なんとかなる
小学校・中学校・高校・大学と、何回か卒業している。しかし、ゆいつ覚えているのは、高校のときだ。
担任の大木凡人にそっくりであった(ご自身もそれをうりにしていたぐらい似ていた)T先生の言葉を覚えている。
ちり紙交換の「くるま」を運転していた
T先生は英語の大家で、高校教師をやる前は予備校で教えていたことは知っていた。しかし、卒業式の日に語ったT先生の歴史はおどろきだった。
T先生のお子さんが生まれる前後は、無職であったと。高校生ごころにも「それは、かなりきびしいのう」と思った。
なんとかおむつ代を稼ぐために、ちり紙交換の「くるま」に乗って日銭を稼いでいた と たんたんと卒業式の最後の学活でしゃべり続ける。
その後、縁があって少しずつ「わらしべ長者」のようにステップアップして、いまに至るという話であった。
そして、最後に「だから、みなさんもこれからいろいろあるかもしれませんが、なんとかなりますよ。そう、なんとかなりますよ。なんとかなる! これがわたしが最後に贈る言葉です」と言い切って終わった。
大学卒業後、わたしも仕事が不安的な時期があり、けっこう無職な時期があった。やけを起こして、インドにぶらりと遊びに行ってしまったこともある。でも、なんだか支えに「なんとかなる」という言葉があった。
そして、T先生のいうように「なんとかなって」今日noteを書いている。「なんとかなる」と私も卒業式の学活で話すこともある。