咲くもよし、散るもまた、よし: 🌸小桜日記🌸
今年も桜の季節が巡ってきたようだ。少なくとも彼岸桜はもう盛りを過ぎてしまった感がある。季節は私を置き去りにして前に前にと進みゆく。。
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先週半年ぶりに時間を工面して歯科に行った。ここと言ってどこが悪いと言うわけではない。前から「抜いたらどう?」と言われている歯はある。が、せっかく生えているものをそんなに簡単には引き抜くわけにはいくまい。抜くだけですむものなら、とっくの昔に抜いているが、抜いた後のことをあれこれ考えると煩わしくて、なかなか踏み込めない。。頻回に歯科のアポなんか入れているゆとりはないし。
先日も単なる通常の定期点検、オーラルケアのつもりで行ったら、開口一番、歯科医から「歯が疲れてる」と言われた。「歯が疲れてる?」そんな日本語あったのか?「ふーん」と思っていたら、歯科医が歯石を掻き出す、一掻き、一掻きに激痛が走った。「何かいつもと違う、先生、忙しすぎて、とうとう躍起が回ってるのかな?」
まだ半分も終わっていないところで突然手を止めて、「今日は歯茎全体が腫れていて、少し触れただけでも出血するから、これ以上はやれません。今月、また日を改めて来て下さい」。。
次に、口を濯ぐように言われたから、口の中に溜まった生温い唾液を吐き出そうとしたら、いつもより多くの赤い血が。。(『こんな時にわざわざオーラルケアなんか、来るものじゃなかった。』)
受付で、3月のカレンダーを見せられた。「来週以降の週で」といわれたけど、残りもう2週間しかない。この間にもう一度オーラルケアに来れる余裕など私にあるのだろうか。。わからない。今の私には「なにもわからない」「予定が立てられない」としか、言いようがないのだ。一応月末の土曜に予約を入れて、帰りはしたけれども。。
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3月に入ってから、久々に仕事関係のことで待ち合わせをした相手二人(別々の所で、違う日に約束した相手)から、「誰だか全然分からなかった」「別人のように窶れてしまっている」「大丈夫?」と言われた。そうしたことを直接本人を前にして言うかどうか、彼らのデリカシーの問題はさておき、自分も同じように感じたことが、かつてあった。
三年ほど顔を見てない知人の自宅に、うちで咲いた花を届けようと訪ねたら、中から出て来た知人の余りに憔悴し、変わり果てた姿に愕然としたことがある。その半年ほど前からお母様がご病気で寝つかれ、同居の彼女が一人で看取りをしたことは知っていた。
しかし、それ程親しい間柄ではなかったし、お互い離れた所に住んでいるので、直接訪ねて様子を聞いたり、よく会ったりすることはなかった。在宅介護をしていると聞いてからは、電話で時々様子伺いはしたが、いつも気丈な応対をしていたので、実際に会ったときの衝撃は大きかった。無論、私は、敢えてその印象を直接女性の彼女に伝えはしなかったけれども。。そして、今はふっくら、にこやかで明るく、身繕いも若々しいお洒落な彼女にまた戻っていて、何よりとは思うけれども。。
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私には、今、医師から見放された身内(家人と呼ぶ)が一人いる。単なる医療ミスなどという言葉では到底片付けられない諸々の不祥事、不手際によって、引き起こされたこの由々しい事態を、突然私は、昨年から一手に引き受ける羽目に陥った。
誰が聞いても、「おかしい」、「訳が分からない」、「不可解な」前代未聞の出来事に遭遇し、「二、三週間の入院で元気に退院する」筈だった家人が、明日をも知れない状況に立ち至ったのである。
もちろん、そういった不幸な出来事が世の中にはままあると認識はしていた。過去に家族が何度か医療ミスで危機に陥る経験もしているし、ミスは何処にでも起こりうる。
しかし、今回の家人に起きたケースは、一人の医師の単なるケアレスミス、医師と医療関係者、あるいは患者家族との間で生じたコミュニケーションの齟齬等によって生じた、軽々な「スミマセン」では済まされない事案である。にも関わらず医療者側にしっかりした受けとめがなされないことに、患者の身内として憤懣やるかたない思いがする。
訥々と、疑問点の数々を必死でまとめた質問状をかわして、のらりくらり論点外しの、とぼけた調子外れの回答を送ってよこす、責任逃れの経営責任者(医師)の姿勢の中にも、組織ぐるみの隠蔽体質が如実に露呈している。これがまだ、小さな町の片隅の名もないチンケな病院で起きた出来事ならばいざ知らず、大都会の地域医療の中核を担う基幹病院で生じてよいものなのだろうか。
関係者にはこれまで幾度となく説明を重ねてきたことであり、本稿に、ことの子細を長々と記すつもりはないが、人命を救うに不可欠な知識と技術、職業倫理が余りに欠落した医師の多きに、ただひたすら、ため息のみぞ出る。
このような事態に遭っても尚、家人が生き続けようとする限り、その命が燃え尽きる時まで、私は誰に何と言われようがそれを受けとめ、見守り続けるしかない。
「自分のことも少しは考えて!」と周りはお為ごかしに好き勝手なことを曰う。彼らがほんの一日でも、自分と立場を交替してあげるというなら、あるいは、重い荷物の何分の1かでも背負ってくれるのであれば、自分のことを考えもしよう。しかし、今、ここに自分しかいないならば、この身一つに何もかも引き受けるしか他に選択肢はないではないか。。
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昨日、出先で、冷たい風の吹くままに彼岸桜の花びらが音もなく散りゆく様を見て、心に思った。
咲くもよし、散るも、またよし。。
家人と共に朽ち果てる運命なのであれば、それもよしと。。
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