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閉じた時間。


小学生の頃は、学校ではほとんど喋らなかった。

幼稚園までは割と普通に過ごしていたと思うけど
幼稚園の10人ほどの教室から、入学と共にかなりの人数の中に身を置くことになり、混乱した。

この中で、どう過ごしていけば良いのだろう?

入学スタートダッシュに乗り遅れ、
誰かと話そうとしても周りが騒々しくて声が届かない。小さな声は喧騒の中に消えていき、めんどくさくなって、ついに黙ることにした。

どうしても話さなきゃいけない時は、小声。
授業では手を挙げず、当てられたら小声で話し、
人に話しかける時は肩をトントンと叩き、認識してもらってから話す。
家では普通に楽しく喋っていたけれど、外では声が出なくて発声も弱々しかった。

話さない私を両親も先生も同級生も扱いに困り、
遠巻きに見つめられていたように思う。
白い目で見る人もいたし、なぜ口があるのに喋らないのか?と叱責する人もいた。

私にも分からない。

多分、最初になんとなく始めたことを引っ込みがつかなくなったのだろう。

私の時代は、そういう人は「弱い子」として扱われた。自由にはさせてもらったが、誰からも見向きもされず、ますます貝のように口を閉じる。
ひたすら読書と空想することで過ごした。

4年くらいはそんな時期が続いたが、
高学年には仲の良い友達もできて、少しずつ打ち解けていき黙り続けることにいい加減飽きてきた。
が、タイミングを逸していた。

いつ話し始めたら良いんだろう?

いきなり普通に話し出したら、同級生は驚くかもしれない。
もしくは、不気味がるか笑うかもしれない。
そんなことに悩み続け、自分が学校で楽しく喋り始める夢を何度も見た。

周りから見ると些細なことかもしれないけれど、
1年、また1年と続けていくと年数の重みがずっしりと小さなことが大きな影になってのしかかってくる。

結局、私はイチかバチかで中学デビューすることにした。

中学は他校と半々の生徒数が入学したので、
明るく新鮮な流れるような空気の中で、
私は考え過ぎることなく、何事もなかったように
シレッと話し始めることができた。

そのことをからかってくる人はほんのわずかで、
新しい環境で自然と受け入れられた。
デビュー、と言っても、目立つことはなく勉強や部活に力を入れる普通の生徒に戻っただけだけれど。

6年という年数を費やしてしまったが、あの時勇気を出して良かったと思う。
そして人を観察したり、イマジネーションを働かせながら自分の中にこもる時間を過ごした経験は
今になってみると結構役立っていると感じる。

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