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2-12 スイカが先だ

\大きな物事に取り組むには、大きな空白が必要だ。予定を立てる、とは、雑用を詰め込むことではなく、それを切り捨てること。予定が空白でも、現実まで空白になるわけではなく、そこには空白の予定でしか得られない直接の現実の体験がある。\

 夏ならスイカ。冬ならケーキ。仕事帰りに商店街を通り抜けると、閉まりかけの店で夕方の特売。え、この値段でいいの、だったら丸ごと、とは思うものの、ちょっと待てよ、冷蔵庫に入るかなぁ、と考え込む。昨日の食べ残しだの、バターだ、ヨーグルトだ、それに、マヨネーズやケチャップなどの調味料で、あれこれごちゃごちゃ。なんて、やっているうちに、後から来たこざっぱりとした主婦が、あ、それ、いいわね、ちょうだい、と即断即決で買っていってしまう。

 野っ原でもそうだ。百メートル四方もあれば、サッカーでもできる。だが、そのどこかに木が一本、生えているだけで、どうやっても正規のフィールドは取れない。せいぜい、その木のまわりをグルグル回って練習することしかできない。3時間も集中して考えてこそ思い浮かぶようなアイディアも、2時間のところで、どうでもいいセールスの電話にほんの三分じゃまされただけで、また一からやり直しになってしまう。

 大きいことをやろうと思うなら、始末が先だ。食べれるんだかどうだかわからないような残りものだらけでは、冷蔵庫に新たに大きなスイカなど入るわけがない。予定表が空いていると、職そのものまで無くなるような不安に駆られ、くだらない雑用をギシギシに詰め込みたがる人は多い。だが、そんなものは、なにも新しいことを生み出さない。むしろ、予定を立てる、というのは、いつでも大きな新しいチャンスがつかめるように、そういう、すっぽかしても大したことがないような、くだらない雑用をごっそりまとめて切り捨てて、自由に動ける空白を作り出すことだ。

 仕事に集中したいなら、電話がかかってきそうな重要な相手には、こちらから先にかけておく。途中でかかってきた電話は、自分の仕事が終わってからかけ直せばいい。とにかく重要なのは、まとまった大きな空白を手持ちで残していること。週末はもちろん、夜や夏休み、さらには、就業時間中でも、午前と午後の中心時間帯は、いつでも融通をつくようにしていてこそ、新しいことが始められる。そのために、朝一や午後一、定時直前に片付けるべきことを詰め込む。どうせ、やった、書いた、作った、という事実の有無だけが問題なのだから、その時間内で終わる程度のやっつけ仕事で済まして、とにかく中心に大きな空白を作り出すことの方が重要だ。

 いくら予定表が空白でも、現実まで空白になるわけではないのだ。予定が空白であってこそ、内外のだれかとじっくり情報交換したり、以前から気になっていたことを調べものしたり、抜け落ちていたことを再発見したり、思わぬことをひらめいたりする。むしろ、予定を詰め込んでしまっていると、予定を立てるときに頭の中で考えたことだけで手一杯になり、現実の方が手薄になる。しっかりと事前にチェックマニュアルを作っていたりする方が、チェック項目にリストアップされていないところに致命的な欠陥が潜んでいたりする。こういう大きな問題は、むしろ空白の予定の中での直接の現実の体験においてしか、見つけ出すことができない。

 細切れの時間では、それこそムダになるだけ。せめて2時間、できれば3時間という単位で、空白を作ろう。週末でも、夜でも、あえて予定を入れず、気ままに本を読んだり、あてもなく街を散歩したりしてみよう。そして、これだ、と思う物事があったら、さらにごっそり雑用を切り捨てて、即断即決でそれに取り組んでみよう。

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