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あの子からの幻の花束とエール

私は大学時代、病を抱えながらも一日も欠かさず無遅刻無欠席で4年間通えた。席は決まって一番前の教授のお見合い席。レコーダーをスタンバイして、工夫を凝らしたノートを書き、成績は優秀だった。そのほかに、茶道部で役を任されたり、ノートはギャルの子達が決まって試験前にコピーをお願いしてきて、一体、全部のノートが私の元に返ってくるか、とハラハラした。

高校まではこんなに真面目に学校に通えなかった。が、病を患ったことで、自分が卒業することを、できればベストの成績で卒業したいと、入学して心に誓った。年月は13年も経ったけれど、あの大学での思い出ははっきり思い出す。

何よりいい友人を沢山得た。中でも、私が卒業する年のこと。その年は忘れもしない3・11が起こった2011年で、卒業式、謝恩会、全てが無しになった。そんな折に、学校専用アカウントのメールボックスに一通のメールが来ていた。後輩ちゃんだった。すごく親しいわけでもなかったが、他愛のない挨拶を交わしていた子だった。

私は根っから明るい性格で、友人を作ることに苦労したことはなかった。多くの友人に恵まれてきた。基本的に自分から話しかけることもよくするし、挨拶するのが好きだった。

その子のメールにこんなことが書いてあった。「先輩、この度はご卒業おめでとうございます。いつも遠くからでも笑顔で話しかけてくれて、挨拶を下さる先輩のおかげで、憂鬱な日も学校に通い続けることができました。本当にありがとうございます。私以外にも、そうやって励まされていた人がいると思います。この度、卒業式と謝恩会で、先輩にお礼とお祝いに花束をご用意したいと思っていた折に、この震災が起こってしまい、どちらも行われなくなってしまいました。先輩とお会いする機会がもう持てないかと思うととても残念ですが、花束が渡せなくても、私のことをどうか忘れないでいてください。ご卒業しても益々のご活躍応援しています。おめでとうございます。」

私は意識せずに、ただ挨拶をしていただけなのに、こんなに感謝してくれる後輩ちゃんがいることに本当に感動し、ありがたく、少し自信が持てた瞬間だった。

私は「社会的成功を叶えたい」「社会的に何かしらクリエイティブな活動で形に残したい」そんな目標はある。しかし、これが達成されたかされなかったかで、人生におけるその人の「価値」は測れない。

日々の暮らしを、その尊い営みを静かにこなし、家族の幸せのため、社会のために貢献している人々も沢山いる。一見華やかに見える職業も、きっと一筋縄にはいかないことだらけの中、時には成功したようで、業績が落ち込むことも多々あるのだろう。

私は、まだ何も形になってないアーティストだけど、この後輩ちゃんの「幻の花束」は誇りに思っている。無意識に誰かの力になれていたなんて。ただ自分が卒業するために懸命に通っていただけのつもりが、沢山の素晴らしい友人に恵まれて、こんな暖かいエールももらった。

大学に休まずに行けたこと、これは私の勲章と思う。この時ほど学問に勤しめたことはなかった。世の中を知ろうと毎日図書館に通って沢山文献を読んだ。

何より、行かせてくれた親へ改めて感謝することと、病気だからと諦めずに通えたことへの自信はずっと心に留めていたい。

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