、入塾テストを受けたが長文の日本語を読む集中力もなく、漢字も書けないので、落ちた。
すごく恥ずかしくて、数ヶ月一生懸命勉強したら受かった。そこで初めて漢字ドリルをやった。

塾には、僕よりも遥かに勉強出来るすごい賢い人達が沢山いた。昔から負けず嫌いなので、必死で追いつこうと勉強した。気付いたら勉強が簡単になっていた。
高校受験もそこまで難しくなかった。塾の年末テストの方が遥かに難しかった。

高校に入って少林寺拳法をやるようになった。
父に軽音か少林寺どっちがいいか聞いたら、少林寺拳法でしょ!断然って言われたのでやり始めた。
昔から父親と二人で少林寺拳法の大会を見に行っていたので、割とすぐに上達した。
父親の友達がのちに世界一になる人だったので、
良い人の背中を見てたんだなと感じた。
その後、僕も日本一になった時に初めて褒められた。
めちゃくちゃ嬉しかった。少し認められた気がした。

その後iPhone登場、webベンチャーブームが起きた。

高校3年生のときにエンジニアってすごくかっこいいと感じ、情報系学部で家から通える所を探して入学した。

その後大学2年生の時に父親が鬱になって、仕事を退職した。

その3年後僕も鬱になって、大学院をやめた。

一番辛かったのは母だと思う。
父親も僕も一生足向けて寝れないと思う。

母は金勘定が異常に早いので、めちゃくちゃ落ち着いていた。

とりあえず土地とか売れば何年間は生きていけるし、問題ないって言えるのがすごい。
てか、ずっと団地住んでるんやけど、土地あったん?って言うことに驚いた。父親もおばあちゃんにあげたマンションを売れば何とかなるねって言うてた。
何なんこの二人って未だにそこは怖くて聞けない。。
なんかパンドラな気がする。。

それで僕もやっと社会人になり、目指していたwebエンジニアになれた。2年目でリーダーになった。割と頑張ってる。やっと家が6年間の赤字経営から黒字経営に傾かせることが出来た。
その間にできた借金は奨学金ぐらいで、
どんだけお金あったん?って思った。(留学もしたし。)

黒字になったので、お役ごめんって思って
今は一人暮らしをしようとしている。

物件を見るのが楽しい。

僕が今目指しているのは月15万の仕送りを額を月35万に上げるために頑張ってます。

無茶せずに3年後には達成したいです。
早く達成して、3人で実家のこたつで気持ちよく乾杯したいです。

痛くて笑われるかもしれない夢は日本企業に勤めたまま、海外の人が日本語を覚えたくなるような、インパクトを与えることをしてみたいです。。

めっちゃ長くなった。ごめんなさい。

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