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トライアングル9

第七章 その先にあるもの 2 <sideカオル>


「たーだいま……」
 僕が家に帰ると、トモが晩ご飯を作っていた。僕たちのメシ当番は土日を除いて一日おき。週末は臨機応変だ。
「遅かったじゃん?」
 トモは器用にフライパンを振りながら言った。
「うん……」
 女の子にナンパされてたなんて言ったら、トモはどんな顔をするだろう。しかも、その女の子が自分に似ているのだと聞いたら? 単なる今日の出来事として話のネタにすればいいのに、でもなぜか言えなかった。それはやはり、彼女がトモに似ていたからなのかもしれない。
「今日メシなに?」
「チャーハンとワカメスープ。で、から揚げ買ってきたから皿に出してよ」
 トモの作った夕飯を皿に盛り付け、向かいあって、ささやかな食卓を囲む。玲子母さんが居たときには及ばないけれど、僕たちはなかなかちゃんとやっていると思う。
「トモってさ、何気に料理上手いよな」
 僕はトモの作ったチャーハンのパラパラ具合に感心して言った。
「そお? カオルの方が上手いじゃん? 俺、母さんのメシの次にお前のがスキ」 
 さらりと言ったトモの返答はサプライズで、僕を落ち着かない気持ちにさせた。 
 目の前にいるトモの、唇や指の動きにいちいち反応していたら、それこそ心が持たない。だから日常の中でそういうことには少しずつ慣れていったけれど、こういうサプライズには、どうしても心を乱される。
「カオル?」
 僕は箸を止めてぼうっとしていたらしい。
「カオル、なんかあった?」
 トモは食べる手を止めずに言った。どうしてこいつは、いちいちさり気なく核心を突くんだか。
「い、いや何で?」
 そして、僕のうろたえっぷりには、まったく説得力がない。
「なんか今日、うわのそら」
「……」
「話してみ?」
 ……って、半分はお前のことなんだけどさ。
 で、結局僕は、今日、彼女に会ったことをトモに話すことになった。ただ、やはり彼女がトモに似ていたことは言えなかった。
「星心女子ねえ……お嬢様学校だけど、やってるコはやってるからな」
「やってるって何を……」
「んなの、決まってんだろ」
「でも、そんな感じに見えなかった……」
「積極的にお前に近づいたのは、よっぽどお前のことが気に入ったか、よっぽどオトコが欲しいかどっちかだろ? まあ、いいんじゃない? LINE教えたんならまた連絡来るだろ? つき合ってみればいいよ」
 それは、予想通りのトモの答えだった。でも僕は、そんなことあり得ないけど「そんなうさんくさいのやめとけ」とか止めてくれるんじゃないだろうかと……はかない希望を持ってしまっていたのだ。
「お前って、ほんとノリ悪い……で、何て名前?」
 僕が黙っているので、トモは呆れたように言った。
「いやあの、何だっけ、忘れた」
 僕は咄嗟にそう答えてしまった。何だか名前を告げてしまうと現実に巻き込まれそうで嫌だったのだ。なんだか、この件をうやむやにしてしまいたい気持ちがあった。トモはそれ以上、突っ込んでこなかったけれど、このときトモに彼女の名前を言わなかったことが、あとで僕たちにとって大きな問題になるなんて、この時は思いもしなかった。


 数日後に、彼女からLINEがきた。近況報告みたいな、どうってことない内容だったので、僕もまた、当たり障りのないことを打って返信した。そんなやりとりが何度か続いたけれど、トモは何も聞いて来なかったし、僕も何も言わなかった。

 考えてみれば、そりゃそうだ。

 今まで、お互いの女の子事情なんて、それはまあ、殆どがトモだったけれど、いちいち報告なんかしなかったし、詮索もしなかった。ただし、僕がトモへの気持ちを自覚してからは、違う意味でますます聞けなくなったのだけれど……そのくせ、気になって仕方なくて、ストレスで胃が痛くなったりした。本当に情けない話だ。そして今、こうしてトモの知らない女の子と関わりを持つことが、トモに大きな秘密を作ってしまったような気がして、すごく落ち着かないのだった。

「そういや、例の星心女子のコって、どうなったのよ?」
 昼休みに屋上でダラダラしていた時、不意に思い出したように夏原が言った。
 あー、やっぱ夏原は覚えてたか……
 僕は、夏原ができればこの件を忘れていてくれればいいと思い、あれから彼女に会ったことも何も言わないでいたのだった。夏原のことは親友だと思っていたけれど、何故か僕は彼女のことをできれば誰にも知られたくなかったのだ。
 ……面倒だったのだと思う。トモによく似た彼女の顔が、頭のスミをかすめる。似ているというだけで、女の子として意識してはいないのに、今まで、僕を好きだと言ってくれた女の子たちは、多少気まずくはあっても何の迷いもなく切れたのに……
「いやその、別に何も……」
 僕の迷いは、そのまま歯切れの悪さとなって表われてしまった。
「ふーん、何かあったね」
 夏原は唇を尖らせた。
「俺にも言えないってワケね?」
「……」
「でもお前って、嘘つくとミョーに手先が落ち着かなくなるんだけど、知ってた?」
 僕はまさに、スマホのケースをいじくりまわしていたところだった。
「う……」
「トモに知られたくないんなら、黙っててやるよ」
 夏原は、本当に何ていうか、時々すごく鋭いから困る。


