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叶えきれないなりにも、考え続けてたい話。

 こんにちは、スミレです。
 先日の記事『自分、合唱が苦手でして。』でしれっと書いていた、「万人の望みを叶えることができるなんて考えていない」についてを掘り返そうと思います。

 人は、良くも悪くも千差万別です。
 例えば「これを改良したぜ!」という声には、「最高!」、「あんま変わんなくない?」、「前の方がよかったよ……」などなど、全員は喜ばないものです。
 良かれと思って考えたことが、受け取る人によっては意地悪なものに感じられる可能性は結構あるのでしょう。

 先日、点字ブロックの成り立ちについて知る機会がありまして。解説のための記事ではないのでサクッと紹介します。
 交通戦争(交通事故で亡くなる人>日清戦争で亡くなった人)の頃、失明した友人のために、三宅精一さんが点字ブロックを発明した……とのことです。詳しいことは調べていただければと思います。

 なるほど視覚障害を持つ方には嬉しい発明です。……見えないことを障害とさせるのは世の中の方だとか、思うところは色々ありますが一旦置いておきます。

 だけど、点字ブロックだって万人は救えていません。そう、車椅子とか、ストレッチャーとか。段差があると困る人もいます。
 少し自分語りします。小6の頃に喘息で入院したことがあるのですが、歩けなくて車椅子を使わせてもらっていました。その時、看護師さんに押してもらいながら「やっぱ病院って優しいな」と感じた覚えがあります。
 床がまっさらなんですよ、段差がある方が珍しいような床です。
 その時には思いもしませんでしたが、これだと見えない人には優しくない。尤も病院なので、視覚障害者の誘導の仕方を心得ている人の方が多そうですし、点字ブロックがなくても困らないのかもしれませんが。

 ともかく、点字ブロックで困る人もいるということは、それに気づく人もいるわけで。車椅子やストレッチャーにも優しい点字ブロックはとっくに発明されています。
↓例えばコレ↓

 地元の医療センターにも導入されればいいのに、と思いました。
 Aで助からない人、を、助けるBを考えたら、両者とも助かった。まさに理想の流れでしょう。

 ですが、ふいにこんなことを思い出しまして。
 自閉症の人は、足裏から伝わる情報の量を減らしたくて爪先立ちをすることがある、という話です。記憶が正しければこの本で読みました。

 点字ブロックは、足の裏から情報を得られるようにした物……。
 足裏からの情報も、増やせばいいってものではない気がする……。

 それとは少し違うけれど、音で誘導するとなったら、聴覚過敏にはなかなかしんどいところがある気もする……。

 いや、1つの案で全てを助けようとするからこんなにグルグルと考えてしまうのでしょうね。たくさん考えればいいんです、きっと。
 そのたくさん考えた案の1つ1つにも、助からない人が出てきてしまうのでしょう。いまひとつ物足りなかったり、逆効果だったりするのでしょう。
 考えればいいってもんでもない、なにせキリがない。
 でも、考えるのをやめていい理由になるかと言われると、それは、なんか、違う気もする。

 発明するだけの閃きも熱量もない私に、何ができるのでしょうか。
 自分の手が届く範囲で、自分の力が及ぶ範囲で。なんとも味気ないことしかできないし言えませんが、しないよりはやった方がマシだと信じています。

 万人の望みは叶えられない、それでも、考え続けていたい。
 特に、目の前の1人に対しては、誠実に。

 ここまで読んでいただきありがとうございます。

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