メッセージの答え合わせ

あなたは「名松線」という名の路線を知っているだろうか。当初あの松阪牛で有名な松阪と大阪のベッドタウンの名張を結ぶ計画のあったJRの路線である。しかし計画はうまく行かず終点は途中の伊勢奥津となっている。そんな物語豊富な路線なのだが、2009年の台風18号によってまた物語が増えたのである。

もちろんいい物語ではない。台風18号の影響で路線の40箇所に問題が出た。万年赤字でもうJR東海からは見捨てられているような路線である。すぐに廃線の声が流れた。鉄道ファンの私も半ば諦めていた。そして全線代行バスとなり、もうダメかと思った。

しかし近隣住民は黙っていなかった。
「名松線早期復旧を」の文字が沿線に大きな看板としていくつも掲げられた。そうこの山間部に住むお年寄りにとって市街地の病院に行けるこの「名松線」は言わば「命の路線」なのである。バス代行により本数が削減し、より不便になっては困る。そして復旧に声を上げたのは、沿線の美杉町自治会長や津市長、さらに三重県知事であった。

その効果もあってかJR東海は地元自治の協力を前提に2016年運行再開を目指すことを発表した。そして私には夢がある。JR東海に就職することだ。それは単に鉄道が好きだからという理由もある。しかし1番大きな理由は、この「名松線」いや「命の路線」に少しでも携わりたいという思いなのである。

この文は2012年大阪経済大学主催の17歳からのメッセージという高校生フォーラムで運良く銀賞を頂いた時の作品。

私は読書感想文が苦手な子供だった。
そもそも本を読むことが苦手だったのかもしれない。夏休みの最後までそっとしておいた読書感想文は母親の添削だらけで、とても私が書いたと言えるものではなかった。そんな作文にトラウマさえある私が自身の力だけで創り上げた言わば処女作だ。

この作品は当時高校生の私が正直な気持ちを文に乗せている。今でも書いていた時の気持ちが鮮明に蘇るほど思い出深い文章だ。

私は人見知りで言葉によるコミュニケーションが苦手だ。心の中では伝えたい思いが溢れかえっているのに言語化することに難儀している。

しかし文章はとても便利なことに時間をかけて私の思いを読者へ語りかけ、そして残す事ができる。この大ネット時代、blogがVlogとなり動画として残す時代にnoteを書いている理由はそれだ。

17歳の私の夢は叶えることはできなかったが、10年の時を経て違う形となった。人生とはそういうものだ。ただ27歳を迎える私も未だ夢を追っている。また10年後、楽しみながら答え合わせができるような人生を送っていきたい。

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