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映画 時をかける少女と私のタイムリープ

「時をかける少女」
この映画は、当時から絶対的に君臨してその座を一度も明け渡したことのない、私のトラウマ映画第一位であり、同時に苦くてほのかに甘い青春を彩ってくれた思い出深い映画でもある。

この前、金曜ロードショーを偶然つけたら、リビングのソファーから動けなくなった。初めてこの映画を観たのは、高校2年生のときだった。それから10年以上経った今、ようやく一つの作品として冷静に観ることができるようになったんだと、感慨深かったと同時に、自分を縛っていた呪いのようなものから解放されていたことに安堵していた。

トラウマ映画の感じ方が変化している。
それは、自分の変化に他ならない。

noteに書きたいな、下書きにタイトルだけメモした。
「時をかける少女」という映画



高校2年生のとき、私は日々の授業のための勉強に追われ、部活に追われ、課題に追われていた。今までの人生を振り返っても、友人たちと毎日過ごせる日々は楽しかったものの、1番大変な毎日を過ごしていたし、決して健康的ではなかっただろう。それは睡眠負債が貯まり続けるという身体的な意味だけではなく、「やるべきことをやっていない」というある種自分が自分に植え付けた罪悪感のようなものが根をはっていくという精神的な意味も含んでいた。

そんな毎日を過ごしていた私は、余裕がなくなり、身内や他人に対し、人としてあるべき態度を取れないこともあった。
中学時代の友人に対して。
思い返せば1番の友達だったのに、彼から連絡が来ても返事をしなくなっていた。この時のことを思い出すと、今でもどうしようもなく胸が苦しい。

友人は中卒で働いていた。一人暮らしのマンションを契約し、バイクに乗り、飲食店などでアルバイトをしていた。その頃の私たちは、あまりに、あまりにも、お互いの日常の世界が違いすぎた。


あるとき、中学の同級生の通夜に行った。事故現場は私の実家から歩いて5分だった。
通夜には彼も来ていた。車椅子だった。私はどうしても、彼に声をかけることができなかった。

私は少しの間、学校に行くことができなくなっていた。授業中に涙があふれて止まらなくなるからだった。
「お見舞いに行くかどうか、迷ってるんだよね。」
高校の友人に相談した。
「もしかしたらだけど。あまり詳しくないけど、その人退院したら、もう会えなくなってしまうかもしれないよ。」

彼の入院している病院に行こうと決意した。
最初に運ばれたと聞いた病院の受付に行き、〇月〇日、同級生が運ばれたはずなんです、と尋ねた。
受付のおばちゃんが名簿を探してくれた。その名簿にはピンクの蛍光ペンで何本も線が引かれている。
名簿をめくったときに、ある名前がふと目に入ってきた。亡くなった同級生の名前に、蛍光ペンで線が引いてあった。一瞬でその意味を理解した私は、ふらふらとその場を離れた。

友人は、事故後、何度か転院を繰り返し、高校のすぐ近くの病院に入院していたようだった。
放課後に、病室へ行った。
「久しぶり」
「元気?」
顔を見た瞬間、前の関係性に戻っていた。
全然連絡くれなかったじゃん、文句を言われた。
「病室で携帯使えるなんて思ってなかったんだもん。ごめんごめん。」
放課後や、昼休みに自転車に乗って会いに行った。友人の買いに行けないものを代わりに買って届けた。久々に話す彼との、もしかしたら2度となかったかもしれない穏やかな日々が流れていた。彼が生きていてくれたということが、私の心を救っていた。

退院間近に彼からもらったメールを、今でも覚えている。

「最初はみんなが優しくしてくれることが辛かった。でも、もしそれがなかったら、今ごろ、ね。だから、ありがとう。」

俺が死ねばよかったんだと、彼が何度も思ったであろうその言葉を飲み込んで、私に送ってくれた言葉を抱きしめた。そのまま見上げた星空が、ただ静かに私を見ていた。

彼が退院したあと、バイト先のラーメン屋さんや一人暮らしの家へ遊びに行った。
先輩が勧めてくれたと、「時をかける少女」を借りたという連絡を受けた。

なんとなくあらすじを知っていた私は、絶対に彼一人では見せられないと思っていた。
ーー先輩は、アホなのか?(゚Д゚)

