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【ぼちぼち往復書簡】どの瞬間も貴重なわが家のお正月と強制ストップかけられたわたし From すみこ

ようこちゃん。あけましておめでとうございます。
鏡開きも過ぎて、そろそろお正月気分も抜けてくるね。

今年も我が家は同居家族4人で元気に新年を迎えられました。
初詣に行って、弟が「来年も同じように来れるとは限らないから。」と言って両親の写真を撮っていたの。我が家は一事が万事、そんなモードのお正月でした。
そんな、というのは、どのしきたりごとも、どの瞬間も大切に、ということ。

おせち料理は大事な我が家の文化なので、年末は料理に明け暮れた。二日も過ぎるとみんな同じものはもう食べたくなくて、逆に完全消費するのに苦労するほどのおせち料理ではあるけれども、やっぱり新年の朝に、お神酒で乾杯しておせちを一品一品意味合いも含めて噛み締めるのは、日本らしくていいなと思う。
それに「お嫁に行ったらちゃんとこの通り作るんだよ」とか言われながら、台所で母の横に立つのは笑える大事な瞬間でもある。アルツハイマーの母の頭の中では、わたしはまだ嫁入り前の小娘なのだな。

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母の全盛期と比べるとかなり品数も手間も省いたけれども、まあまあ見栄えする程度には仕上がった。

12月中旬には父の年賀状の宛名書きの手伝い。ハガキを一枚づつ手に取り、どの人がどんな繋がりなのかとか、昔の思い出話しとかを色々と話すのは、父にとっては申し送りのつもりなんだろうなーと思ったりすると、そこにじっくり付き合うのは正しい事だと思う。

そんなこんなで年末年始というのは、その時期にしか出来ないことが多くて本当に忙しいね。神棚の整えとか、正月飾りとか、新しい年神様をお迎えする日本らしい準備というのは好きなのだけれども、どれもキッチリやろうとすると無理が出るな。

年末に始まったほっぺたの痒みはその後全身に広がって、今も皮膚科のお世話になってる。頑張りすぎはカラダにくるお年頃です。
前回書いた通り痒みが出た当初、わたしが感じたのは祝福だったわけですが、結果的には『強制終了!おめでとうございます!』みたいな感じだったようです。

言い換えると、『頑張りすぎです、自分の限界を分かって、もっと自分を労ってくださーい。』てな感じ?
適当なところでよしとする寛容さとか、ペースダウンしてぼちぼち行く気楽さとか、出来ていない事より出来ている部分にフォーカスを当てる心の広さとか、そんな事を身につける場面なのだなー。それを気づかせるための不調であったならば、祝福以外の何物でもないよね、と思う。

ぼちぼち行く、というのが今年の抱負かな。

ようこちゃんが付けてくれたこの往復書簡の表題の、ぼちぼち。
今まで以上に愛着が湧いてきたよ。今年もよろしくね。

すみこ

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