「水曜どうでしょう」関連本を書いてから

「5人目の旅人たち ー「水曜どうでしょう」と藩士コミュニティの研究ー」という本(慶應義塾大学出版会)を去年10月に出版した。今まで大学教員として概説書や教科書、翻訳書も出して、その種の本としてはまずまずは売ってきたが、しかしこういう本を書くのは初めてだった。
 なんというか、4年前くらいに取り憑かれてしまったのである。取り憑かれた、というのが一番正しい。そして、本を書き上げるまで多分ほぼ毎日、番組のことを考え続けた(これは嘘ではない)。

 この番組に関してはこれは私だけでもなさそうだが、一方で、私は時々研究でもテーマに取り憑かれることがある。以前「確率の出現」という本の翻訳をしたのだが、この時は10年弱確率に取り憑かれていた。変なヤツである。毎日とは言わないが、確率のことをひたすら考えてどうも腑に落ちず、しょうがないのでこの世界的に有名だが難解なためになかなか翻訳されなかった科学哲学の本を翻訳する無謀なプロジェクトに着手した。悪戦苦闘の末、若い優秀で忍耐強い科学哲学者に手伝ってもらい、6年もかかってようやく完成した。大変だったが、その作業で憑き物がある程度落ちた。
 ということで、割と「取り憑かれる」体質なんだと思う。研究者には割合こういう人が多く、その意味では自分の能力から適性を時々疑うことはあっても、この点だけは自信がある。

 で、番組に取り憑かれた。憑き物を落とすにはなんとか「わかりたい」、つまり解きたい。それでファンにインタビューし、参与観察し、実験し、本を調べ、番組をひたすら見て、本を書くことでようやくおおよそ憑き物を落とした。その中身については本を読んでいただきたい。アマゾンでは「面白さが説明できていない」という困った低評価がついているが、この本で私が考えたのは面白さを解くことではなく(....と本の最初の方に書いたのだが、どうやらそこまで読めなかったらしい)、「なぜファンはこれほどこの番組にのめり込み、コミュニティができてしまったのか」、ということと、「なぜ癒されるのか」、というこの2点が主である。

 コロナで大変な状況だが、振り返ってみると私はこの番組の熱心なファンのうち少なからぬ数の人たちが番組をみて「癒され」、元気になったと感じていることに関心を持ったのだろうと思う。東日本大震災後も、東北のファンは番組を繰り返し見ていたことを知ったのが発端だった。私はリスク心理の研究者なのでそのことから関心を持ったが、やがてインタビューをしているうちに、東北のファンだけでなく、個人的なクライシス状況(失業、対人関係の問題、離婚、DV、病気など)の時に番組を見て元気になった人がいかに多いかを知った。それには理由があったと思うし、一応、実験などを通しておおよその心理学的説明(仮説)を立てるところまで行った。もう1つ、メディアの要因も大きかったのでその辺を書いた。この辺はみんな繋がっているので込み入っている。1つ書くなら、この番組は「日常性」を大切にしている(この元々の指摘は書評家の杉江松恋氏による)。そしてそのことが前述のレジリエンス効果にも繋がっている。
 そして、私は本を書いて、自分がなぜこの番組にのめり込んだか、が自分が心理学者になったきっかけと強く結びついていることにようやく気づいてちょっと驚いた。が、その話は今は書かない。

 本は大学生くらいの読解力のあるファン(藩士)が読めて、同時にある程度は研究書として通用するように、と考えた。つまり両者のボーダー、である。純粋な学術書として書くこともできたかもしれないが、正直言ってあまりそのことには関心を持てなかったのでそうはしなかった。結果としては若干難しかったようだが、ある程度狙いは当たったようで、ファンの方にもそれなりには読んでもらったと思う。書評でも結構取り上げていただいたし、学術系ではテレコム社会科学賞の奨励賞という賞をいただいた。後者は特定の対象を取り上げている場合には原則として授賞しない、と以前書いてあっただけに賞をもらったのは嬉しかった。

 さて。で、私の仕事はおおよそ終わった。終わったが、まだなんとなく立ち去り難く、残り火のようなものが自分の中にある。藩士が集まる後藤姫ダルマ工房にようやく行ったのはこの春である。「どうでしょう」のカルトクイズで優勝した田鎖くんにも2019年の「どうでしょう」祭りの時に話を聞いた(彼は祭りの会場のすぐそばのお寺にいる)。3月には土井巧氏(初代プロデューサー)にも会った。特に土井さんの話はいろいろ非常に興味深かった。
 もう「水曜どうでしょう」に関する本を書くことは多分ないだろう。とはいえ、書き上げてからいくつか思いついたり、気づいたことはある。雑誌は時々番組を特集するが、しかし読む限りは私の知りたいことには届かないものが大半である(私の知りたいことが偏っているというのもあるのかもしれないが)。

 で、思いついたのがnoteである。自分のFacebookでは随分色々書いたが、本に書かなかったことで考えたことや気づいたことを残しておくのもいいかな、というのがこれを書き始める動機である。本を書くことはないだろうが、断片でも書けば、それで私の残り火も消えていくかもしれない。

 ちなみに私は文章を書くのは全然苦にならない。タイピングになってからは一層簡単になった。いい文章かどうかはわからないが、誰かが読んでくれてそれが何かの足しになったらいいと思う。お金になったらいいとはもちろん思うけど、それは望外というヤツである。とりあえず同人誌みたいなものだろうから、まあそんなに頻繁に書くとも思えないし、お手柔らかに願う。



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