「えー、俺が帰ったあとにそんなことが!」
 夏原は悔しそうだった。
「ていうか、俺が消えるのを待ってたんだろうな……で、どうすんの?」
「どうって……」
「俺は、お前がLINEやり取りしてるってだけでもちょっと驚きなんだけど」
 痛いところをつかれた。
「だって、今まで、そこまですら至らなかったじゃん? てことは、前向きなんだろ?」
「……わかんない」
 僕のテンションの低さに、夏原は少々うんざりしたようだった。
「あーもう! ワケわからんヤツだな……もったいない、何でこんな優柔不断なヤツに……」
「夏原さあ……」
 毒づく夏原に、僕は、おずおずと言った。
「何で、僕がトモに知られたくないって……思ったの?」
「じゃあ、何でそんなに二の足踏むのか答えなさい」
 夏原は容赦ない。僕は観念して言った。
「似てるんだよ」
「あ?」
「そのコ……トモユキに似てるんだって」
「何それ?」
「だから! そういうのって何かこう微妙だろ……察しろよ」
 僕はヤケになって言った。
「微妙って、トモに似た女の子に告られて、まんざらでもないのが?」
「ま、まんざら?」
 僕は今さらながらにギョッとした。しまった、何か余計なこと言ってしまったのかも……夏原はけっこう鋭い。察しろなんて言ったけど、察して引かれたら……「オマエ、トモコンすぎだ」
「ト、トモコン?」
「トモユキコンプレックス」
 やっぱり微妙に夏原は核心を突いてくる。ストライクではないが、まったく外れてもいない微妙な線だ。
「そ、そうなのかな?」
 僕は冷や汗が流れるのを感じた。ごまかすか? いや、その。
「トモコンだとは思ってたけど、これほどとは思わなかった」
 夏原は、ズケズケと言った。
「……そんなこと思ってたのか?」
「まさか、思われてなかったとでも?」
「う……」
 僕は必死で自分の気持ちを隠してきたつもりだったけど、けっこうダダ漏れだったのだろうか? そんな、それじゃ今までの努力って……情けなくなって、僕はがっくりきてしまった。
「俺、この頃トモとよく話すようになって思ったんだけどさ」
 夏原は僕のおごりのコーヒー牛乳を飲みながら言った。
「あいつって、けっこうカオルに依存してる」
「え?」
「お前のトモコンとはちょっと違う意味で……何て言うのか、他にトモダチ作ったりとか、誰かとつるんだりしない分、お前に依存してる分が深いって気がする」
 夏原は真面目だった。そして僕は、何故か胸が詰まってきて……思い当たることはある。あるから、夏原の指摘が、第三者に言われることで、却って現実感を帯びて胸に迫った。
「けど、この頃はお前にもけっこう打ち解けてるよ。そんなこと今までなかった」 
 僕は何か言わなきゃと思い、でも、夏原の分析を否定したいのか、認めたいのかよくわからない。
「それだって、俺がカオルの近いところにいるからじゃん? あいつきっとそういうのに敏感なんだよ。お前というフィルターを通して他人を見てるってかんじ?」「確かに……あいつこの頃ちょっと変わったかもしんないけど」
 トモが変わったのは、僕に自分の過去をさらけ出してからだ。わかる。すごく思い当たる。
「うん、前はそういうのすらなかったもんな。そんだけお前との、何てーの? キズナってやつ? 強くなってるんじゃないの?」

「キズナ……」

 僕は、今まで口にしたことも書いたこともないような、その重厚な言葉を繰り返した。
「でも、俺はそれがちょっと恐い」
「恐い?」
「だから、トモにはお前しかいないから」
「そんなことないよ……」
「そう思う? ホントに?」
 夏原は切り返した。今まで、僕とトモがいかに狭い二人だけの世界にいたのかを思い知らされる。たとえ何人の女の子と遊んでも、トモは心を開いてなかったし、僕もまた、離れようとしながら、結局トモに囚われてばかりいた。第三者の目というのは、こんなにも的確で残酷だ。
「あいつはすごくもてるけど、でも実際誰にも本気じゃないだろ?」
「……ほんとに好きになってくれる人を、好きになれる人を探してるんだって、前に言ってた」
 夏原の言葉を受けて、僕はトモが前に言った言葉を繰り返した。
「だから、カオルが誰か……彼女とかできたら、あいつ立ってられるのかなって。お前はそこんとこを心配してるんじゃないのかなって思ったんだよ」
 そこまで考えてなかった、というより、考えられてなかった。トモの危なっかしさや、僕がトモにとって「特別な」存在だっていうことはわかっていたはずだ。なのに……
 僕が黙り込んでしまったので、夏原はちょっと困ったような顔をした。
「俺、ちょっと調子に乗ってしゃべりすぎたかも」
 そう言って、決まり悪そうに頭を掻く。
「ううん、僕も考えられたことあるし」
 僕がそう言うと、
「何もさ、お前が誰かと付き合ったり、好きになったりしちゃ駄目だとか、そういうことじゃないんだ」
 真面目な顔で夏原は答えた。
「どんな時でも側にいるんだって安心させてやれば……さ。難しいかもしんないけど」
「うん。難しいね」
 僕はぽつんと言った。
 皮肉なもんだよ。側に居てやらなきゃと思うし、居たいと思う。でも、トモを好きだという気持ちが僕を疲れさせる。気付かれたら、側には居られない。トモが僕の気持ちを受け入れない限り……でも、そんなことはあり得ない。
 あり得ないから……
 桜子から「会えませんか?」というメールが来たのは、その日の夜のことだった。


トライアングル10に続く


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