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いってらっしゃいの前に。

去年の暮れにカナダから帰ってきて、きた道を引き返すようにすぐアメリカへ旅行しにいった。旅程を無事終えて、いっしょに行った友だちとの別れ際、ぼくらはおそらく大抵の日本人がやるように(それは言い過ぎ?)バイバイと手をふってそれぞれの帰路についた。ぼくはたまらなく切なくなった。

というのも、カナダでは会ったときと別れるとき、男性間では握手を交わし、女性間と男女間ではハグをする。しばらく暮らしたことのある国がカナダしかないから他国の事情についてはよく知らないが、とにかくカナダではそういうことになっている。たぶん、年長者の部類にはいる人たちに限った話ではないと思う。

向こうにいる間、わりにたくさんの人と出会って、ほんとうに身に余るくらい気にかけてもらった。ぼくがハグするのがすきだと言うと、そろってきつく抱きしめてくれた。ぼくはそれがうれしかった。うまくそれを伝えられなかったけれど。

だから北京の空港でひとりになったとき、ぼくは自分自身をかばうように身をこごめた。傷口が水にふれたみたいに、淋しさがきつくしみた。とりあえずラウンジに置いてあったまんじゅうを口に詰めこんで、気を紛らわした。

年が明けてから、その話をかいつまんで母親に話した。厳密に言えば、カナダではよくハグしたことと、友だちとの別れ際に切なくなったこと。そうしたら、毎朝母親が家を出るときにハグをしようということになった。

7:30くらいには家を出る母親に合わせて、ぼくは水を吸って膨張したような感じのする頭をどうにか首に落ち着けてベッドから這い出し、見送るために玄関に立つ。そしてハグをする。

最初の2回くらいは順調だった気がする。とくに何か思うわけでもなく、ふたりで決めたとおりにこなした。

ひっかかったのは、そのあとだ。

ふつうに考えて、というのは、それがぼくと母親の交わした会話がもととなって生まれた習慣だという立場にたって考えたとき、その行為に精神的に頼るのはぼくのほうであったはずだった。少なくとも、より頼っているのはぼくだったはずだった。

ある朝、前日の朝と同じようにハグしたら、直感的にわかったことがあった。母のほうが頼っている。母のほうが、これを精神的な拠りどころのひとつとしている。

そのときから、ぼくのなかでそれは母のためにやる習慣になった。ぼくはがっかりした。なんとなく、「また」がっかりしたという感じすらあった。

それからも少しの間は続けていたけれど、だんだんぼくが寝不足気味になったせいもあって、その習慣は早くも薄れはじめた。母は家を出るとき、ぼくを寝かせたままにするようになった。

ある日の夜、ぼくの弟が母親にきつい口を叩いた。ぼくの弟はやや勘違いしているようなところがあって、たびたびぼくら家族のこころに引っかき傷をつくる。それもそのひとつだった。

リビングルームに行ってみると、母は歯を磨きながら泣いていた。ぼくが立ち止まると、肩にかけていたバスタオルで涙を拭った。そしてテレビに視線を戻した。

あえて言うならば、体の中がひとつの感情一色に染まったような感じがした。ぼくは母親の傍らにしゃがみ、右腕に顔をよせて華奢な肩を抱いた。母親は平気な調子を装って「ん、どうしたの?」と言った。そして席を立ち、洗面台に向かった。

その次の朝、ぼくは久しぶりに玄関に立った。自室のドアを開けて、爆発した頭でのそっと出てきたぼくを見て、母親はうれしそうだった気がする。

荷物を手にとった母親に向かって両手を広げると、「久しぶりだね」と言って母は荷物をもとあったところに置き直し、ぼくの背中に腕を回した。ぼくもぎゅっと抱きしめた。今日も仕事がんばってね、と声をかけた。

母がそれに頼っているのは、ほぼほぼ間違いないだろうけど、ぼくも頼っていた部分がけっこうあったのかもしれない。なんとなくそう思った。そう思うのは、なんだか心地よかった。




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