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自己紹介

この記事まで来てくれた方、ありがとうございます。決意表明と同時に人生の振返りをしていきます。
他人の人生ですが、温かく見守ってくださるとありがたいです。

では、宜しくお願いします。

<現在取り組んでいること>

バスケ(小5~)
筋トレ(2021.12~)
ピアノ(2021.10~)
フラワーアレンジメント(2020.4~)
ウクレレ(2021.2~)

<短期>

バスケを続けること
BIG3:350㎏
ストリートピアノ演奏
フラワーアレンジメント2級取得(2022.3試験予定)
アレンジメント置いてもらえるお店3件営業(成否は問わず)
アレンジメントワークショップ

<中期>

ストリートピアノ演奏 10人足止め
フラワーアレンジメント1級取得
アレンジメント2件定期取引
アレンジメントワークショップ月1回定期開催

<長期>

未定

幼稚園(1998~2000)

足が速いことがすべてだと思っていた。だからこの時の将来の夢は「サラブレッド」。
(少ししてこの夢はジョッキーに変更になる。)
とにかく何事も「できない」ことが悔しくてたまらなかった。そして主役が大好きだった。目立ちたがり屋だったと思う。
ずっと好きな女の子がいたけど、幼稚園児なりのアプローチ(話しかけたり、いたずらしたり)は一切できなかった。目立ちたがり屋の割にはかなり草食系だったな。

幼稚園での一番の思い出はお誕生日会。先生から「好きな女の子はいますか?」と聞かれ、ここしかないと思ったので【青少年の主張(V6のTV番組の企画)】みたいにみんなの前で「Aちゃんです」と言ったのを覚えてる。でも先生がAちゃんの名前をBちゃんと聞き間違えてみんなに伝えてしまった。訂正する余裕もなく、そんな中Bちゃんは少し照れていて、わたしは頭真っ白になった。

内に秘めるものをもった幼稚園児だったなと思う。


小学校(2000~2006)

負けず嫌いがより一層強まっていた。この時の将来の夢は「プロ野球選手⇒NBA選手」
自転車に乗っている友達に、走って追いつけないことが悔しくてたまらなかったのを覚えてる。
1年生から水泳を始める。とにかく大嫌いだった。バタ、背、平、クロ全部泳げるようになったらやめれるという契約を親と交わし、最速の予定で見事辞める。
2年生の冬から野球を始める。何に対しても根拠のない自信があったので、初回の練習から胸を張って参加。そこでチームのルールや約束事を初めて学ぶ。衝撃的だった。「好き勝手は許されない」という窮屈さと新鮮さを感じていた。しかし徐々に守備でじっとしていることが退屈になり、4年生の終わりころに野球はやめる。
5年生でバスケを始め、コートの上で動き回れることや、昨日できなかったことが今日できることに喜びを感じ、ドはまりする。(人生を支えるスポーツとなる)

バスケにドはまりしている頃、恋をするが案の定思いを伝えられず、見かねた友達が幾重にも手を貸してくれて、告白できた。実りました。ありがとうございました。

家が学校まで遠かったので、帰りながら探検して遊ぶのが常だった。夏は基本的に川登りしながら帰宅。あまり悪いことはしない性格だったが、強烈な悪事をはたらいたことがひとつ。ゴルフ場に忍び込んだこと。雄大なグリーンに感動して走り回っていた。この時ちょうど『テキサスチェーンソー』という映画を見たときだったので、係員さんに見つかって追いかけられた時は、興奮しながら逃げた。

6年生で大好きな言葉に出会う。このときの担任のT先生が「謙虚に大胆に」というのを言ってくれた。モットーは何かと聞かれると、絶対この言葉が浮かぶ。

ミニバスではキャプテンをさせてもらったが、小学校6年生なりの熱い背中をみんなに感じて欲しい気持ちで頑張っていたと思う。この経験が、チームとか組織がどうやったらうまくいくかを考えるきっかけになったと思う。

色々と背伸びをしていた小学校時代です。


中学校(2006~2009)

私立の中高一貫校に入学。先生も生徒もパワーあふれる学校だった。
この時に一生の友人と呼べる人に出会う。ほぼバスケをしに学校へ行っていた感覚だが、勉強もそれなりに楽しくできたいい時間だった。
県の選抜に選んでもらい今まで接したことなかった人たちと出会い、視野がパカッと広がった気分だった。チームでもいいところまで勝ち進めたのでいい思い出しか残っていない。

中2の時、どこかの施設で職業体験をする校外学習があった。体験内容一覧で見つけた「フラワーアレンジメント」が定員オーバーにならないことを祈りながら第一希望で提出。私ともう一人だけしかおらず。アレンジメント体験を満喫、堪能。花と関わる片鱗は実はこの時にあった。なぜフラワーアレンジメントに興味があったのかは覚えていない。

部活の話に戻るが、最後の大会が終わった後一度燃え尽き症候群に。「音楽やってみたいな」と考えたが、当時の先生と相談して、高校でもバスケを続けることに。引き留めてもらってよかったと心から思います。

バスケと友人と花に出会えたいい3年間だったと思います。


高校(2009~2012)

中高一貫校なので、そのまま進学。高校3年間では、勉強・バスケともに、「勝てない相手がいる」ということを刻み込まれた。とにかく猪突猛進にバスケに明け暮れた3年間だったが、最後の大会では思うような結果にならず、心の行き場に苦しんだ。とても大きな挫折と喪失感だった。明け暮れたと書いたが、恋もして、失恋もした。
兄の影響もあり、おしゃれに目覚め始める。髪を伸ばしたり、VANSの靴で登校したり、制定カバンをペタンこにしたり。田舎もんだったな。
高2の時に一時期自我に迷う。誰と話しても自分が考えていることがわからなくなったり、兄弟との接し方がわからなくなったり、キャラを考えたり、なりたい憧れがあったり、本当の自分とは?とか考えたり。そしてそんなペンローズの階段みたいな考えから逃げるようにバスケをしていた。

バスケの思い出と、バスケ部員との思いでしかない高校時代だった。


だらだらと書いてしまい長くなってしまったので、大学時代と社会人時代はこの次で。
ここまで読んでくださってありがとうございました。

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