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五輪開催の意義

6月9日、党首討論で菅総理が枝野代表とのオリンピック開催の是非を問う党首討論の中でご自分の東京五輪の体験を話されました。
菅総理は高校生の時の体験を鮮明に記憶してると言われバレーボールの東洋の魔女やマラソンのアベベ選手、柔道のヘーシンク選手の話をされます。  菅総理は戦後の荒廃から五輪を開催できるまで復興した日本と東日本大震災を重ね、同様の体験を未来を引き継ぐ者に希望と勇気を伝えたいと話されました。これを枝野代表は「相応しくない」と批判し各党の代表も答弁台本だとか、危機感や気迫が無いと総理の話の意図を理解する気がありません。
この野党各人の反応がわたしには「かれらが国民国家が成立することをどう認識してるのか」の回答だと思います。
 人間の社会はハチやアリのように本能に根ざすものではなく損得にもとずく行動です。ですから大災害や国難を迎えた時、人々は混乱します。人々の結束が弱い社会では助け合うこともなく各々が懸命に生き残る術を模索するしかありません。また社会の混乱を共通の問題と認識せず、自分個人にとってのチャンスと捉える人も居ます。ですが社会が崩壊してしまえば社会に依存してた個人の安定を望むだけ愚かです。
BLMを掲げ、反差別を主張する群衆を相手に、「私たちは同じアメリカ人だ」を主張をする黒人女性は黒人ではなくアメリカ人としての連帯を訴えます。集団となり社会を形成するために連帯が必要ですが連帯を維持するためには共通の体験の記憶が必要です。
わたしたち個人の人間関係も関係の持続を困難にする出来事や問題に幾度となくぶつかります。問題に躓き関係を維持できなくなれば終わります。国家も同じです。その困難を迎えた時、連帯し共に助け合い支え合う心を生みだす根拠が想い出です。
 福島第一原発事故の時、民主党政府の菅直人政権は「絆」と言う漢字一文字の下に救援物資、捜索活動、医療活動への感謝を各国の新聞で表明します。日本国内でも絆の掛け声の下、被害者の救済運動に号令を掛けますが「絆」が謳い文句止まりであることに国民は徐々に白けていきました。菅直人総理が左翼の手垢の付いた連帯ではなく、広く一般に受け入れられ易い「人と人の絆」を掲げた理由は判りませんがキャンペーンに成り下がってしまった「絆」はある種の強迫観念を伴いはじめ批判的に論じられていきます。つながりを強制で作り出してはダメなんです。人と人の繫がりは極々些細なことの積み重ねで形作られていきます。
天皇陛下はことあるごとに国民にお声をお掛けになり、お言葉の中で多くの災害と共に常に人々の助け合いがあったことを記憶を掘り起こしてくださいます。体験の積み重ねが絆を生むのでありスローガンの言葉だけでは他者を同胞と認識し連帯する根拠足りえないのです。
歴史の浅い国では国民の共通体験が少なく、連帯を理念やスローガンに求めます。しかし、同胞と認識する根拠が希薄なままでは国民国家の持続は困難です。強い強制力が無くなったと思われた瞬間にソビエト連邦は崩壊しました。大量にイギリスに流入する移民からイギリス人の連帯を守るためにイギリスはEUを離脱しました。
 国家の存続に立ち塞がり国家を衰退、消滅させるモノは大戦争、大災害、秩序の崩壊 そして疫病です。僅か2年で406万人もの生命を奪ったコロナは天然痘やペストに比肩する疫病です。たとえワクチンが有効だと判ってもパンデミックの終わりを定義するには長いプロセスを要します。国家の未来は決して既に定まったものではありません。国難にくじけることなく明るい未来に向かって共に過ごす、曖昧な時間の積み重ねが糧となり同胞の強化、ひいては日本国の強化に結実します。国民の結束は法律で強制できるものではありません。菅義偉総理は最初から五輪を開催する意義がここにあると答えているのです。

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