見出し画像

仕方ないことと、書くこと

今日は雑記の更新です。いつも「トライアングル」をお読みいただいている方、ここを見ておられましたらありがとうございます。あとで更新しますね。

 昨日は、補聴器の調整に行ってきました。
 トレーニングしてつけ初めて約一年、正式に自分のものを着用して約半年、順調だと思っていたものの、ここ数ヶ月ほど聞こえが悪くなって……。テレビの音量を三〜四段階上げ、かつiPhoneでの操作も、レベルをデフォルトからやはり三段階くらい上げなければ、ドラマもアニメも台詞が聞き取りにくい。
 人との会話も、スタバなどのカフェではもはや相手の声が雑踏に紛れて聞こえない。店員さんの声も聞き取りにくい。夫の声も以前より聞き取りにくい……。
 自分ではだましだましやっていたものの、やっぱりちゃんと調整してもらおう、
そう覚悟を決めて、まずは補聴器の洗浄から。使用者では触れない部分であるフィルターに汚れがたまっていたと聞き、往生際の悪い私は、ああ、だから聞こえにくかったのかと思い……でも、実際に聴力を測り調整をしてもらったら。
(ところで聴力は懐かしのオージオメーターで計らない。私も仕事でよく使ったけれども……補聴器つけたままパソコンで計り、調整をされる)
 てな話はほんとーに私の往生際の悪さの現れで、現実は、聴力がさらに
落ちていると告げられた。特に左が悪くなっていると。
 聞き取りにくくなってから、いつも怖かった.悪くなっているんだと認めることが怖かった。このまま、じわじわ聞こえなくなっていくんじゃないかと怖かった。
でも、やっぱりそうだった。
「……仕方ないことなんですよね」
「そうですね、その日の体調によって、とか、何日か後に計り直したら良くなっていたということは稀にありますが……」
 言いづらそうに口にされる技能士さん。持病を診てもらっている総合病院の耳鼻科で紹介を受けたところだ。病院で診てもらったわけではないが、本当にどうしようもないことなんだろう。
「どうですか? 今調整しましたが大きすぎますか?」
 一瞬、初めてつけた時のように音がうわーっと押し寄せてきて、すぐに馴染んでいく。
「いいえ、大丈夫です」
 調整ですからと言われ、お金も払うことなくその場所をあとにした。

 帰って夫に「聴力落ちてた」と話すと「そうか、仕方ないな」という返事で、彼はこういうときに慰めも心配も表さず(表さないのか、表せないのか今ひとつわからないけど)目の前にあるリアルだけを口にする人だとわかっていても、悲しくて腹が立って、それこそ仕方なかった。
 彼に? この現状に?
 いや、どうしたって「耳が聞こえにくくなっている」「だんだん聞こえなくなっていく」という現実と未来は変わらない。そして私はその未来が単純に怖い。「老化」よりも早く進んでいるその現状が怖い。 
 もちろん、まだまだ補聴器で調整していける範囲ではあるけれど、その調整巾が
少しずつ下がっていくのが怖い。
 因みにその日は、いつもの病院で胃カメラの検査もして異常なしだった。

 ここ最近は、仕事のBL小説の初稿が最初から調子よく進んでいて、ノルマも順調にこなし、書くのが本当に楽しかったのが、一気に気持ちがダウンしてしまい、筆が止まってしまった。
 書くの止めたらあかん、ノルマ書かないと。思ってもどうしても書けなかった。
 今回は持病とは別の次元で起こっている案件だけど、間質性肺炎にかかっていると知った時以来のショックだった。補聴器をつけ始めた時は世界が広がる希望しか
なかったのに、現実は違った。私は本当にわかっていなかったんだと思う。命の期限を告げられたわけではない。甘えるなと言う人もいるだろう。

 でも、数日したら浮上して続きを書く。ありがたいことに、前みたいに入院したり、キーを打てないような状況じゃないのだ。耳は聞こえにくくても、キーは打てるのだから。
 これは仕事だから、書くのを止めたら多くの方に迷惑がかかる。そして私自身にも、イラストの先生が決まってすごく嬉しくて、早くキャラをイラストで見たいという希望がある。そして何よりも、何よりも、私の本を待っていてくださる方がおられるから。
 私の本で一時、憂さを晴らしたり、ほっこりしたり、癒やされたり、幸せな気持ちになってくださる方が、たとえ少なくともきっとおられるから。
「幸せを届ける仕事」という記事を以前に書いたことがある。
 決して、身体や心に鞭打って、ということじゃないのだ。その幸せは私に返ってきて、今度は私をとても幸せにしてくれるのだから。
 今より若い頃💧は、書くのが好きだから、というのが大きかった。もちろん商業作家としての責任や、読者さまのことを思っていたけれども、まさか書くのが
心身ともにしんどくなる時期が来るなんて思ってもいなかった。
(これは私の心身の弱さ、あちこちガタが来ているせいであって、他の作家先生がみんなそうだということではありません)
 今ももちろん書くことは好きだから、書けるものなら商業同人誌も、二次同人誌もばんばん出して、児童書や絵本もやってみたい。ライトノベルももっと書きたいし、短歌も好き。だから、思う様に書けなくなっていくということ、今回のように
仕方のないことが増えて行くのがもどかしくて悲しいのだ。

 でも、週が明けたら私はキーボードに向かう。この記事を書いている今もそうだけれど、キーを叩く音や、小説を書くときにBGMに使っている雨の音を、今や体の一部と言ってもいい補聴器に拾ってもらいながら。
 
 仕方のないことにいつまでも落ち込んではいられない、とまだ思えるから。




























 











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?