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読書『村に火をつけ、白痴になれ』

著者である栗原康さんの本は岩波新書の『アナキズム』を読んだのですが、「岩波の赤版でこの文体の本出すんだ!?」と驚き、そこから伊藤野枝のことが気になって本書を手に取りました。

伊藤野枝はウーマンリブの元祖で大正時代のアナキスト。関東大震災の際に同じくアナキストである恋人の大杉栄とともに憲兵隊に虐殺された(俗に言う甘粕事件)思想家です。平塚らいてうから『青鞜』を受け継いだ人でもあります。

本が読みたい、文章が書きたい、セックスしたい、美味しいものを食べたい、究極に自分の欲望と自由を追い求め、実際に行動にうつし、労働や結婚など従来の価値観をぶち壊していこうとした嵐のような女性。ときどき「やりすぎだよ!」と感じるのですが、野枝の人生を辿っていくといつでもパワーに満ちていて快活、どこか爽やかです。

特に好きなくだりは、右翼のボス中のボスのような存在であった杉山茂丸(夢野久作の父!)に堂々と「カネくれ」と言いに行くところです。アナキストが右翼に金策しに行くのど根性すぎる。

それと当時内務大臣であった後藤新平に「あんたら内務省のせいで本が発禁になって資金回収できないんだからカネかせ」と直接言いに行くところ。せっかく刷った本回収されても泣き寝入りしないのがいいですね。
大杉が拘束された際も、警察ではなく後藤に直接文句を言うべく、巻紙4メートル分の抗議の手紙を野枝が書いています。いったい原稿用紙何枚分の字数なんでしょう……。

ちなみにこんな変な関わり方をしているのに、後藤新平はのちに伊藤野枝と大杉栄が虐殺されたのを知ってぶち切れ、閣議で喋って事件を公にし、犯人である甘粕たちを軍法会議にかけるきっかけを作ってくれます。

もうひとつ、結婚制度や家庭、恋愛について触れるところで、

たぶん、これが野枝の恋愛論の核心なのだとおもう。愛するふたりは、けっしてひとつになれやしない。なぜかというと、ふたりはまったくの別人であるからだ。そんなことをいったら、身もふたもないかもしれないが、いいかえれば、それは異なる個性をもったかけがえのない存在だということでもある。はじめから、相手がどこによろこびをおぼえるのかなんてわからない。自分の感性とはちがうのだ。でも、だからこそ、ひとは心身ともにめいっぱいふれあって、相手にたいしてやさしくしようとおもう。愛するひとに、もっと気持ちよくなってもらいたい。わからない、わからない、でも、でも、と。

栗原康 村に火をつけ、白痴になれ 岩波書店 2020年1月発行 158ページ

という一文があり、ちょっと身に染みました。そうね、結局はいくら愛しあってもひとつになんてなれないけど、それはそれでいいのかもね、なんて。相手を1人の人間として尊重しつつ、「わからないけどそれでも一緒にいたいよ」と愛しあえたらいいですよね。

最後に、「はじめに」のアナキストジョーク(?)部分ですが、

大人から「あの石にふれちゃダメだよ。さわろうとすると赤になっちゃうよ」といわれていたらしい。ひどいはなしだ、アナキストだから黒なのに。

栗原康 村に火をつけ、白痴になれ 岩波書店 2020年1月発行 はじめに

は流石に田舎の馬鹿みたいな慣習に引きつつ若干笑ってしまいました。(あの石は野枝の墓になっている大きな自然石のことで、赤は社会主義の色、黒はアナキズムの色を指します)

かなり好き嫌いの別れる文体の著者なので、買う前に試し読み推奨かも?ハマる人にはたまらないと思います。

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