下半期のテーマは、アンチ⭐︎アテンションエコノミー
個人的には"瞬発的に怒る"訓練のやめどき
ここ数年、セクハラなど嫌なことをされたら瞬発的に怒ろうよ!!怒る訓練をしよう!という風潮があった。
嫌なことをされても笑顔で流すのが良い女、と言う長年の呪いから自由になろうと言う風潮だった。私は素晴らしいなー!と思って、なるべく実践していた。
だが、私は、そろそろ自分個人としては、次のフェーズに行くべきではないかと思いはじめている。
たしかに昔より瞬発的に怒れるようになったが、思えばそれはネット上の話。
気持ちを揺さぶる話題を次々とレコメンドし、絶えず人々がアテンションし続けるように、Twitterやwebの記事は作られていると学んだ。
なんだか自分はそれにまんまと当てられて、火力高めに流れてくるものに対して反射的にアテンションしているだけではないか?と虚無になることがある。
あと関係あるかはわからないが、元彼に「Twitterですぐ人の意見を引用リツイートするラン、性格悪いなとおもう」と言われたことがあり、いまだに小さなトゲとなって心の中に刺さっている。
正当な怒りってなんだろうか。
もともと、人間の自然な感情を重んじたい私は、アンガーマネジメントなんてクソ喰らえ!派だったが、最近誰のために踊らされているのか?を考えるようになった。
すこし前にnote書いた、赤ん坊の死体の画像がなんの注意書きもなく流れてきた,という話にも通じる。過剰なアテンション=反応を生ませる仕掛けに、まんまと反応して、それで結果ひどく落ち込んだりして、あまり良くなったためしがない。
その時のテンションに任せて怒るのではなく、言葉を慎重に選びながら、自分と意見が違う人にも納得してもらえるような発信を、たとえ面倒でも、今期よく根気良く作るほうが、望むゴールに早く辿り着けるかもしれない、と思う。この前の都知事選を経てなおさら思っている。
「それは怒りを表明する人へのトーンポリシングだ!」とアテンションがくるだろうか。仲間だと思っていた層からも背中を撃たれるだろうか。
でも、ここでそれにアテンションしたら何も生まない。そういう意見もありますよね、と心の中で受け止め、すぐに言い返したりせず、決断を急がない。今は、加速度的になった自分をすこしクールダウンさせる必要があるとおもう。
バズりたい欲望との戦い
正直、自分のpodcastは聴く人が聞けば面白いと思うからもっとたくさんの人に聞かれて欲しいし、誰か有名な人にパッと取り上げられたりして、急にバズったりしないかな、、なんて思うし、なんならこのノートももっと読まれてたくさんいいねがつかないかなって思ってしまう。
自分がやったことに対し、アテンションが返ってこないのはやはり寂しい。というか、世の中の皆様のアテンションが欲しくてほしくて、5年も広報の仕事をしている。
だけど、本当に油断すると、やりたくてやっていた行動が、"アテンションを得るための行動"になってしまい、すぐに目的と手段がすり替わって
しまう。しかもそのアテンションは、ただの数字だ。((もちろんコメント・メッセージが来たら嬉しい))
また、私は昨今の「バズれば官軍、目立つが勝ち、それっぽいことを言って多くのフォロワーを得た人が天下」みたいな風潮、特にTwitterにおいて見られるその感じが、本当にしんどくなってしまったのだ。
好きだったTwitterの発言者もいつからか、ちょっと「斜めから上手いこと言って評価される」という快感に毒されてるんじゃないかとか、自分のことを棚に上げて勘繰ってしまう。
少なくともデジタルの世界でバズろうとしない、フォロワーや注目を集めようとしない、自分のやってることについて、正直に"心地よくない"と感じたら仕事ではない限りパッと手を離す。
誰にも読まれなくても、聞かれなくても、やりたいからやる。レビューや星の数に絶対踊らされない。そういった心持ちで下半期を過ごしていきたいのだ。
自己承認欲求の場は、ぜひ、リアルな舞台に持っていきたい。せっかく私にはミュージカルとかそういう趣味があるのだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?