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【ぼちぼち往復書簡】 指圧学校と師の思い出 From すみこ

ようこちゃん。コンサートのライブ感の貴重さ、わかるわー。それをより感動できるのは画面越しの歯がゆさを感じる期間を超えたおかげだよね。日々の色彩が前より色濃く見える、そんな毎日が愛おしいね。

画面越しといえば、コロナ渦、アルゼンチンで受けた指圧学校の授業の歯がゆさったらなかったわ。アルゼンチンの長い長いロックダウンの間は、指圧の手技もZOOMで習うしかなかったのよ。しかもスペイン語で。その過酷な環境下でもわたしが何とか修了証をもらえたのは、ある先生の功績が大きいの。

今日は、つい先日お空に旅立ったその先生のお話を聞いてくれる?

宮脇さんというその先生は、浪越指圧のアルゼンチン校に席を置いていて、実際に授業はしなかったのだけれどもアドバイザー的な役割で授業に関わり、その傍で指圧師としてブエノスの日本人コミュニティーの中では有名な癒しの達人でした。

タンゴを歌うのも好き、踊るのも好きで、ある時ミロンガでご一緒した時に、その場で肩を揉んでくれたのよ。わたしが指圧学校に通うことにしたのは、その時の先生の腕の良さに惚れ込んだのがきっかけ。全編スペイン語での2年間の授業におよび腰だったわたしに「サポートするから大丈夫」と先生は言ってくれて、本当にその言葉通り、手厚いサポートをしてくれたのでした。

日本語版の教材を横流ししてくれたり、レポートのコツを伝授してくれたり、スペイン語の授業がわからなすぎて半べそかいていたわたしをお茶に連れ出してくれて励まし、アドバイスをくれたことは1度や2度じゃなかった。ZOOM授業になってからも脱落しなかったのは、授業料を納めに行くという名目で先生を訪問した際にリアルで手技を学ばせてもらえたからだった。

先生のスペイン語は流暢ではなかったけれど、独自のコミュニケーション術で誰とでもすぐに打ち解けて、明るくユーモア溢れるキャラクターは生徒さんにもご近所さんにも人気でね、八百屋さんには「スイカさん」と呼ばれていたらしい。スイカが大好物だったの。
とはいえ先生は先生なりに言葉の壁の苦労があったのも知っている。浪越伝統の手技が正しく生徒に伝わるように、学校経営がうまく回るように、アルゼンチン人の先生達を束ねて、指導して行くことはなかなかに大変だった。
大変に違いなかったのに、頭をひねって工夫して道を拓いていく、その姿勢にいつも感心したものです。絵を描いたり、新しい教材を作り出したり、学校設備、備品も自ら頭と手を使って工夫に工夫を重ね、生徒達がよき環境で分かりやすく学べることに心を砕いていた人だったの。ほら、何でもすぐに手に入る日本とは違うし、日本独自の技をアルゼンチン人講師が教える為の工夫というのもあるしね。
そして指圧師として巨匠のレベルに達していたにも関わらず、研さんと研究を重ねていた姿にもまた感動したなぁ。

今回の知らせを聞いた時には、あまりにも急で驚いてね、その後目を閉じて先生を思い浮かべてみたら、先生はもう上の世界にいるみたいだった。いつものようにヘラヘラっと笑って、「沢山の生徒にたくさん教えたなー。満足満足!」みたいな感触だったの。それで何だかホッとした。先生がこの人生を満足して終えられたならば、何よりです。

教え子としてわたしが先生の指圧を忘れずに使い続けていくことが、先生への恩返しだなって思っている。今日ブエノスでお別れの儀があるのです。日本から「ありがとう」でお見送りしたいと思う。

ようこちゃん、今日はしんみりした話題になっちゃった。私たちも毎日を大事に生きて行こうね。



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