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ポジティブとネガティブの境目

てっちゃんの生き方 その2

2023年2月

てっちゃんの生き方 その1で長男てっちゃんに起きたことを
ご説明しました。
その1はこちらです。↓

これを踏まえて、私と彼が話したことや考えたこと。

そもそも、ポジティブってなにで、
ネガティブってなんなんだろう。

ポジティブは前向きで明るい思考のことで積極的で肯定的なことらしい。
ネガティブはその逆だから、
後ろ向きで暗い思考のことで、消極的で否定的ってことになるだろう。

彼の顧問はこんな風に使うらしい。

シュートをしたけど、外して下を向いた時。
ネガティブな顔してたらダメだよ〜」

チーム内で敵味方に分かれて、戦って、負けて
ため息ついた時。
「ため息つくなよ〜。ポジティブにいかないと」

走って疲れて、膝に手をつき、下を向いた時。
ポジティブに考えないと。」

ほうほう。
なるほどなるほど。

確かに、シュートが外れてへこたれている暇があるなら、
リバウンド取れや、って思う。
(あっ、バスケです。)

確かに負けてため息つくくらいなら、
勝てるように最大限の力を尽くせよ、って思う。

確かに走って、疲れたら、
よしっ、筋肉ついちゃうかもって、ポジティブに考えろよ、って思う。

特にスポーツの世界ではポジティブ主義は
まるで絶対的な正義のように唱えられている気がしてならない。

ちなみに私はスポーツをしていたことがないから
異世界の文化に対して
すこし受容に時間がかかっているだけかもしれないので悪しからず。。。

ここまでであれば、
まぁ、もともと生意気なてっちゃんが
思春期に入り、ネガティブ盛りとなって、それも態度に表れているから
ポジティブ主義の先生に愛を持って叱られたって話で終わると思う。

だけど、てっちゃんも私も納得いかなかったのは
その後の先生の言葉だ。

「そんなことだから、小学校の時もいい評価されなかったんじゃないか」

そう言われたらしい。

おや?おかしいな。
先生、この学校に赴任してきたのは今年から。
当然、去年までの小学生てっちゃんについては知らないはず。。。

てっちゃんも至極当然ながら、怒りに任せて叫ぶ。

「お前がおれの小学校の時の何を見たんだよ。
いい評価されなかったってなんなんだよ。誰の評価だよ。
そもそも今日だっておれは何も言ってないのに、『だ、と、て』って
なんなんだよ」
と。。。

先生を「お前」呼ばわりすることはいけません。
ただ、本人向かっては言ってないのでここでは聞かぬふりさせてください。

小中一貫教育とやらをうたっている公立校だけに
もちろん、本人や親の目には触れない
小学校の先生から中学校の先生への引き継ぎ資料はあるでしょう。

もしかしたら、バスケ界隈は狭いから
ミニバスの時の彼のことをどこかのコーチや知り合いから聞いたのかも
しれない。

お言葉を借りるなら

『だ、と、て』だ。

どこかで彼のよくない噂を聞いていたとしても、
それは誰かから見た評価で、その先生自身が見てきたものとは違う。
学校の先生は間違った評価をしないという前提があるのだろうけど。

『だ、と、て』だ。

ポジティブ主義を貫くのであれば
後ろ向きにならず、前向きに今できていないことに対して
どうすべきかを示してあげられなかっただろうか?

少なくとも、先生自身が見てきた彼を叱っていただけなかっただろうか。

小学校の時のこと、持ち出すとか、
もはやネガティブじゃね?のてっちゃんの気持ち。

1300文字も超えてようやく本題。


ポジティブとネガティブの線引きってなんだ?



次の日、大学の勉強していたら、言語の二重文節性とやらを習った。
言葉の構成についての学びなのだが、
私はこれをきっかけにポジティブとネガティブについて考えてみた。

そもそも、心も態度も現実はポジティブかネガティブかの2つに区別されるわけではない。当たり前だけど。
言葉は必要に応じて取捨選択されて、使われる。

これがポイント。

例えば、
「もうお兄さん(お姉さん)なんだから」と「まだ子供だから」を
同じ年齢の子に使うなんてよくある事です。

そう、それはなぜかと問うならば
言葉を使う側の都合がいいから。

言葉は必要に応じて取捨選択されて、使われるから
先生が気になった態度をわかりやすく示す言葉として
ポジティブネガティブが使われた。

ただそれは本当のポジティブでも、ネガティブでもない。

そもそも本当のポジティブネガティブってなんなん?

てっちゃんの中のポジティブとネガティブの線引きと
先生の中のポジティブとネガティブの線引きは違うし、

てっちゃんの中の線引きの位置は都合により変わるし、
先生もしかり。

だから、ネガティブを叱った先生だって、
都合によっては、ネガティブな発言によって
自らを正しいと位置付けるための要素を加えたいのでしょう。

君のその態度、悪いと思っているのはおれだけじゃないよ。
おれだけが言ってるんじゃないよ。
小学校の時もそうだったんだろ。
ってことは、ほら、やっぱり君の態度が悪いんだよ。

たとえ、君が今回は何も言ってなかったとしてもね!

って、信ぴょう性を加えたい。

きっとね、そんな言葉の不整合に気づかない子だっていっぱいいる。
それで、そういう子の方が素直に、
そう、ポジティブに誰かの求めるいい子にすんなりなれる。

だけど、てっちゃんは小さい頃からそうじゃない。

全部に引っかかってしまう。

『だって、そんなのおかしいよ』

僕のことをネガティブだと叱るのに
過去の自分を誰かが評価したことを持ち出して
まるでそれが不動の事実かのようにいうなんて!
(もちろんこんなサラサラと悔しさを言葉にしてはいませんが…)

そうだね。そりゃそうだ。

君のいうことももっともだ。

だけどね、言葉は絶対的なものじゃないから
ポジティブもネガティブも人によって変わるんだけど、
絶対的なものじゃないから、
君は君の線引きで生きればいい。

ただね、先生の中の正義や愛に従った
ポジティブやネガティブの線引きもあることを
君は知った方がいい。

どうにか、てっちゃんが生きやすいように
評価されやすいように
先生が愛を尽くして伝えてくれた言葉かもしれないからね。

そう思ったら、きっと今は無理でも、
自分とは違う言葉を使う、
自分とは違う線引きで生きてる人のことも
嫌いにならない。

そんなことを伝えた気がする。

そしたら、
1日経って、冷静なてっちゃんが言いました。

「わかってるよ。
別におれは先生のこと、嫌いじゃない。」

そうでした。

そんな大人の都合で綺麗にした言葉で説明しなくても
大人だってずるくて、カッコ悪くて、
伝え方を間違えたりすること。
それでも、誰かが自分を大切だと思ってくれていることを
ちゃんと理解しているのでした。

てっちゃんは正しくて、良いものだけが愛されるわけじゃないことを
知っている。

だから、いつまでも
変わらずに生意気でいられんだねぇ。

そんな風にてっちゃんが生きてこれたことは
幸せだねぇ。

アレヤコレヤ書きましたが、
結局のところ、可愛い息子を傷つけられた気がして
どうにか捲し立てたい母親と
いろんなことを包み込んで、生きているてっちゃんの
試行錯誤の毎日ってことです。

大風呂敷を広げましたが、
ただそれだけの平穏な毎日です。

#子育て
#ポジティブとネガティブの違い
#てっちゃん






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