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たったひとりのためのオペラ

 朝ドラ『エール』に三浦環が登場したとき、かつて彼女について書いたことがあるような気がしたのだが、思い出せなかった。そして、彼女について何かを「書いた」ような気がしたのは、彼女の評伝を読んだことがあったからだろう、と片づけていた。
 だが、そうだった、「コアン ド ローズ」の津志本さんを取材したときに教えていただいたのだった、と今になって思い出したので、見つけたその記事を、ここに書き写しておこう。

 たったひとりのためのオペラ

「コアン ド ローズ」の津志本貞さんから教えていただいた話である。
 第二次世界大戦真っ只中、上海から一時間程上流の港で、津志本さんが船の係をしていた時のこと。
 上流からまっ赤に錆びた大きな貨物船が下って来て、港の沖錨を下ろした。船の係だった氏は、その船と連絡を取るため、モーターボートに乗って近づいたところ、船長が出てきてこう言った。
「この船は上流で軍事物資を降ろし、今から日本に帰るところです。変な場所で錨を下ろすと怖いので、今夜一晩、お宅の船のそばでお世話になります」
 わかりました、と伝えたところ、「ときに兵隊さん」と船長が声をかけ、続けて、珍しい人を船に乗せていることを話してくれた。
「どんな人ですか?」
「三浦環というオペラ歌手がいるでしょう。上流で慰問をして、今から内地に帰るところでね。うちの貨物船の隅っこに一部屋借りてもらっているんですよ。よかったらお会いになりますか」
「是非とも会わせてください」
 そんなやりとりの後、津志本さんは、部屋に三浦環を訪ねた。そして、入るなり、こう切り出した。
「三浦先生、あなたのようなすごい人がこの船に乗っていらっしゃると聞いて、ビックリしました。私は音楽のことは全くわかりませんが、あなたが世界的なすばらしい歌手だということだけは存じております。
 三浦先生、私たちは今、暮れなんとする揚子江の真っ赤な川の上におります。この揚子江というのは、東洋の歴史をつくったとも言われますし、世界の文化をつくったとも言われている悠久の歴史を秘めた母なる川です。
 三浦先生、是非とも私の願いを聞いてもらえないでしょうか。先生の歌を聴かせてほしいのです。私自身に聞かせるのではなく、揚子江に先生の歌を聴かせてやって欲しいと思うのですが、いかがでしょうか」
 津志本さんの話を聞いた三浦環は、ひと言「わかりました」、そう言って甲板に出て、暗闇に染まる揚子江に向かって大きな声で歌ったという。母なる川・揚子江が舞台とはいえ、国際的プリマドンナ・三浦環が、たったひとりの兵隊を観客にして歌ったのである。
 悠久の流れの上に浮ぶ真っ赤に錆びた貨物船、真っ暗な流れの上に響き渡る美しい歌声││。
 そばで聴いていた津志本さんは、涙が溢れ、全身がビリビリするほどの感動でいっぱいになったという。
 三浦環は、戦後まもなく、一九四六年にこの世を去ったが、この時の感動は、津志本さんの中で、今も褪せることにない思い出となった。
「あの時の感動は、私にとって、今も大きな財産ですね」
 感動は財産であり、一生の宝だとも、津志本さんは話してくれた。その宝が津志本さんの薔薇づくりとどうつながっているのか、私は一輪の薔薇、津志本さんの薔薇に聞いてみたい気がする。

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#三浦環 #薔薇 #津志本貞 #コ  アンド ローズ

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