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自己紹介(第2弾)

この記事まで来てくださった方、ありがとうございます。自己紹介第2弾となります。前回幼稚園~高校生までを書いていて、思ったよりも記憶がよみがえってきてしまって長くなりそうだったので、途中で切り上げた次第です。

前回はこちら 👉 自己紹介(第1弾)【幼稚園~高校生】

残すところは大学時代~社会人時代。今回も少し長くなりますが、読んでいただけると幸いです。
では大学時代からリスタートです。どうぞ。

大学時代(2012~2016)

関西の私立大学に入学。ここでバスケ以外のことをしようかなと思っていたので、フェンシングか歌を始めようと思っていたが、なんやかんやでやっぱりバスケサークルで4年間を過ごした。

1回生のときはアカペラサークルに入って同学年で男バンドを組んだり、先輩のグループにも誘っていただいたり、楽しく過ごせた。このアカペラサークルを辞めるきっかけになったのが、自分の向上心の問題。

周りとすごくギャップがあった。メンバーは練習の中で気づいてくれていたみたいだが、節目の時までそっとしておいてくれたみたいです。

話し合いのなかでは、自分たち以外のグループがどう上達しているのか、自分たちの成長度をみんなで冷静に考えた。5人組グループだが、それぞれに細かく気持ちの差があったことが分かった。

みんなどこかのタイミングでそれを感じていたことも分かった。「同じ気持ちで」ということがいかに難しいかを初めて感じた気がする。

大学では教職科目もとっていたので、多分すごく忙しかった。大学まで2時間半かかっていたので、友達の家に泊まることもしばしば。なんとも憎らしいのが、教職科目はだいたい1限か7限。7減の終わる時間は21時40分(当時)。

だから終了直後の電車を逃すと最終バスに乗れなくなる。自分に言ってあげたい。よく頑張った。
ただ、行きかえりの時間のおかげで本はたくさん読めた。恩田陸著作が大好きです。

話が前後するが、1回生の時はなかなか友達が出来ず秋頃までかなり勤勉な大学生だった。大学2回生からはバスケ三昧。週3、4日はバスケをしていた。サークルの会長をさせてもらったり、関西の選抜に選んでもらったり、サークル日本代表みたいなのにも選んでもらえて、いい経験をさせてもらった。

大学3年生のころから、母校バスケ部の学生コーチになる。ここはひとつ転機だった。いい子たちばかりで、年も大して変わらない私に対して、すごくキラキラした眼差しを向けてくれていた。おこがましが、「力になりたい」とすごく思った。

大学生と言えば、初めてバイトをする人も多いと思う。私はパスタ屋でバイトを始めました。すごく厳しい店長で、初めてのバイトがここでよかったと改めて思う。社畜のようにビシバシされたというわけではなく、店長さんのON、OFFの切替えや(読まれている人の想像を超える切替え加減)、おもてなし、気遣い、すごく多くのことを学んだ。

残念なのはそのお店があったところには今はコンビニができてしまっていること。

4回生のとき、はじめて挑む教員採用試験は落ちてしまい、どこかの講師になるのかなと思っていたところ、この間ずっと学生コーチをさせてもらっていた母校の先生から、うちの学校はどうだ?と声をかけてもらった。

結果、教員ではなく事務職員での内定になったのだが、色々な話が交錯していたので正直どういう経緯があったのかわからない。そしてこのことが少し先に私の中でもやもやの原因になる。

大学生活を振り返ってみると、バスケしすぎな大学生だった。

社会人時代(2016~)

今の私は、花とピアノを趣味としている筋トレバスケットボールマン。キメラみたいな現状です。6年間の社会人時代を振り返ります。

1年目、母校の学校事務になる。回りには、学生時代にお世話になった先生。教育実習の時にお世話になった先生。「あれ?先生にならないの?」と聞かれることもしばしばでなんとも窮屈な1年目だった。

バスケ部には引き続きボランティアコーチとしていかせてもらっていた。正直この放課後にコーチをするために職場に行っていた。そんな1年だった。
2年目、いつ先生になる?と思い始める。

学校側も私を将来先生として雇用するのか、事務職員として雇用するのか決めかねていたらしい(後日談)。仕事内容や、職場環境で悩むことは全くなかったが、バスケ部の指導面でかなり悩んだ。

2年目の終わりころ、このころから他校の先生に声をかけられたり、バスケ関連のお話ももらっていたが、今見ている子たちのコーチを続けたかったので、今の学校に残ることに。

学校からも「ぎょろめさんは、今後どうしたい?」と聞かれ、この学校で先生になりたいという気持ちは全くなかったので、「事務を続けさせてもらいます」と答えさせてもらった。

事務の方々には安心していただいたみたいで、それはとても嬉しかった。先生になりたい気持ちが爆発したら、教採を受けようと思う。

3年目、【どっちつかずのぎょろめさん】から【事務のぎょろめさん】に初めてなれた年。仕事も今まで以上に任されるようになり、少し自信と自覚が芽生えた。バスケの指導も2年間の反省を活かせた年になった。

4年目、秋頃に転職を考える。転職活動は、3戦1勝。結局内定頂いたところにはいかなかったが、転職活動は楽しい時間だった。また、勤務している学校では、私がコーチをする必要性がなくなってしまった。

かなりショッキングだったが、プラスに捉えて、自分の時間がかなり生まれることに気づいた。ここでようやく、フラワーアレンジメントのレッスンを習い始める。

教室には上品なおばさましかおらず、めちゃくちゃ可愛がってもらっている。課題に対して自由に生ける人や、資格取得を目指して真剣なまなざしで生ける人など、皆さんが花好きなのが指先から、眼差しから伝わってくる。

5年目、職場のいいところとしては、「自由」なところ。たぶんさぼろうと思えばさぼれるが、思い切って企画書を何個も作ってみたり、管理職にいきんりプレゼンしたりとわりと無茶苦茶したと思う。ただ、その企画のいくつかは実現もできて、また違った楽しみが仕事の中に生まれている。

花の方は、コロナでレッスンが中止になる期間も長かったが、3級を取得できて、一歩進んだ気がした。この年末には2級を取得する予定。

6年目、仕事は例年通りのことをこなしつつ、学校の転換期でもあるので、新たなチームにも参加している。また、今年も企画書を2つ出した。一つは学外の方向けのイベント。これは大盛況だった。また書こうと思います。

花の方ではものすごい進展があった。散髪に行ったときに、いつも切ってくれているお兄さん話をしていて「最近どうですか?」という誰しもが経験している話の入りから、なんやかんやで話が進みそのお兄さんが神戸で新たに開業する飲食店の店内装飾をすることが決まった。

素人の初仕事でかなり段取りも悪く。プロの方と比べたら見栄えは劣るもので間違いないけど、チャレンジさせていただいたことは何から何までいい経験になった。

ネットでかなりの量の花を仕入れ、仕込み、運搬、現地装飾。緊張したな。これが5月のこと。ここからは、友人の結婚式ムービー用のブーケを作ったり、友人のお母さんの誕生日ブーケやら、式・披露宴用のブーケやら、お願いを頂くようになった。

自分の手でつくったもので人が喜んでくれるなんて今までにない経験で毎回感激で泣きそうになる。ゆくゆくは副業の一つにできたらいいなと思う。今のところお代は、ほぼ材料費だけ頂いている。(副業がダメなので)

社会人時代は、年を増すごとに濃くなっている気がする。
花っていいなーー!!


一旦ここで終わります。長文読んでいただきありがとうございました。また会いましょう。


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