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はじめてのフラダンスとピアノ

フラダンスをはじめた。ピアノもはじめた。

両親を見守るだけの単調な実家暮らしに刺激が欲しくて、音と共に無心になる喜びをなんらかの形で実現したくて習い始めたけれども、どちらも苦労している。
その苦労具合が自分でおかしくて、なんだか笑っちゃう。

音に乗って「気持ちいい〜」の境地には程遠い。だいたい、左右の手とか、足と手を同時に動かす時点で苦労しているんだ。思えば、アルゼンチンタンゴは上半身は抱き合っているだけだから、動かすのは足だけなのよね。しかも女性は、男性のリードによって踊るので、より音楽に集中しやすい。音をパートナーと共有して聴くということが最も重要なことで、どれだけ委ねられるかが要だったからなぁ。タンゴにどっぷりと浸かっている間に、上半身の機能が怠惰になってしまったのかもしれない。

フラダンスは足のステップに、上半身の表現も必要だ。曲ごとにしっかりと振り付けがある。この、決まり通りに全身をそれぞれパーツごとに動かすことに、ひどく苦労している。しかしながら、いつか踊りながら祈りの領域に到達するイメージだけは出来ているので、ここで挫折するわけにはいかない。そこまで行くと、きっと、きっと気持ちいいと思うのだ。
はじめてのフラの世界観には、すっかりハマっている。お教室では初めに祈りの唱和があって、神聖な気持ちでクラスに入る。裸足で大地を踏みしめて、言葉を超えた表現を手の動きだけで伝える。海と大地、地球の恩恵にまつわる歌詞の多い、自然と調和する音楽もツボだ。
好きだからこそ、思うように動かない自分の体にイラつく。隣で70代、80代のお姉さんたちが優雅に踊っている姿にジェラシーを感じる。
まぁ、それもこれも含めて、いい刺激なのかもしれない。

ピアノはもっとひどい。超初心者用楽譜でも右手と左手を同時に動かすことに苦労する。友達が楽譜読みは翻訳に近いと言ったけれど、確かにその通り。目で見た音を頭で処理して、指に伝達するまでやたらと時間がかかる。自分の半分くらいの年齢の先生に泣き言を言って、「大丈夫です。少しづつやればいいのです。」と慰めの言葉とともに指導してもらう。
こんな小さな街にも設置されたストリートピアノの記事を見て、父が悪気なく言う「お前もそのうちそこで披露したらいい。」の言葉に、怒りに似た感情を抱く。
まぁ、それもこれも含めて、いい刺激なのかもしれない。

50代のはじめての習い事は、生活のアクセント作りには、とりあえず大成功している。

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