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2-29 予言は実現する

\予言は、予言を信じるがゆえに予言を実現させてしまう。ただし、信じることは、策を弄したりせず、真剣に向き合うこと。あなたは、自分をC組と決めつけ、そのC組のダメな人生を自分で実現させてしまってはいないか?\

 新しい校長が来た。かなりのやり手だそうだ。受験対策のために、今年から学力別のクラス編成にするらしい。そんな話を学年担当教員たちは聞いた。A組は精鋭。たしかにA組は教えやすい。一方、ダメを集めたC組は、なんだかいつも騒がしい。A組の学生たちは、みんな目が輝いている。彼らの期待を裏切るまいと、どの教員も張り切って授業の準備をする。だが、C組は、どのみち授業などろくに聞いてもいないのだし、連中はとにかく卒業さえできればいいだろうから、と、教員たちも当たりさわり無くやり過ごす。

 もちろんA組にも、間違えたり、戸惑ったりする学生はいる。しかし、彼らは、ていねいに教えてさえやれば、きちんとすぐにわかる。それに比べてC組の学生ときたら、まったくどうしようもない。たまにうまく出来ても、しょせんはマグレ。次はやはりダメ。こまかな間違いを指摘してやっても、連中の機嫌を損ねるだけで、どうせムダ。

 じつは、新任校長は、学生たちを、名前のアルファベット順で、A、B、C、A、B、Cと、3つのクラスに割り振っただけだった。学力別編成など、どこかのだれかがかってに言い出したウソのウワサにすぎなかった。にもかかわらず、A組の学生たちは、次々と難関大学に合格。C組の学生たちは、卒業どころか中退が続出。予言は実現する。いや、予言こそが、予言を信じることこそが、予言を実現させてしまうのだ。

 褒めて延ばす、なんて言う生ぬるい連中がいるが、教員や上司が無理やりネタを探して学生や部下を褒めているのなら、それはただのおべんちゃら。どこの世界に、学生や部下に媚び諂うバカな教員や上司から真剣に学ぼうとする学生や部下がいる? そもそもそれは、むしろバカな教員や上司が、学生や部下をなめてバカにすることだ。あいつら、しょせんバカなガキだから、おだてれば木でも登るぜ、というのが本心。だから、褒めても、予言は実現しない。いや、そのバカな教員や上司の本心どおり、ほんとうにみごとなバカになる。学生たち、部下たちは、まともな基準を見失い、図に乗ってうぬぼれ、それで、どうにも始末に悪いモンスター・ユトリのガキたちが、いまの時代に大量に溢れ出した。

 信じる、ということに、褒めるもけなすも無い。かならず伸びると絶対的に信じているからこそ、ダメをダメと言い、ヨシをヨシと言って、導く。正面から向き合い、かならず着いてくる、と信じて、待つ。それ以上でも、それ以下でもあるまい。何の策も弄しないことこそが、信じる、ということ。信じているから、老獪な教育技術だの指導方法だの、はなから必要ではない。そして、策を弄していないことがわかっているからこそ、学生や部下は、自分を信じてくれている真剣な教員や上司を信じて、真剣にその期待に応えようとし、ほんとうに予言を実現してしまう。

 だが、この話、ほんとうの焦点は、きみ自身だ。きみは、自分自身をC組だと思っていないか。どうせオレなんかダメ。がんばってもムダ。だから、がんばらない。それで、ほんとうにダメになっていく。どんどんダメになっていく。こうして、きみは、自分の予言どおり、みごとにダメな自分を自分で実現させてしまう。

 自分自身ですら、自分のことを信じていないやつが、他の人から信じられたりするものか。むしろ、他人にはわからないだろうが、自分自身の隠れた力は、すくなくとも自分自身はよく知っている、と自分自身を信じ、その信じるところを、ほんのわずかの疑念も邪念もなく、ただひたすらに突き進んでいってこそ、予言はほんとうに実現する。

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