当時の私はそう思ったけれど、職場の先輩にまで事故の詳細を話すことは考えにくいし、ただ単にアニメ映画の名作がこの最悪のタイミングで爆誕してしまっただけだったのかもしれない。

母親が夜勤であることを確認して、友人の家へ泊まりに行った。

時をかける少女を観終わったときの、あの、空気の重たさと言ったら。
私はすっかり食欲を失って、サンドイッチを半分も食べることができなかった。

どうして、告白をなかったことにしてしまったんだろう?真琴の後悔や絶望、天真爛漫な無神経さが、私の思い当たる節を無造作に開けてはズタズタに傷つけていった。
あの、真琴が千昭を徹底的に避けて逃げる様を、私は直視できなかった。


真琴は、時間を巻き戻してやり直すことで自分の人生の意味を見出し、大切なものに気づき、立ち直った。
でも、私たちは?
この地獄をどう乗り越えていったらいいのだろう。
友達って何?
友達っていうのは、一緒にいたら喜びは2倍に、悲しさは半分になるものなんじゃないの?
そんなことばかり自問自答していた。
ご都合主義のタイムリープモノが大嫌いになった。死んだ人は絶対に、もう戻らないのだから。

絨毯の上で寝ていたら、ふいに左手を握られた。私の心臓は飛び上がった。彼に起きていることを気づかれないように、反対側へ寝返りを打つようにして手を離した。
私はそのとき、心の中で、大声で泣いていた。現実の私は静かに涙を流しながら、眠りについた。

私たちはそのあと、彼の就職、県外への引越し、私の大学進学が重なり、それなりの喧嘩もして、電話番号を消し、連絡を取らなくなってしまった。
時をかける少女を観ると食欲を失うという私の症状は、何年も経った後も、私について回った。


成人式。中学の同窓会があった。彼の連絡先だけが、誰にもわからなかったようだった。
彼は誘ってもたぶん来なかったと思うよ、私は心の中だけでつぶやいた。
もう、彼がどこで何をしているのか。誰にもわからない。もう亡くなっているかもしれないし、もしかしたらパパになっているのかもしれない。わからなくてもそれでいい。私たちはあのとき、確かに、それぞれの世界で懸命に生きていた。


もう2度となかったかもしれなかったあの穏やかな時間と、映画に染みついた私の後悔。
痛いほどに思い出されるその全てが、今となっては私の人生を彩る大切な1ページだ。
そう思えているからなのだろう、今やもう、時をかける少女で心がズタズタにされることはなくなったらしいことを、ふとつけた金曜ロードショーが私に教えてくれた。

映画の中には、幼さゆえに友人を大切にできなかった自分の後悔と、誠意を尽くそうとするあまりに人を傷つけてしまった苦しみが詰まっていた。

人生は不可逆な今の連続だ。だからこそ、何度でも振り返りたくなる大切な瞬間があるのかもしれない。
もしあのとき、あのまま疎遠になっていたかもしれない彼と。疎遠になるという結末は変わらなかったけれど、その過程が全く違ったからこそ、後悔は昇華され、思い出は苦しいものも含めて大切な宝物となった。あのとき、幼いながら懸命に足掻いていた自分。それをもしも青春と呼ぶなら。
映画がタイムマシンとなって、映画を観ることで私は何度も青春を味わいにタイムリープしていたのかもしれない。あんなに嫌って憎んでさえいたタイムリープを、私は何度も繰り返していたのだ。

映画を観るとき、私は、その映画を観て私はどう自分の人生を動かしていくのか、ということを大事にしている。半分強迫観念のように。

目の前に降りかかる困難や苦悩を受け入れ、そこに意味を持たせることを芸術と呼ぶなら。
私はできるだけ自分の中にそれを生かしたいと願う。大切な人のことだってそうだ。もう会えなくなってしまった人たちの言葉を私の口から誰かに届けることで、その人を自分の中に生かそうとしている。
そう思うようになった原体験には、時をかける少女が間違いなく在った。

あの日のメール。
あの日の教室。
あの日の星空。
あの七夕の日。
私を支えてくれた友達。
ふいに現れた、写真の載ったバス。

私のタイムリープは、あの頃より少し私を大人にして、大切な友人との仲直りとお別れをやり直させてくれた。

そして、今、きっと過去は変えられるということを、私は、知っている。

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