そこら中にあるブレーキ。

遺影が仏頂面なので毎日拝むたびに余計に悲しい。
鬱になってから亡くなるまでいい顔の写真がないからなのだけれど、かといって可愛かった幼い頃の写真を飾るのは、なんだか鬱になってからの彼女を否定しているように思えてできない。
というか、アルバムを開いても「どこで道を間違えたんだろう…」としか考えられない。

何かを楽しみかけては「ああ、もうあの子は楽しむこともできないのに…」と思い、美味しいものを口にすれば「あの子はもう食べられないのに…」と思う。

彼女が生まれてからこっち、ずっと同じ家、同じ町に住んでいるから、そこここに思い出がこびりついていて、うかつに外も歩けない。

あの子とて、死ぬまでは精一杯生きたのだ。
そう思おうとしても無理。
お母さんがそんなに泣くと、あの子が迷って成仏できないよ、と言われても無理だ。

そこら中にプラスの感情を停止させるブレーキがあって、気持ちがどこへも行けない感じになっている。


中原中也の「春日狂想」にあるように

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあいけません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどそれでも業(?)が深くて、
なおもながらうこととなったら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですら、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

(※註 中原中也は2007年に著作権切れてるので、そのまま引用してます)


奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、こともできない。

……と続き、結局はそこら中にあるブレーキを躱しつつ、テムポ正しく握手をするが如く生き続けなければいけないんだなぁと思う次第。


「春日狂想」のフルバージョンはこちら。
https://mukei-r.net/poem-chuuya/arisi-57.htm

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