フィクションは人を癒せるか。

あれ以来ずっと辛気臭い投稿ばかりですみません。
書くことで癒されている部分があるのでご容赦ください。
別アカウント立てて、そこを追悼専門にすればよかったなと今更ながらに思っていたりします。


まだまだ毎日一回以上は不意に襲ってくる悲しさの波に負けて、ひとしきり泣いてしまいます。
それでも……なんというか、泣きそうになる時にぎゅーっと胸に集まる熱くて痛い塊のようなものはだいぶ小さくなってきました。
わずかずつではあるけれど、娘の存在が私の中に吸収されつつあるのかなぁと思います。

もちろん、揺り戻しもしょっちゅうで、ちょっと落ち着いたかなと思っていると、なんかのはずみにでかい「悲しい」が押し寄せてきて、深いところへ引き戻されたりもします。
娘の名を連呼するだけで泣けます。


私は特定の宗教を持たないので、死は消滅以外の何物でもないし、霊感も信じてはいません。
まあ、日本人なのでお寺や神社では手を合わせますし、広義での日本的アニミズムはありますが。
もちろん、それらを信じている人を否定はしませんし、こちらに押し付けてこない限りは受け入れます。

単純に言えば、第三者に「娘さんはあの世で穏やかに暮らしているよ」とか「虹の橋のたもとでこっちを見ているよ」みたいな甘ったるいファンタジーを語られるのがしんどいってだけの話でもあります。


しかし、そういうスタンスを取っていると、天にも地にも居なくなってしまった娘を思う基盤が無くなっちゃうってことで。

一応、今週末には四十九日をやることになったし、来月には仏壇も来る予定ではありますが。
(姑の安寧のために結局仏式の法事をすることになりました)

そんな自分なのでここのところは「生き返る」ことが主眼じゃない「あの世」系のアニメ、漫画とかドラマを観ています。
「デス・パレード」「死役所」「エンジェルビーツ」「ジゴサタ」……
「鬼灯の冷徹」…はちょっと違うかな💦

不謹慎かもですが、娘、もしかしてこれらの世界に行ってたらどう過ごしているかなと妄想しています。
娘も私もオタクなので。
「デス・パレード」で同時刻に亡くなった人と死後の裁定をかけてゲームしてるかな、あの子の勝てそうなゲームってあったっけ?とか「死役所」で手続きしてるのかな、とか、「エンジェルビーツ」の学園で、しばし仲のいい友達が増えて、楽しく過ごせたらいいな、とか、「ジゴサタ」の世界では自殺も一件の殺人とカウントされてしまうけど、きつい罰受けてなけりゃいいな……とかとか。

そしてやはり泣いてます。

私は泣くけれど、彼女は泣いてないといいな、と思います。
苦しいことは終わったんだし。

来世は「ちゃんと飼ってくれる家の猫になりたい」とも言ってましたっけ。
ごはん貰って、みんなに撫でてもらって、昼寝三昧の猫がいいって。
もう、ウチではペットは飼わないけれど……ばあちゃんはじめ、私たち夫婦もいつまで元気でお世話できるかわからないので。
もし、転生なんてものがあったら、今度こそ幸せになってください。
辛いことの少ない生涯をおくってください。



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