ゴッホ・アライブ

芸術性を磨くべく(?)ゴッホ・アライブ行ってきた。

展示は良かったんだけど、入り口が貧弱なのなんとかならんかったのかな…傘もバケツに入れる方式で、帰りにどうしても自分の傘を見つけられず…うーん。

没入感あるし綺麗だし、満足感も高くて一本の映画をみたかのような心持ちだし、なんなら2周したんで、めっちゃ楽しんではいるんですけど、

絵 画 は 1 点 も な い

斬新な展示だし、本物を取り扱わないので大人の事情が色々楽なんだろうなとは思いつつ、やっぱり本物の絵画は1点で良いからあってほしかったなぁ。

美術に関してとやかく言えるほどの素養や知識があるわけではないので、こんなことを言うのは憚られるかもしれないが、個人的にはゴッホの良いところは(無論、ゴッホ以外もそうであるように)映像では伝わらない"気迫"のようなものではないかと思っている。

硬い絵の具を溶かずにそのままぶつけたかのようなエネルギー、ゴッホの叫びにも似た筆の軌跡、その絵画の厚み…
そういった成分は映像作品にする際に希釈されて平坦になってしまっているきらいがあったように感じた。

それから、これは完全なエゴというか偏見でしかないけど、
「わー綺麗!」「めっちゃ映える!」と、正方形の枠で切り取られていく(=Instagram)のは、ゴッホが見たらヘソを曲げそうな気がする。

ゴッホはありのままの自分を愛してもらうことを望み、作品に触れた人がゴッホの感じたことに思いを馳せ共感してくれることを願い、その一方で「使った絵の具代よりも価値があると分からせてやる」と思っていたりと、なかなかめんどくさいタイプの人でもある。

そんな彼が【映え】の対象として扱われることに対してどのように思うかは知る由もないが、なんとなくヘソを曲げていてほしい自分がいる。

…などと、こんなことを書いていたら「お前に、俺の、何が分かるんだっ!」と憤怒の形相のゴッホに飛び蹴りを喰らいそうな気がしてきたのでこの辺で。

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