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『千と千尋・・』をセラピスト目線で見たら面白すぎた話

アルゼンチンで見るNetflixにはジブリシリーズがあって、久しぶりに『千と千尋の神隠し』を観た。

千がハクに貰ったおにぎりを食べて泣くシーンで、一緒に泣いちゃう感じは、アルゼンチン人のnovioには全然理解できないらしい。やっぱりおにぎりへの思い入れって日本人特有のものなんだろうなー。アルゼンチンだと、ああいう場面でエンパナーダなんだろうか?

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さて、以前に観たのは何年前だったのか覚えていないけれど、多分わたしがセラピストになる前だったのだろう。今回改めて観て面白すぎたのは、油屋が八百万の神様達が疲れを癒しに来る場所だというマニアックな設定もさることながら、オクサレ様の入浴シーン。

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臭くて、ドロンドロンのヘドロまみれの状態で油屋に来たオクサレ様の正体は、人間によって川を汚されてしまった川の神様だったという設定。千が見つけた自転車を引き抜くと、後から後からゴミがドドドドドーっと出てきて、不要なものをすっかり出し切った神様は、本来の清浄な龍のお姿になって帰って行く。

これが、おおおーっだった訳。
人様のセッションをやらせていただく時は、まさにこんな感じなのだ。ひとつ浄化すべき課題を見つけてそれを癒しきると、後から他のものが出てくる。オクサレ様の吐き出しみたいに一度にドドドとはいかないけれど、最初の自転車の引き抜きの大変さを超えると、次からは吐き出しが容易になる。

継続的にセッションをさせていただいているクライアントさんに、まさにこれが起こっていて、とても興味深い。
依頼されているのはレイキヒーリングである。レイキヒーリングにおけるヒーラーは純粋にレイキエネルギーの通り道という役割を果たし、ただただ癒すというスタンスで行う。教科書的には良くなって欲しいという意図すら不要と言われるので、そのように心掛けるが、向こうからメッセージが届いてくる場合には、それを受け取って、そこに必要な対処をするようにしている。

具体的に彼女の場合、最初のセッションで井戸のビジョンが届いた。井戸の水を汲み上げて分け与えることに懸命に取り組み、そしてそれに疲れ果てているという感じ。それは家族との関係を表しているようだった。家族の中の司令塔の役割を果たしているうちに、自分が居なきゃダメなんだと思い込み、全員の苦悩も試練も背負い込んでしまったような状態と感じられた。このような場合、まずやるべきことはその思い込みを手放せるようにしっかりと癒しきることなので、そこにフォーカスしてセッションを行い、本人ともその思い込みの手放しのコンセンサスをとって終了した。
次のセッションに呼ばれた時には、今度は全然違う過去生のテーマが浮き上がってきた。そのあとも別の過去生や、特定の家族との関係など、会うたびに次から次へといろんなテーマがやってくる。

次のテーマが見えてくるということは、前のテーマは完了したということだと解釈している。次々と新テーマが出現するのは、他者から自分自身へのフォーカスに変化したことで、本人の開花が始まったみたいな感じじゃないだろうか。
川の神様みたいに、要らないものを全部吐き出したら、本来の輝きを取り戻して空高く飛び立ってくれるだろうなと、ひっそり楽しみにしている。

神様だって、湯婆婆の油屋で疲れや汚れを落とすのだから、人間だって体のケアをしたりヒーリングを受けたり気軽にするといいよね。

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話は変わって、千が銭婆の家からの帰り道にハクの背中で思い出す幼少時の話。あれは人の潜在意識に沈んで忘れていた記憶の蘇り。こちらはヒプノセラピーに通じるエピソードで、これまたセラピスト的視点では萌えポイントだったりする。
だから最後に「またどこかで会える?」「うん。きっと。」と別れる二人を、そりゃ会えるよねー。と安心感を持って観終わることが出来たわけで、とにかく、面白かった。

横で寝落ちしていたnovioには、いくら説明してもこの面白さは分かってもらえないだろうなぁ。


スタジオジブリさま。常識の範囲と思いながら画像を使わせていただきました。粋な図らいありがとうございます。


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